残痕
残痕 「お疲れ様です」
言いつつ、飛雄馬は試合の組まれた球場のロッカー室へと入る。
先に着替えを済ませ、何やらおしゃべりに夢中の先輩らを尻目に、飛雄馬は自分が使用するロッカーの前に立つと扉を開け、持ち寄った鞄やバットをひとまずその中に片付けた。
「おう、星。今日も頑張ろうな」
ニコリと先輩に微笑まれ、飛雄馬はこれまたにこやかにハイと返事をすると、私服からユニフォームに着替えるべく、着用しているシャツの裾に手をかけ、一息に頭の上までまくり上げる。
「ん?星、おまえ、煙草吸うようになったのか」
「は!?」
ガバッと下着代わりに身につけているタンクトップまで脱ぎ捨てて、飛雄馬は尋ねてきた先輩の問いかけに思わず声を裏返らせた。
「いや、おまえが服を脱いだとき煙草の匂いがしたもんで……」
「なに?星が煙草?」
「へえ〜星がねえ」
「コレか?コレの影響か?」
ざわざわと飛雄馬の周りに今までそれぞれ仲のいいチームメイトとの談笑に耽っていた先輩らも集まってきて、思いつく限りの質問を投げかける。
「ち、違います。そんなの…………」
鞄からアンダーシャツを取り出し、それを頭にかぶりつつ飛雄馬はハッ!とあることに気が付く。
球場に入る前、花形と会っていた──。
球場入りするまでの行動を思い返してみても煙草の匂いがつくとすればそれしか……。
かあっ、と飛雄馬は耳を真っ赤に染めると、ここに来る前に義兄の家を訪ねたのでそのせいでしょうと努めて平静を装いつつ、そう、答えた。
「兄?ああ、星の姉さん、花形と結婚したんだっけか」
「おれは絶対嫌だな。ライバルが義理の兄になるなんて」
「ワッハッハッハ!」
ゲラゲラと声を上げ、彼らはひとしきり笑ったあと飛雄馬に先に食堂に行ってるぜと言い残し、ロッカー室を出て行く。
「…………」
ライバルとして見ればそう思うのも無理はなかろうが、ひとりの人間、男として見たとき花形は確かに掴みどころがなく、何を考えているのかわからないところはあるが、悪い人ではない。
それは親友の伴以上に付き合いの長いおれだからこそ感じ取れる部分もあるのかもしれんが。
だからこそ、ねえちゃんも彼を選んだに違いないのだ。
飛雄馬はアンダーシャツを腹まで下げ、背番号3の縫い付けられたユニフォームをその上に羽織る。
すると、ひとり、またひとりと先輩らがロッカー室に入ってきて、飛雄馬はそのひとりひとりに声をかけながらユニフォームのズボンをストッキングからソックスまで一通り身につけた。
「星、今日も勇ましいな」
飛雄馬の隣で着替えていた先輩が笑み混じりに声をかける。
「ふふ……監督からいただいた背番号に恥じぬよう頑張らなければと思っています」
橙色のYGマークの刺繍がされた黒の野球帽をかぶり、飛雄馬はロッカーの扉、その目線の高さに設置されている鏡に顔を映すと、キッと鏡の中の己を睨む。
と、何やら首筋に身に覚えのない赤黒く変色したの痕が見てとれる。
飛雄馬はまじまじと鏡に映ったその痕を見つめ、一瞬、考え込んだが、あっ!と声を上げ、首筋を手で押さえた。
「星?」
「な、何でもありません。すみません……先に行きます」
心配そうに言葉を紡いだ先輩に対し、そっけない態度を取りながら飛雄馬は慌ててロッカー室を出る。
とんだ置土産を、あの男はしてくれたものだ。
赤黒く変色した痕──花形の唇が触れた首筋が今更、存在を誇示するようじんじんと鈍く痛み始める。
飛雄馬はもしかするとやっぱり、あの男は、悪い人なのかもしれん……と、食堂に続く廊下を歩きながら、つい先程まで共に過ごしていた花形の肌の熱さを思い出し、小さく体を震わせた。