行き違い
行き違い あれ、星は?と伴はさっきまで近くにいた飛雄馬の姿を探し、辺りをきょろきょろと見回した。
星が宿舎を出て、お互いが顔を突き合わせる場所と言えば今や球場くらいなものであり、マンションに遊びに行くことはたまにあれど、姉弟水入らずで過ごす一室にそう長居ができるはずもなく、久しぶりに帰りにどこかめしでも食いに行かんか、と伴は親友を誘うつもりであった。
しかして、たった今まで隣を歩いていると思っていた彼の姿はどこにも見当たらず、伴はもしや先に行ってしまったか?と球場から選手控室に続く通路、その奥を見遣ったがやはり影も形もなく、ならばとばかりに背後を振り返る。
するといつの間にか後からやって来たらしき巨人軍の正捕手、森祇晶と何やら話をしている姿が目に入り、伴はそういうことか、と前に向き直ると邪魔になってはいかんなとばかりにゆっくり歩み始めた。
今やエース投手となった星と、万年補欠でベンチを温めるだけの自分。
入団テストを受け、巨人に入ったことからしてお情けのようなものだったし、おれは星の何かしらの役に立てたらいいと思っていた。
現に今に至るまで、幾度となく星本人から感謝もされたし、監督たちからも大リーグボール二号ができたのも伴が付き合ってくれたおかげだなと褒められたりもした。
けれども、何故かしら無性に寂しいのだ。
血と汗にまみれたあの日々、あの苦労、あの感動を共に多摩川のグラウンドで分かち合ったのはこのおれだと言うのに、森さんは星から大リーグボールの原理を聞き、数回練習しただけでその魔球を捕りこぼすことなく、きちんとミットで受けられるまでになった。
男のくせに、こんなことを考えるなんて。
親友が長年の夢であった巨人の星になろうとしているのに、おれは何故こんな暗く淀んだ気持ちを抱くのか。
星はいつか、おれをいらんと言うだろうか。
その時おれは、相分かったとそれを素直に受け入れられるんだろうか。
「伴!」
とぼとぼと力なく肩を落とし、薄暗い通路を歩いていた伴を駆け寄ってきた飛雄馬が呼び止めた。
「あ、星……森さんとの、話はもう、済んだのか」
「ああ。大リーグボールのサインを変えようという話だった。他球団に読まれる恐れがあるそうだ」
「サインを?読まれたところで攻略する方法もあるまいにのう」
「大事を取って、と言うところだろう。選手たちも攻略法を次々思いついたものから実践してくるだろうし……それはいいとしても伴、何か悩みでもあるのか。後ろから追いかけていたとき、元気がなさそうに見えたが」
帽子を取り、額の汗を拭ってから飛雄馬はそれをかぶり直すと伴を見上げる。
「別に何も悩みなどないぞい。星はおれのことなど気にかけとらんで、自分のことだけ考えとったらええんじゃい」
「伴、おれも馬鹿じゃない。何年きみと親友をやっていると思ってるんだ。伴がいてくれるからこそ今のおれがある。何でも話してくれ。きみひとりで抱え込む必要はないんだぜ」
「…………泣かせることを言うのう」
「泣く……?」
怪訝な顔をした飛雄馬に、伴は何でもないわい、と顔を背け汗を拭くふりをして目元の涙を拭った。
「伴は星の優しさが身に染みたとさ」
ポン、とついさっきまで話をしていた森が通り過ぎ際に飛雄馬の肩を叩き、笑い声と共に去っていく。
「あ、っ、森さん、今日もお世話になりました!ありがとうございました」
飛雄馬は一瞬呆気に取られたものの、ハッと我に返ると前を行く森に対し帽子を取り、頭を下げた。
森は外したキャッチャーマスクとミットを握った手を挙げ、それをひらひらと振る。
「今日、ねえちゃんがアルバイトでいないんだ」
ぼそり、と飛雄馬が呟く。
「…………」
それを聞き、伴の胸がドキンと高鳴った。
「ねえちゃんも最近、伴が遊びに来てくれないって寂しがってたぜ」
「真面目な星とふたりでは会話も弾まんだろうしな」
「ふふ……」
飛雄馬は微笑みを浮かべ、ようやく笑った伴を仰ぎ見た。
もしかすると、星には自分の考えなどすべてお見通しなのかも知れんな、と伴は飛雄馬の顔をあえて見ようとせず、黙って隣を歩く。
星を支えようと思い、共に走ってきたおれが支えられるとは何とも情けない話だと思いつつも、伴は着替えてさっさと帰ろうぜと控室のドアを開けた飛雄馬に促され、中へと入った。
「大方、親父さんにまた何か言われたんだろう」
控室のロッカーの前でユニフォームを脱ぎ、私服に着替えつつ飛雄馬がぽつりと溢す。
「親父は関係ないわい」
「じゃあ、おれと一緒にいるのが嫌になったか」
「……!」
パタン、とロッカーの扉を閉め、着替えを入れた鞄を手にした飛雄馬が訊いた。
「何を馬鹿なことを言っとるんじゃあ。そんなこと思ったこともないぞい」
「……やたら、伴は最近おれから距離を取るなと思っていたところだ。親友という関係に甘えすぎていたのかも知れん」
「星、それは違う!」
勢いのままに着替え終えた伴はロッカーの扉をバターンと閉め、目の前の飛雄馬を睨んだ。
「……あまり長居するのもよくない。帰ろう」
「星、おれは、その、寂しかったんじゃい。大リーグボール二号で一躍時の人となった星にお前なんぞいらんと言われるんじゃなかろうかとか、そんな、女々しいことをじゃな」
「…………」
「じゃから、さっき星が伴がいてくれてこそのおれだと言ってくれたのがたまらなく嬉しかったんじゃあ」
「ふふ、伴のことなら何でもわかると思っていたが、それは思い違いだったみたいだ」
「星が宿舎を出て、あまり話す機会もなかったからのう」
「……元々、あまり口が立つ方ではないからな」
ははは、と飛雄馬は笑うと控室を出て、今度は球場出入り口の方へとふたり並んで歩いた。
今日、試合のあった後楽園球場から飛雄馬の住むマンションまでは以前までは電車を使い帰宅していたが、今はファンの目を避けるがごとくタクシーを使い帰宅することとしている。
ふたりは球場の近くで待機していたタクシーに乗り込み、行き先を告げると後部座席で車に揺られる。 前を向き、カーラジオに耳を傾けている運転手の死角になるような位置で、伴は座席の上に置かれていた飛雄馬の手をそっと握った。
久しぶりに触れた飛雄馬の肌の暖かさに、自分からその手を取っておきながら、伴の鼻の奥が妙にツンと痛んだ。