夜明け前
夜明け前 よく寝た、と飛雄馬は目覚まし時計に設定した時刻より早く目が覚めたことに微笑してから、未だ同室の高いびきをかきつつ眠る親友を起こそうと、そっとベッドから這い出た。
窓を覆うカーテンの向こうではようやく太陽が活動を始めつつあり、空が白み始めている。
飛雄馬は己が今から行おうと思っていることなど何ひとつ気付かず眠りこけている親友の様が滑稽で、ともすれば吹き出しそうになるのを堪え、伴の眠るベッドに歩み寄ると、その体にかかる布団を勢いよく引き剥がした。
真冬の早朝、自分の体温でぬくぬくと暖まっていた伴は急激に体の周りの温度が下がったことで目を覚まし、はっくしょーい!と特大のくしゃみをしてから、ほ、星!?といつもの調子で大きな目を見開いた。
「な、なんじゃあ!?火事か!?それとも地震か!?」
「しっ!静かにしろ、伴。まだ起きる時間には早い」
飛雄馬は自分の口元に立てた人差し指を当て、小声で語りかける。
「なに?まだ起きる時間じゃない?それならもう少し寝かせといてほしいわい」
「伴、たまにはおれと一緒に早朝ランニングをする気はないか?体も温まるし目も覚めるし一石二鳥、いや、朝食も美味しく食べられて一石三鳥だぜ」
「いくら星の頼みとは言えお断りじゃい!さあ布団を返すんじゃ」
「じゃあ取り返してみろ」
「星!この一分、二分が命取りぞ!はようこっちに布団を寄越すんじゃ!」
ベッドのマットレスの上で寒そうに身を縮こまらせながら催促する伴をついつい虐めてやりたくなって、飛雄馬は、ここまで取りに来いよ、と布団を手にしたまま、彼から少し距離を取った。
「ええい!朝から冗談はよせ、星!」
「ふふふ……」
身を乗り出し、腕を伸ばしては布団を奪おうとする伴を飛雄馬は避けたつもりが間抜けにもその足が床を擦る布団の端を踏んだことでそのまま尻から落ち、背中を床に打ち付けた。
そうして、それを支え、庇おうとした伴もまた、飛雄馬の上に覆いかぶさるようにして床へと倒れ込んだ。
踏んだ布団がクッションになったことで痛みをほとんど感じることはなかったとは言え、驚きの感情の占める割合の方が大きく、飛雄馬は呆気に取られ、言葉を失う。
「だ、大丈夫か星?どこか痛むか?骨が折れたりはしとらんか?」
「…………」
自分で仕掛けたことでヘマをした気恥ずかしさからか飛雄馬は口を噤み、体を起こした。
「まったく眠気が覚めてしもうたわい」
「悪ふざけがすぎたな、すまん」
「いや、星が無事なら──」
言いかけた伴だが、隣の部屋から壁を叩かれ、ふたり同時にそちらを見遣る。
「……伴も一緒になって倒れるからだぜ、床が抜けちまうかと思った」
「な、なんじゃと!元はと言えば星が──」
再び、隣から壁を叩かれ、伴と飛雄馬は一度叩かれた方を見つめてからそれぞれ顔を見合わせ、ぷっ!と吹き出した。
「ふふ、先輩方には悪いことしたな」
「あとから謝りに行かねばじゃい」
「伴ひとりで行けよ。きみが大きな声を出すのがいけないんだ」
「…………」
「…………」
伴は反論せず、黙って飛雄馬の顔を見下ろす。
飛雄馬もまた、それにつられるように伴の顔を瞳に映した。
それから、どちらともなく唇を重ね、触れ合う体温より熱い吐息に身震いする。
飛雄馬は伴に縋りつくようにして太い首に腕を回すと、そこに体重を掛けた。
「……う、」
唾液に濡れた上唇を甘噛みされ、飛雄馬は短く呻いたが、伴に縋った腕を引き剥がされるが早いか、そのまま身を預ける布団の上へと両手を押し付けられることとなる。
「冗談じゃすまなくなるぞい」
「…………」
涙に濡れた瞳に映る伴の顔がぼやけている。
飛雄馬は口内に溜まった唾液を飲み下し、口から吐息を漏らすと伴を呼ぶ。
「こ、こんなことをする暇があったらランニングに行く支度をせい!」
「それなら伴もこの煩悩を晴らすためにひとっ走り行こうじゃないか」
ニッ、と口元に笑みを携え、飛雄馬は伴の緩んだ手の下から腕を抜いた。
「ま、まんまと乗せられたんかのう、もしかして」
「さあな」
しきりに、はて?と首を傾げる伴を尻目に飛雄馬はパジャマとタンクトップを脱ぎ捨て、アンダーシャツを頭からかぶる。
伴が早朝ランニングに付き合ってくれることになったのも、さしずめ、怪我の功名、と言ったところだろうか。おれとしてはこのまま目覚まし時計が起きる時刻を伝えてくれるまで、伴のぬくもりを感じていてもよかったのだが──。
アンダーシャツの上からジャイアンツロゴの入ったユニフォームを羽織りながら飛雄馬はそんなことを思ってしまうのは全部、この冷たく物悲しい冬のせいだろう、と自分の脳裏に浮かんだ邪な感情を季節のせいにして、何やら納得のいかぬ様子でパジャマを脱ぐ伴の横顔を目の端に留めた。