油断
油断 飛雄馬が食事会を開くからぜひ来てちょうだいね、と姉・明子から連絡を受けたのがつい一昨日のことである。適当な理由をつけ断ろうとも考えた飛雄馬だが、伴さんも呼んでいるから、のその一言で承諾することに決めた。
最近伴とはお互い忙しく、会うことはもちろん連絡を取ることもなかったからだ。
伴が巨人にいた頃はどこに行くにも何をするにも一緒で、ずっとこの生活が続いていくものだとばかり思っていたものだが……日常生活を送るに支障はないものの、球を二度と放ることのできなくなった左腕を撫で、飛雄馬は訪れた姉夫婦の住まいの玄関前でチャイムを鳴らした。
屋敷の敷地へと足を踏み入れてから最早十分以上経過している。広大な庭には、外灯がいくつも設置され、芝生が丁寧に敷き詰められており、西洋人を模した彫刻品が至る箇所に鎮座している。
定期的に庭師を入れ、管理してもらっているという花壇や木々は訪ねるたびに違う季節の顔を見せてくれた。とは言っても、飛雄馬が花形邸を訪ねた回数は片手の指で事足りる。花形が、義兄がヤクルトに入団し、球界復帰した今となってはいくら姉夫婦とは言え他球団の選手と仲良くするのは、などともっともらしい言い訳も口にできるが、それ以前に花形と親しくするのは自分の性格上無理な話であった。
それまでは打者と投手として戦ってきた相手であるし、顔を突き合わせれば嫌味を言われてきた思い出がある。それを義兄弟になったのだから仲良くしようなどと言われてもねえちゃんには悪いが、困惑してしまう。
そんなことを玄関の扉の前で、しばし考えていた飛雄馬だったが、中から一切の応答がないことに首を傾げる。留守だろうか。確かに約束の時間よりは少し早いが、いくらなんでも屋敷に誰もいないということもあるまい。
飛雄馬はもう一度チャイムを鳴らし、応答を待つ。
と、軽い足音が扉の向こうから聞こえてきて、飛雄馬?と聞き慣れた声が続けざまに耳に入った。
「ねえちゃん」
「今、開けるわね」
声がするともに扉が開けられ、着物の上から割烹着を纏った姉・明子が顔を出す。長い黒髪をひとつに結い上げ、薄化粧を施した姉の登場に飛雄馬は一瞬、面食らいながらも、お邪魔しますと小さく頭を下げた。
ねえちゃん、幸せ、なんだな。よかった。
こんな広い豪邸に住んで、今や財閥御曹司夫人の身となったねえちゃん…………。
「どうぞ上がって。余計な気は遣わないでちょうだいね」
「手土産もなくてごめんよ。何か途中、買ってこようかとも思ったんだけど」
出されたスリッパに足を通しつつ、飛雄馬は謝罪するが、明子はいいの、来てくれるだけでねえさん嬉しいわと笑った。
「伴さん、少し遅れていらっしゃるらしいの。少し待っててもらえるかしら。その間にもう一品作るから」
「何か手伝うことあるかい。ただ待つのも申し訳ないし」
「とんでもない。お客様にお手伝いなんてさせられないわ。お手伝いの方も一緒だし、大丈夫よ。花形ならリビングにいると思うから、申し訳ないけど行っててもらえる?」
「えっ」
おれ、ひとりで────?
その言葉を飛雄馬は飲み込み、わかった、と言うなり、キッチンへ向かうのだろうか、廊下を駆けて行く姉を見送った。
ああ、こんなことなら伴と連絡を取っておくべきだった。待ち合わせて一緒に来るべきであった。
後悔したところで今更なす術なく、飛雄馬は姉の言ったリビングへと以前、ここを訪ねた際の記憶を頼りに向かう。広い廊下はまるで迷路のようで、飛雄馬は辺りをきょろきょろと見回しつつ、恐らくここであろう、という部屋の扉を叩く。
「花形さん」
呼び掛けたものの返事はない。
まったく、広すぎる屋敷と言うのも考えものだなと胸中で悪態を吐きながら飛雄馬は扉を開ける。
すると、中にこちらに背を向けてソファーに座る花形の姿が見え、飛雄馬はいるのなら返事くらいしたらどうなんだの言葉を収めつつ、彼を呼んだ。
が、やはり何ひとつ応答は返ってこず、飛雄馬は意を決し、花形の側へと歩み寄る。
「花形さ……」
花形の前に回り、なんの気なしにその顔を覗き込んだ飛雄馬はハッ、と息を呑む。
花形にしては珍しく、ソファーに座ったまま彼が居眠りしていたからだ。背もたれに体を預け、腕を組んだ格好で花形は小さく寝息を立てている。
こんな、花形の姿は初めて見たかもしれない。
スタイリストで、過去は振り返らないと語って聞かせた彼。大リーグボール1号を打った際、瀕死の重傷を負いながらも過酷なリハビリに耐え、見事、球界復帰を果たした彼。鉄のバットで鉄球を打つという特訓も人知れず行っていたと聞く。
今でも、掌にはうっすらとそのときの傷が残っているといつだったか話してくれたか。
花形も、疲れたときにはこうして居眠りする、ひとりの人間なのだということを今更ながら認識して、飛雄馬は彼を起こさぬよう、ソファーの少し離れた位置に座るべく、顔を上げた。
その瞬間、ぐるりと視界が回って、気付いたときには目の前には花形の顔があり、体はソファーの座面へと横たわっている。
「な、っ……!?」
何が起きたのか、何をされたのか、飛雄馬は理解するまで数秒の時を要した。ふいに視線を逸らした刹那、寝たふりを決め込んでいた花形に腕を掴まれ、勢いのままにソファー上へと引き倒されたのだ、と、置かれた自分の状況をようやく飲み込んだが、このまま大人しく寝ているわけにもいかない。
よく来たね、飛雄馬くんと微笑む花形を睨みつけ、飛雄馬は何の真似だ、と低い声で問うた。
握られ、座面に押し付けられた両手首が軋み、飛雄馬は痛みに顔をしかめる。
「主人の承諾も得ず、勝手に部屋に侵入しておいて言うことはそれだけかい」
「…………」
そういうことか、と飛雄馬は自分を組み敷く花形を見上げ、奥歯を噛む。どこから目を覚ましていたのかは知らんが、花形はおれを不法侵入の類だと思ったのであろう。だから隙を突き、こうして組み伏せるに至ったのだ。何度か外からも花形を呼んだが、それは耳に届いていなかったのだろうか。
「腕を折られなかっただけでもありがたいと思いたまえ」
「っ、すまない……勝手に入室したことは謝る。しかし、もう正体がわかったのだから離してくれてもいいだろう」
「…………」
身をよじり、解放を乞う飛雄馬の目の前に花形が顔を寄せ、何を思ったのか、なんのためらいもなく唇へと口付けた。
「あ、ぁっ……っ、う」
ふと、鼻をくすぐる香りに飛雄馬は軽い目眩を覚える。花形が身に着けている香水のそれだろうか、体温が高まったことで強く香って、頭をぼんやりとさせる。
そうでなくとも、口付けのせいでうまく呼吸ができないと言うのに。
ひとしきり口の中を犯したあと、花形は唇を離してくれたが、飛雄馬は抵抗することもままならない状態で彼を見上げる。
「もう、気持ち良くなったのかね」
「く、…………」
眉根を寄せ、目の前の男を睨んだ飛雄馬だが、するりと手首を握った手を離され、上体を起こし腰に跨る体勢を取った花形がスラックスのベルトに手を掛けたことで、よせ!と声を上げた。
「……では、この非礼はどう詫びる?」
「いまっ、謝ったじゃないかっ……」
「それでぼくの気が済むと?」
にやりと花形が微笑み、飛雄馬の腰の上から降りてから、空いたソファーに腰掛け、きみならどう詫びる?と尋ねた。
「居眠りなんて、っ……してるからだ」
「フフ、人のせいにするのかね。開き直るのも大概にしたまえ」
「くそっ……」
「油断大敵だね、飛雄馬くん」
飛雄馬はふらふらと体を起こし、ソファーから腰を上げると、花形の足元へと跪く。
そうして、怒りと恥ずかしさから震える指で花形のスラックスのファスナーを下ろすと、開いた前から男根を取り出した。
「はぁっ……っ、」
大きく息を吸ってから花形の男根に口付け、一息にたっぷりと唾液を溜めた口に含む。根元まで咥えたそれは喉を突き、嘔吐きそうになるのを堪え、飛雄馬は唇と舌とで刺激を与えていく。
「ここまでしろと言った覚えはないが、まあ、いいさ。フフ……誰かにそうするよう教えられたかね」
「…………!」
「口を離せとは言っていない。続けたまえ」
さあっ、と飛雄馬は全身から血の気が引くのを感じる。違う。選択肢を、おれは間違った。では、花形は何を以ておれに詫びさせる気だったのだ。
口の中で次第に大きく、固さを増しつつある男根を咥えたまま、飛雄馬は口惜しさから瞳に涙を浮かべる。
「きみが動かないならこちらが動くが、いいのかね」
「…………」
花形の言葉に飛雄馬は体を震わせ、上顎と舌で挟んだ男根をすぼめた唇でしごきにかかる。時折、口内に溜まった唾液を飲み飲んで、口から取り出した男根の裏筋に舌を這わせ、優しく髪を撫でてくる花形の顔を見なくて済むよう目を閉じた。
自分の唾液に濡れた男根の根元を握って、亀頭を責めることに集中しつつ、飛雄馬は吐息に鼻がかった声を混ぜる。
「全部咥えて、飛雄馬くん。出すよ」
「…………」
それなら、手で受けてやろうと口を離しかけた飛雄馬の頭を、今まで優しく髪を撫でていたはずの花形の手が、強く押さえ込んだ。喉の最奥まで花形を咥え込む形を取り、そこに吐精されたことで胃の中身がせり上がり、飛雄馬は瞳からぼろぼろと大粒の涙を溢した。
どくどくと脈打つ男根の脈動を喉奥で感じながら、飛雄馬は鼻から垂れ落ちるのが逆流した精液か涙のそれかも判別のつかぬまま、閉じることを許されぬ口から滴る涎と精液が顎を伝う生ぬるさに全身を震わせる。
「が、ぁっ……おぇっ……」
脈動が収まったことでようやく花形から解放され、飛雄馬はその場にうずくまると激しく噎せ込む。喉奥が胃液でひりひりと焼き付き、酸の味が口いっぱいに広がる。視界にはちかちかといくつもの閃光が走って、頭がひどく痛む。飛雄馬くんと名を呼ばれ、思わず顔を上げた飛雄馬の顎先を花形の指先が捉えたかと思うと、そのまま上向いた唇へと口付けられる。
口の中を冷たいものが満たし、思わずそれを飲み込んだ瞬間、飛雄馬の体はかあっと熱を持った。
口に含まされたものが、ウイスキーであることに飛雄馬が気付いた頃にはすでに絨毯敷きの床へと組み伏せられている。シャツの中に滑り込んできた花形の指が肌の上を滑って、たくし上げられ、露わになった胸へと熱い唇が触れる。
「う、あ、ぁっ…………」
花形の指先が、唇が触れるたびに体が跳ね、腹の奥が疼く。ベルトが緩められ、ボタンの外されたスラックスを下着ごと足から引き抜かれて、飛雄馬はいつの間にか立ち上がっていた自分の男根が腹へと先走りを垂らすのを目の当たりにした。
大きく開いた足の間に花形を受け入れて、飛雄馬は窄まりに触れた熱に身体を戦慄かせた。
ぬるりと、窄まりの上を熱いものが撫でる。
「うっ、っ……ん、ん」
「言ってみたまえ、飛雄馬くん。きみの口から」
「だれがっ……いうもんか、っ……」
掠れた声で花形を拒絶し、飛雄馬は唇を引き結ぶが、窄まりの上を熱いもの──男根が撫でるたび、そこが期待にひくつくのがわかる。
ああ、あと一息なのに。ひと思いに、貫いてくれたら。呼吸のたびに腹を上下させ、飛雄馬はぴくぴくと戦慄き、先走りを垂らす自分の男根を見つめる。
「言えない。それならここで終わりにするかね」
「やめっ……っ、やめないで……っ、ほしい……」
「ほしい、何が?」
「く、くっ……花形さんのっ、」
「ぼくの?」
反応を楽しむように一切の動きを止め、こちらを見下ろす花形を見上げてから飛雄馬は両腕で顔を覆うと、花形さんのちんぽが、と震える声で呟いた。
フフ、と小さく笑い声が花形の口から漏れたと同時に、飛雄馬は腹の中、奥深くまでを一気に貫かれて、大きく体を仰け反らせる。
全身に汗が散って、視界が白く濁ったと同時に、強い快感の電気信号が飛雄馬の脳天を突き抜けた。
「あ"、ぁあっ──♡♡」
「動くよ」
強烈な絶頂を迎えさせられ、背中を反らしたまま体を震わせている飛雄馬の耳に届いたのは恐ろしい言葉で、ちょっと待ってくれと声にならぬ声で制止を掛けるも、聞き入れられることはなかった。
引いた腰を激しく打ち付けられ腹の中を抉り、突き上げられて、飛雄馬は快感から逃れるため身をよじる。
「おくっ、とんとんするな、ぁっ……!」
「ここが好き。そう、わかった」
「すきじゃな、……っ♡よせっ、やめぇ、……」
「すまんのう、明子さん。遅れましたわい」
「いいのよ、伴さん。急にお呼びしてごめんなさいね」
ふと、扉の向こう、廊下から人の話し声が飛雄馬の耳に届いた。チッ、と花形が舌打ちし、来てくれて早々にすまんが、少し外で待っていてくれと扉の先にいる伴と明子に牽制する。その間にも花形は腹の中を犯し、ふいに伸ばした手、指で飛雄馬の胸の突起をひねり上げた。
「いっ、っ……!」
鋭く、甘い痺れが突起から飛雄馬の全身へと広がる。
「こちらに集中したまえ」
「もう、もうやめ……っ、おねがっ、だから……っあ♡」
「星はそこにおるんかのう」
「ああ、一緒にいるとも」
突起の芯を指で押し潰され、飛雄馬は腹の中にいる花形を締め付ける形で二度目の絶頂を迎える。
「それならいいんじゃが……久しぶりに星に会えるのが楽しみでのう。あ、いや、明子さんの手料理ももちろん楽しみですわい」
「〜〜〜〜♡♡♡♡」
伴の懐かしい声を聞きながら飛雄馬は花形に片手で口を塞がれながら、絶頂の余韻に震える。
「それなら伴さん、少し味見してもらえるかしら?初めての料理だから自信がなくて」
「わしが初めてでいいんかのう。花形は臍を曲げたりせんじゃろうか」
「ふふ、大丈夫よ。伴さんの出迎えにもいらっしゃらないくらいですもの」
仲良く談笑しながら遠ざかっていく足音をぼんやりと聞きながら、飛雄馬は体の最奥に放出された熱さに大きく背中を反らし、三度の絶頂を与えられた。
「…………」
ゆっくりと口を覆っていた手が離れていき、ようやく満足に呼吸ができると飛雄馬が思った矢先に花形が唇を寄せてきた。
「っ、ン……あ……」
舌が絡み、唇が重なって、飛雄馬は軽い喘ぎ声を漏らす。花形の指が汗に濡れた飛雄馬の髪を撫で、額の汗を拭う。そうして、ようやく離れた花形が、飛雄馬にティッシュの箱を投げ寄越すと、ソファーへ座り直した。
「きみが落ち着いたら明子たちのところに行くとしようじゃないか」
指一本まともに動かぬ状態のまま、飛雄馬は絨毯敷きの床の上で目を閉じる。そのままうとうとと寝入りそうになるのを堪えて、体を起こして投げ寄越されたティッシュで腹と尻を拭ってから、下着とスラックス一式に足を通した。
それから明子と伴の待つリビングへと向かい、それぞれの席に着く。
「何しとったんじゃい、ふたりで。せっかく作った明子さんの手料理が冷えてしまうわい」
「いえいえ、大丈夫よ。すぐに用意するわね」
「…………」
なぜ、平然としていられるんだ。
飛雄馬は対面の席に座り、こちらを見遣るなりニッ、と唇を歪めた花形から視線を逸らすと、目を閉じる。
「どうしたんじゃ?」
「変な飛雄馬ね」
それから食べた夕食は味がろくにせず、やたらに喉に滲みた。またおいでと言う花形の言葉を無視し、姉に対してもろくに別れの挨拶もせず、伴の用意してくれた車に共に乗り込んだ。
伴の顔もろくに見られない。
「星、今度はまたゆっくり会いたいぞい」
言って、運転手からは見えぬ位置で手を握ってくる伴の手を握り返すこともできぬまま、飛雄馬は花形邸の広い庭の景色を二度とここを訪ねることもないだろう、とそんなことを考えながら淡々と背後に見送った。