災いの元
災いの元 武宮寮長から受け取ったメモを細かく千切って、部屋のゴミ箱に打ち捨ててから飛雄馬は部屋を出る。
廊下を行った先、玄関にて、ちらりと寮長がこちらを見遣ってきたために、小さく会釈をして扉を開けた。
ここから、電話を寄越してきた彼が待つホテルまでは三十分と言ったところか。
伴と会って帰宅して早々に、電話があったと告げられ、渡されたメモに書かれていた時間と場所。
見なかった、聞かなかった振りを決め込もうとも考えたが、これきりにしてくれ、と、そう、言うつもりで彼のもとヘと向かう。
大通りに出て、捕まえた一台のタクシーに乗り込み、運転手へと極めて端的に行先を告げた。昨日の試合、観てましたよと微笑む運転手に愛想笑いを返して、夜の街に視線を遣る。
後部座席で車に揺られていると、次第に睡魔が襲ってくる。しかして運転手は昨夜の試合について饒舌に語り、飛雄馬は眠気を堪えながら彼に返事を返す。
しばらく、運転手との会話を続けていると目的地に到着したことを告げられ、去り際にサインをねだられ、渡された手帳に愛想良くペンで名前を書き記した。
「応援してます、星さん」
「…………」
そう言って、ドアを閉めた彼に頭を下げてから、飛雄馬は夜の空気を深く吸い込むと、指定されたホテルの出入口である自動ドアをくぐる。
受付にて客の応対をしているフロントマンの姿を一瞥して、飛雄馬は目的の階へと続くエレベーターへと乗り込む。もう、何度目だろう。こうして彼に呼び出され、人目を忍ぶようにして落ち合うのは。
都内のシティホテル。彼は毎回、違うホテルを指定する。理由はわからない。尋ねようと思ったこともない。推測の域を出ないが、恐らく、マスコミ関係者──あるいは姉──に勘付かれないためであろう。
そこまでして、おれを呼び出す理由というのも、よくわからないが。
目的の階へ着いたことを知らせる間の抜けた電子音を聞きながら、飛雄馬はエレベーターの箱から降りると、長い廊下を歩く。突き当たりを右に曲がってすぐの部屋。ここでもやはり、すれ違う人はいない。
部屋番号の書かれた扉を前に、大きく息を吐いてから、そこを二、三、ノックする。
中からかけられた、入りたまえ、の声に、飛雄馬はノブを回し、扉を開けた。すると、蝶番が軋み、音を立て、部屋内部へと誘ってくれる。
「早かったじゃないか」
「…………」
明かりのついていない、暗い室内。
相変わらず、趣味が悪い。電気くらいつけたらどうだ、の言葉を飲み込み、飛雄馬は、後ろ手で扉を閉めた。
「昼間は伴くんと会っていたようだね」
「花形さんに交友関係についてまでとやかく言われる筋合いはない」
「尋ねただけで、他意はないさ」
きみも飲むかね、と彼──は言い、腰掛けている椅子、その近くにあるらしいテーブルの上に置かれたグラスへと瓶から何やら液体を注ぎ入れたのが、暗闇に慣れてきた目でぼんやりと見て取れる。
「飲まないと何度も言っている。花形さんこそ程々にしないと体を壊すぞ」
「そう言われるほど、飲んではいないつもりだがね。きみが、飛雄馬くんが今、一緒に飲んでくれるのなら金輪際、酒は飲まないと約束しようじゃないか」
「…………」
口は禍の門とはよく言ったものだな、と飛雄馬は自分の発言を後悔したが、花形の傍まで距離を詰めると、目の前で注いでくれたグラスを手にし、そろりと口を付けた。冷たい、やや甘味を孕む液体が口内を満たし、喉を潤す。よくある安酒のそれとは違う、独特な風味が鼻を抜けた。
「さすが、飲めるじゃないか」
言いつつ、花形は自身のグラスへと二杯目を注ぎ、フフッと小さく微笑む。
「…………」
「これで最後さ。安心したまえ」
「早いところ終わらせてくれないか。疲れているんだ、こっちは」
「おやおや、飛雄馬くん。ぼくはそんなつもりでここに呼んだつもりじゃなかったんだがね」
「っ…………」
やられた、と飛雄馬は悔しさから奥歯を噛む。
花形は椅子から立ち上がると、飛雄馬の顎先を下から掌で掬い上げた。
「少し、話をしようと思って呼んだつもりだったんだが、飛雄馬くんがその気なら受けて立とうじゃないか」
「また、そんな、っ……、ふ」
言いかけた言葉を、唇を塞がれる形で封じられる。
口の中に滑り込んできた舌が、思考力を奪う。
話をしようと思った、だって?何の話を?こんな場所で?嘘に決まっている。おれはまた、花形さんにしてやられたのだ。体が妙に熱いのも、無理に流し込んだアルコールのせいだ。それ以外に理由などない。
「先にシャワーでも浴びるかね」
唇を離した花形が囁く。
飛雄馬は、いや、いい、とだけ答え、暗い部屋の中を少し歩いて、ベッドの端へと腰を下ろす。そうして靴を脱いでから、ベッドの中央へと身を寄せる。
「今日限りであなたとの関係も終わらせてもらう。二度とこんな場所に呼び出すのはやめてくれ」
「伴くんに悪いから?なに、黙っていればわからないさ。お互いに、ね」
「そういう、ことじゃ、ないっ…………」
ベッドに乗り上げ、距離を詰めてくる花形から目を逸らし、飛雄馬は吐き捨てる。
と、視界に影が差し、飛雄馬は自分の体の上へと馬乗りになった花形の顔を見上げた。
「じゃあ、どうして?」
「どう、して、って……」
「答えられない?」
花形の吐息が首筋に触れて、飛雄馬の肌は粟立つ。
黙っていればわからない?なぜ、そんな、人を欺くような真似をする必要がある。
やや不意打ち気味に首筋に唇を寄せられ、飛雄馬は小さく呻いて、話はまだ終わっていない、と声を荒げた。けれども、その先は言わせないとばかりに唇へと口付けられ、微かに声を上げるのみとなる。
シャツの裾からランニングシャツの中へと滑り込んだ指が、直接肌に触れる。じわりと汗が滲んで、体の奥が変に火照った。
「っ、ん……」
花形の指が肌の表面を撫で、シャツとランニングとをゆっくりとたくし上げていく。そのたびに、変に体が震え、声が漏れる。花形から与えられる口付けが頭の芯をじわじわと融かしていく。
「会いたくて堪らなかった、とそう言ってくれればまだ可愛気があるのに。もう二度と連絡をくれるな、とはね」
辿り着いた先、尖りつつあった飛雄馬の胸の突起を指で抓って、花形は意地悪くそう囁いた。
「っ、」
びくん、とその拍子に飛雄馬の体は大きく跳ね、弾みで互いの唇が離れる。指の腹が、突起の芯を押しつぶし、そこを執拗に捏ね上げた。
快感の痺れがちりちりと背筋から全身を駆け抜け、飛雄馬の下半身に熱を灯す。
背中を反らしはしたものの、声は漏らすまいと飛雄馬は自分の口元を腕で覆い、強く拳を握った。
「伴くんはきみをどういう風に抱くの?」
「き、かないでくれっ……そんなこと……」
「否定しないのかね。フフフッ、飛雄馬くんは考えたことがあるかね。恋い焦がれていた相手にやっと再会できると喜び勇んでいざ場に臨んだとき、その相手が他の男と親密な関係になっていた、なんて」
「なんの、っ……はなしっ、」
体を起こした花形が、飛雄馬の穿くスラックスのベルトを緩めていく。
「さあ、何の話だろうね」
腰を上げて、と花形は続け、飛雄馬のスラックスと下着とを足から抜き取る。すると、ひやりとした外気に晒された飛雄馬のほぼ立ち上がった状態の男根が、先走りを垂らした。
「っ、う……」
両足を擦り合わせ、露わになった下腹部を隠そうとする飛雄馬の膝を割り、花形は足の間に身を置くと、そのまま両足を左右に押し広げ、尻と腰の位置を合わせた。尻に押し付けられた花形のそれ、が飛雄馬の腹の中を疼かせる。
「欲しい?」
「いっ、いらない……っ、」
「素直じゃないな、飛雄馬くんは」
花形がファスナーを下ろす微かな金属音が、部屋に響き渡る。そうして、尻に直にあてがわれたそれ、がぬるりと穴の上を滑り、飛雄馬は再び、体を震わせた。
「腰が揺れているよ、自分でもわかるんじゃあないかね」
「ゆれて、なんか……っ、あ」
花形の体の脇に置かれた膝がゆらゆらと揺れるのがわかる。腹の中が、これから行われるであろう行為に期待してかぐずぐずと疼いている。
「早く終わらせてほしい、と言ったのは飛雄馬くん、きみだよ」
「はやくっ、はやく……っ、きてくれ、花形さっ……」
「それが人に物を頼む態度かい」
「っ、ひ…………っ、」
ぐり、と花形のものが穴の周辺を撫で回し、飛雄馬の口からは掠れた悲鳴が上がる。
「寮の門限に、遅れてしまうよ」
「はっ、花形さんっ……入れてっ、はやく」
「どこに?」
「ん、ん…………」
「ちゃんと言ってくれないとわからない」
花形のそれ、があてがわれた箇所がひくつく。
早く、早くそれで腹の中をかき回してほしい、とそんなことまで考えてしまう。いつの間にか視界は涙に潤み、ぼやけている。
「っ、おねがいっ、だからっ……花形さん!」
「…………」
窄まりをこじ開け、花形の熱が飛雄馬の腹の中へと押し入る。その刹那、飛雄馬はゆるく絶頂を迎え、花形の眼下へと白い喉を晒した。
「あ、ぁっ──、!」
「逃げないで」
背中を反らし、開いた口から舌を覗かせる飛雄馬に顔を寄せ、花形はその唇へと口付ける。
逃げる腰を捕まえ、更に奥深くへと腰を進め、花形は飛雄馬が落ち着くのを待った。
飛雄馬の体が戦慄くのに合わせ、花形を包む内壁もまた、収縮と弛緩とを繰り返す。
気持ちいい?と花形が尋ねた声も、今の飛雄馬の耳には届いていない。
そうして、唇をそっと啄んで、花形は飛雄馬が落ち着いたのを見計らうようにして腰を使う。
「っ、く………っう」
ベッドの上に置き去りになったままの手を握り、指を絡め、花形は飛雄馬の中を自分の形に作り変えていく。
「………………」
「っ…………たっ、……」
「なに?」
ふいに飛雄馬が口を開き、何やら呟いたことに気付いて、花形は目を閉じたまま、されるがままになっている彼を見下ろす。
「へたっ、くそだとっ……言ったんだ、ふふっ、伴の方が、よっぽどっ───!」
目を開け、苦し紛れにそんなことを口走った飛雄馬の反応が変わる。花形がつい今し方突いた位置、あえて外していたその場所に触れたからだ。
「ずいぶん、見くびられたものだね、この花形も」
「いっ、──っ、」
飛雄馬の体が戦慄いて、達したことを花形に知らせる。しかして、花形は執拗に飛雄馬の腹の中を抉った。体の脇で揺れる飛雄馬の両足を腹へと押し広げ、腰を押し付ける。
「誰が下手なのか、もう一度言ってみたまえ」
「もうっ、やめろ……やめてく、っ──!!いっ、いったっ、いったからっ……」
奥を責めていた男根を浅い位置まで抜いて、花形は再び腰を突き入れる。がくがくと飛雄馬の体は痙攣し、の度に腹の中にいる花形を締め上げた。
「…………」
「い"……っ♡あ、あぁっ」
「誰かと比べられるのは好きじゃない」
「は……っ、はぁっ♡っ、うごくなっ、──〜〜っ♡」
「取り消したまえ」
「けす、とりけすからっ、やめっ……これいじょ、おっ♡また、いっ──♡♡」
「…………」
呂律の回らぬ口で懸命に言葉を紡ぐ飛雄馬の唇に、花形はそっと口付けてやってからそのまま腹の中へと欲を吐き出した。それから、汗にびっしょりと濡れた飛雄馬の額に花形は唇を寄せ、体を離す。
「はっ……はあっ……っ、げほっ、っ、」
ひとり、身支度を整え、花形はうずくまり、咳き込む飛雄馬の傍らにティッシュ箱を手に腰を下ろす。
「口は災いの元とはよく言ったものだね、飛雄馬くん」
「っ…………」
飛雄馬の射るような視線を受け、花形は立ち上がると、飲みかけのワイングラスが乗せられたままのテーブルへと歩み寄り、椅子へと腰掛ける。
ぬるくなったワインを口に含み、ごくりと飲み干す。
「立てる?」
「いらんっ、世話だ……」
もぞもぞとベッドの上で体を動かす飛雄馬に声をかけ、花形は微笑む。
「また会おうじゃないか、飛雄馬くん。迎えに来いと言うならそうするがね」
「っ…………」
投げ寄越されたティッシュ箱を受け止め、花形は、おお、こわ、と飛雄馬をからかってから席を立つと、そのまま部屋を出ていく。
その、遠ざかる足音を聞きながら飛雄馬はようやく自由の利くようになった体でベッドから降りると、喉の渇きを潤すために、花形が残していったグラスに口を付けた。ぬるく、そして甘いアルコールが喉を焼き、胃腑へと落ちていく。
誰が会うものか、もう二度とその手には乗らない。
人をからかって、弄んで、何が楽しいのか。
空になったグラスをテーブルに置き、飛雄馬は汗を流すために浴室へと篭もる。
そうして、火照った体を冷まして部屋へと戻った。
門限までにはどうにか間に合いそうだ。
帰ったら寮長には、花形さんからの連絡は取り次がないように言っておかなければ。
濡れた髪をタオルで拭い、飛雄馬はシャワーを浴びるために脱ぎ捨てた衣服を身に纏うと、部屋を後にする。廊下を引き返し、乗り込んだエレベーターの箱が一階に到着するのを待って、平静を装い、受付の前を通過する。声を掛けてくる者はいない。
ホテルを出てすぐ、付近にいたタクシーに巨人軍の寮へと告げ、乗り込んだ後部座席に背中を預ける。
疲れた。もうここからできることなら動きたくない。
汗を吸ったシャツが冷たく、湿っていて眠ることもできない。早いところ、寮に着いてくれないだろうか。
「お客さん、巨人の星でしょう。昨日の試合、素晴らしかったですねえ」
「…………」
飛雄馬はうとうとと微睡みつつも運転手に相槌を打ち、釣りはいらんと告げてから巨人軍の寮の玄関前にてタクシーから身を乗り出した。
やっとのことで寮の玄関、扉を開けてから靴を脱ぐと、目の前には武宮寮長が立っていて、飛雄馬は愛想笑いを浮かべる。
「おお、早かったじゃないか。感心感心……」
「ふふ……どうも……」
当たり障りのない返事をして、飛雄馬は自室に引き籠ると、着替えもせず、ベッドに横たわる。
目覚まし時計をかけなければ。ああ、しかし、まぶたが重い……寝坊すれば、寮長が怒鳴り込んできてくれるだろう……明日の試合の相手は…………。
飛雄馬は迫りくる睡魔に抗えず、そのまま寝入ってしまう。明日の対戦相手がヤクルトだと言うことに考えが及ばないまま、そうして再び、花形に呼びだされるとも知らぬまま……。