優しさ
優しさ 放課後の練習帰り、ふと伴の腹の虫がぐうと鳴った。あ、いかんとばかりに伴は恥ずかしそうに口元に手を遣り、飛雄馬はそんな彼を見てクスッと笑みを零す。
「昼ご飯、少なかったか」
「む、いや、そうでもないんじゃが……」
膨れた腹を撫でつつ伴は言葉を濁したが、ふいに何やら思い出したようで手にしていた学生鞄を地面に下ろすと蓋を開け、何やら取り出してから飛雄馬の顔を見遣る。
そんな彼が手にしていたのはチョコレートであった。どこにでもあるようなチョコレートを板状に伸ばし、ある程度の長さと幅で切られたいわゆる板チョコと呼ばれるものであり、伴が嬉しそうに銀色の包みを剝がしている光景から飛雄馬はふっ、と視線を逸らす。
飛雄馬はこう言った菓子類とは無縁の生活を送っていたからだ。家がそれほど裕福でなく、毎日質素ながらも三食きちんと食べることはどうにかこうにか出来ていたが、嗜好品にまでは手がどうしても出せなかったのである。
一生懸命自分ら姉弟のために働いてくれている父がたまに嗜む煙草や酒の類に対して、何故とうちゃんだけが、と不満を抱かぬわけでもなかったし、近所の子どもたちが手伝いをした対価に得た小銭で駄菓子屋に走るのが羨ましくさえあった。
家計をなんとかやりくりする姉に、お菓子を買いたいからと言うわけにもいかず、ただ父のしごきに耐えながら、友人らとベーゴマやメンコをして遊ぶ自分とそう、年端の変わらぬ子どもたちを飛雄馬は横目で眺めるばかりだった。
「ほれ、星。半分」
「え?」
伴の言葉に飛雄馬はハッと我に返り、不思議そうな表情を浮かべこちらを見ている彼の顔から、その手にしている包みへと目線を落とす。
「え?とはなんじゃい。半分、食べるとええ」
「くれるのか?おれに」
「いらんのなら無理強いはせんぞ」
ニヤリと伴は意地悪そうに微笑んで、出していた手を引っ込めようとしたが、飛雄馬が掌を見せたために、その上に銀紙に包まれたままのチョコレートを乗せた。
「………」
飛雄馬は受け取ったチョコレートの銀紙を丁寧に剥いて、中から現れた茶色の固形物に口を開け、噛み付く。口の中で溶けて広がる喉を焼かんばかりの甘さに飛雄馬は目元が潤むのを感じる。
ああ、なんて甘いんだろう。こんなに甘くて美味しいものが、世の中にあったなんて、と飛雄馬は二口目にかぶりつきながら目を閉じる。
「ふう、何とか腹の虫も治まってくれたわい」
「………おれは、チョコレートと言うものを生まれて初めて食べた」
「な、なんじゃと?」
長方形に均等に区切られたチョコレートを二列ほど残し、飛雄馬は銀紙で丁寧にそれを包む。
「これ、残り、ねえちゃんにあげてもいいか?きっとねえちゃんも喜ぶと思う」
「星、おまえ………」
溶けてしまわぬように飛雄馬は先程伴がしたように手にしていた学生鞄の蓋を開けると、その中へとチョコレートをそっと仕舞い込んだ。
そうして顔を上げれば、目の前に立っていた伴がその大きな両目から大粒の涙を流していたために、飛雄馬はぎょっとなる。
「星……明日、ううっ、チョコレートたくさん、たくさん持ってきてやるからなあ……星ぃ」
「そんなことは頼んでいない。施しを受けるほどおれは困っていない」
「施し!?それは違う。おれが星のためにしてやりたいと、そう思っただけじゃあ!」
後から後から流れ出る涙を拭きつつ伴は声を荒らげる。
「………いや、気持ちは嬉しいがそんなことをされても受け取れない。きみが半分をおれに渡してくれた、そしてその半分をおれからねえちゃんに、それで十分だ。ありがとう」
「うう、星……おまえは、本当にいいやつじゃのう」
「いいやつ……ふふ、それはきみの方さ。腹が減っているのに半分もおれにくれたんだからな。人間、こういうときに本性が出ると言うぞ」
ぐすぐすと伴は鼻を鳴らし、行こう、と歩み出した飛雄馬の隣をゆっくりと歩く。
「おれはきみと、伴と同じ立場でいたい。だからきみの善意からの行為だとしても先程のようなことはいただけないな」
「うう、すまん……つい星があまりに嬉しそうな顔をするもんでなあ……」
「………チョコレート、あんなに甘くて美味しいんだな。ふふ、きっとおれ、伴とこうして食べたチョコレートの味、一生忘れないと思うぜ」
照れ臭そうに飛雄馬は言って、足元の小石を蹴り飛ばす。
「おう、おれもきっと、星と過ごした日々のことはずっと忘れないじゃろう」
目元を擦って、伴はニコッと微笑む。
飛雄馬もまた、その笑顔につられるようにして笑顔を作ると、「明日もよろしくな」と一言。
「明日と言わず、これからも末永くよろしく頼むぞい」
伴は言うと、手を差し出す。
その手を強く握り締めてから飛雄馬は、こちらこそとばかりに大きく頷いたのだった。