悪い人
悪い人 「おう、遅かったのう。時間前行動の星が遅刻とは珍しい」
「すまない。午前からの用事が思った以上に長引いてしまった」
馴染みの料亭を訪ねた飛雄馬は、通された離れの座敷に入ると、先に着座していた伴に謝罪の言葉を述べつつ、後ろ手で部屋と廊下とを区切る襖を閉めた。
すでに座卓の真ん中に用意されていたすき焼き鍋の中では肉や豆腐、野菜の類がぐつぐつと煮立っており、甘い香りを辺りに漂わせている。
伴は待ちくたびれたかビールの瓶を早くも三本ほど開けており、飛雄馬は箸もつけずに待っていてくれた親友を前に、申し訳ないことをしたな、と目を伏せた。
奢りの名目で訪ねた料亭だが、遅刻の罪滅ぼし、と言ってはなんだが、ここの勘定は自分が持とう、とそんなことを考えつつ、飛雄馬は座卓の伴の対面の位置、置かれた座布団の上で正座すると、いただきます、と両手を合わせた。
「遠慮せずたくさん食べるとええ」
アルコールの効果か伴は上機嫌で、心なしか声もいつもより大きい。
とんすいの中に生卵をひとつ落とし、それを箸で掻き混ぜてから飛雄馬は、鍋の中から葱や椎茸と言った具材を取り出すと、それらを攪拌した卵に纏わせてから口に運んだ。
一方、伴は箸で煮込まれた牛肉をガバッと攫うと、同じくとんすいの中に溶いた卵をくぐらせるなり、大口を開け、それらを豪快に掻き込む。
「野菜も食べるんだぞ」
「ええい、野暮なことを言うでないわい。すき焼きと言ったらまずは肉よ!野菜なんぞ二の次じゃい」
ガハハ、と皮肉を笑い飛ばし、追加の肉を部屋の外、廊下を行き交う従業員らに注文してから伴は、それで、何でこんなに遅れたんじゃ?と飛雄馬に単刀直入、そう尋ねた。
「ちょっと、な。大したことじゃない」
割り下を吸い、茶色く染まった豆腐をとんすいの中で箸の先で割りつつ、飛雄馬は言葉を濁す。
「ちょっと、と言うなら連絡のひとつくらい入れてほしいわい。わしゃ星に何かあったんじゃないかと気が気でなかったんじゃぞい」
「…………」
卵にしばらく使っていたせいか、熱の引いた豆腐を口に運び、飛雄馬は申し訳ない、と一言、謝罪を口にする。これ以上、詮索しないでくれ、の意味合いも込めたもの。果たして伴にそれが通じたかどうかは不明だが、ひとまず、追加の肉を手に現れた従業員のおかげで、場の雰囲気は落ち着きを取り戻す。
「もしかしてわしに会いたくなかったか?」
伴は受け取った肉を鍋に投入しつつ、ぽつりと呟いた。鍋の沸騰に合わせ、浮かんでは沈むことを繰り返す、野菜の切れ端がまるで今のふたりの状況を現しているようで、飛雄馬は一瞬、押し黙ったあと、そうじゃない、とハッキリと強い口調で伴の言葉を否定する。
「それは誤解だ、伴。おれときみの仲だろう。酔っているとは言え、そんな弱気なことを言うのは伴らしくないな」
「昔みたいにずっと一緒にはおれんからのう。ふふ、わしは星とずっと一緒だったあの頃を支えに生きとるようなもんじゃい。今日も親父にこっぴどく叱られてのう。わしは常務なんて柄じゃないんじゃい」
火の通った肉を鍋の中から掬い上げ、伴はとんすいの中を一度くぐらせてから湯気の立つそれを口に含んだ。
「だからと言って酒に逃げるのはよくないな。おれも経験があるが──いや、飲みすぎは体に悪い」
「初耳じゃのう。星にも酒で失敗した経験があるとは。ワハハハ、女泣かせめ」
「ばか、違う」
鍋の中を泳ぐ肉の一切れをとんすいに拾い、飛雄馬はほどよく甘みのついた牛肉を、ゆっくりと咀嚼する。
薄く切られた牛肉は噛むたびに繊維がほどけ、肉の甘みが口の中を満たす。
「じゃあ、なんじゃい」
「む、昔の話だ。ほら、早く。腹が減ってるんだろう」
「なんか今日の星は変じゃのう。さっきから歯切れが悪いわい。一体どうしたんじゃあ」
「…………」
こういうときは変に冴えているのが親友・伴である。
飛雄馬はじっと対面の席からこちらを見つめる双眸に気付かないふりをして、黙々と鍋の中身を口にし、襖越しに野菜の追加をお願いすると、伴にも再び食べろよ、と勧めた。
すると、先程とは違う従業員が椎茸や葱、白菜の乗った皿を持ち寄り、飛雄馬はそれを受け取ると、鍋の中にひとつひとつ並べ入れる。
「何か、隠しとらんかやっぱり」
「何も隠してなど──」
言った飛雄馬の目の前で、伴がぬうっと立ち上がり、摺足の挙動で距離を詰めた。
思わず息を呑み、食事をする手を止めた飛雄馬だったが、その場に膝をついた伴が腕を伸ばして来たために、後退り、身を置いていた座布団の上から落ちる。
「いいや隠しとる。親友の勘じゃい」
「ビールを三本も開けておいて勘も何も……ぅっ!」
言い返しかけた飛雄馬だったが、そのまま勢いに乗じた伴に組み倒され、固い畳に強か頭をぶつけた。
お互い、目を見つめたまま微動だにしないこの狭い座敷の部屋で、鍋だけが規則的にぐつぐつと音を立てている。
「星、怒らんから正直に話してくれんか」
「まずはどいてくれ。そちらが先だ」
「…………」
馬乗りになった伴に、両手首を顔の横で畳に押し付けられた状態で、飛雄馬は目の前の彼を睨む。
と、伴が身を屈めるなり唇を寄せてきたために、飛雄馬は反射的に目を閉じ、口を噤んだ。
触れた唇は微かに震えていて、伴の動揺が感じ取れる。手首の拘束を解こうにも、腕はびくともせず、飛雄馬は何度も口付けを与えてくる伴の唇の熱さを口元に感じながら、この場を逃れるべく思考を巡らせる。
自由に動く足で、伴の腹でも蹴り上げれば何とかなるのではないか。
痛い目を見れば伴だって、調子に乗りすぎたと考えを改めるのではないか。
いいや、元はといえば、おれが────。
「は、ぁっ……!」
考えあぐねていた飛雄馬の喉を、いつの間にか顔を寄せていた伴がゆるく吸い上げた。
体を襲った衝撃に思わず身をよじった飛雄馬だが、晒した喉が熱く火照ったのを感じる。
「星、きさまもしや花形と会っとったのか」
「な、なぜ……?」
「花形が好んでつけとる香水だかなんだかの匂いがしたからじゃあ」
「……くっ、」
飛雄馬は、伴の握る手首の拘束を解こうと腕に力を入れたが、より一層力が強まる結果にしかならず、眉をひそめる。
「わしとの約束に遅刻したのも花形が原因か?」
「…………」
「だったらそう言えばいいことじゃろう。なぜ隠す。後ろめたいことがあるのか?今や義理の兄弟の仲じゃろうに」
伴は、知らないからそんな暢気なことを言ってられるんだ……の言葉を飛雄馬は飲み込み、謝罪するのに言い訳は不要だろう、と続けた。
「しかし、珍しいのう。星がひとりで花形の屋敷を訪ねるなんて……一体どういう風の吹き回しじゃい」
「っ、とにかく!この手を離せ、伴!お前の馬鹿力で掴まれていては明日の試合に支障が出る!」
「お、おう……そりゃ、悪いことをした、のっ……!」
慌てて手首の拘束を解き、体を起こした伴の体の下から這い出るなり、飛雄馬は申し訳なさそうに肩をすくめる彼の太い首へと腕を回し、その唇にむしゃぶりついた。握られていた手首には鈍い痛みが残っていて、指先は僅かに痺れている、が、じき治るであろう。
そんなことより、今、は体の奥底に残る痕跡を、消してもらう方が先決だ。
「ん……む、……っはぁっ、」
何度も何度も、伴の熱い唇に吸い付いて、唾液に濡れた舌を絡ませ合って、飛雄馬は勢いのままに伴を畳の上に押し倒した。
そうして、伴の体の上に跨ると、唇を触れ合わせたまま、臍下の膨らみに手を這わせ、飛雄馬はスラックスの上から掌でそれを撫で上げる。
「う、おっ……、星っ、星ぃ、」
「…………」
頬を赤らめ、切なげに声を上げる伴の表情に飛雄馬は肌を粟立たせつつも、腹の奥が再び熱を持つ感覚に身震いした。
伴は、おれと花形さんの関係を知ったらどう思うだろうか。いっそ洗いざらい全部話してしまって、慰めてもらおうか、なんて、都合がよすぎる。
今だって、彼の熱と、あの過ちの記憶を消し去るべく、伴を利用しようとしているのに。
飛雄馬は伴の汗が滲む首筋に舌を這わせつつ、手を添えていたスラックスのベルトを手慣れた手付きで緩め、ボタンを外すと、そのままファスナーを下ろす。
すると、下着にこそ包まれているが、抑圧を解かれた伴の大きな男根がスラックスの前部から顔を出した。
「……相変わらず、立派だな」
「い、言わんでくれえ、星。わしゃ恥ずかしいわい」
「ふふふ、人を押し倒した人間が口にする台詞じゃないな」
飛雄馬は体を起こし、伴の体の上で膝立ちになると、自身もまた、身に着けていた外出用のスラックスのベルトを緩め、下着共々引き下ろしていく。
「えっ!?にゃっ、にゃにをしとるんじゃ星!そんな、こんなところで、なにを!」
「いいから黙っていてくれ」
一度立ち上がり、足から下着とスラックスを抜き取ると、飛雄馬は再び伴の腰の位置に膝立ちになった。
そうして、伴の下着の中から先走りを垂らし、ひくひくと期待に戦慄く男根を取り出すと、飛雄馬はそれに自分の尻をあてがい、ゆっくり腰を埋めていく。
「あっ、ばか!慣らしもせず、ぅっ……!」
「おれの体のことを思うのなら少し、っ、口を閉じて、いてくれ」
内壁を擦る伴の感触に、肌が再び粟立ち、シャツの下では歯を立てられ、赤く腫れ上がっているであろう胸の突起が膨らみ始めているのがわかって、飛雄馬は声を上げぬよう、必死に奥歯を噛み締める。
熱を持ったことで、花形に噛み跡をつけられた胸がひどく疼く。
しかもそれは、不快なものではなく、却って、今の状況を…………。
ようやく中ほどまで伴を飲み込んだ飛雄馬は手を握られ、ハッ、とそこでようやく伴の顔を見た。
その目は優しく、どこか悲しげにも見えて、飛雄馬は思わず伴の手を振り払うと、一息に腰を下ろす。
体重がかかったことで、普段より深い位置に伴を潜り込ませることになり、飛雄馬は今の衝撃で軽く達してしまう。
けれども、ぼんやりと霞み始めた頭を振り、ゆっくりと腰を揺らし始める。
もう、これだけで飛雄馬は身をよじり、だらしなく開いた口からはとろりと唾液の線を顎へと垂らす。
「っ……星、きさま、やっぱり変じゃぞ、っ!」
伴は叫ぶなり、上体を起こし、飛雄馬の体を片手で抱きかかえると、下から突き上げにかかった。
「あ、う、ぅっ……」
伴の首に縋りついて、飛雄馬は腹の中を擦り上げる圧に声を上げ、身を震わせる。
と、そのうちに飛雄馬は伴の体の下に組み敷かれ、だらしなく足を開いた格好で、彼を迎え入れることとなった。
互いに何も言葉はなく、部屋を満たすは互いの吐息と座卓の上の食器類がふたりの体の揺れに合わせ、カタカタと震える音のみだ。
いつの間にか、すき焼き鍋の乗っていたカセットコンロも安全装置が働いたか火は消えている。
「っ、……ふ、」
何十回目となる口付けを交わして、飛雄馬は伴の体の横で揺れる自分の白い足に涙に濡れた瞳を向ける。
いく、と頼りなさげに囁き、伴にしがみついて体の戦慄かせたのももう何度目になるだろうか。
もしかすると、伴は気付いているのかもしれない、と飛雄馬は虚ろな目を瞬かせながらぼんやり、そんなことを思う。
肌の上を滑る汗が自分のものか、滴り落ちた伴のそれなのかももうわからない。
口の中に差し入れられた指に舌を弄ばれて、続けざまに唇を啄まれる。
花形に歯を立てられた胸の突起に優しく舌を這わせられ、飛雄馬は思わず体を反らし、腹の中の伴をきつく締め上げた。
「いく、いくぞい、星よう……」
「………………」
そのまま、腹の中へと放出した伴の脈動を感じつつ、飛雄馬は大きく息を吐くと目を閉じる。
息は上がり、長い間開いたままになっていた足は伴の体の脇から離れたあとも微かに震えている。
「あ、ティッシュ……」
もたもたと慌てた様子で、部屋の隅に置かれていたティッシュの箱を取りに行く伴の姿を飛雄馬は見つめながら、小さく笑みを溢す。
すまんのう、中に出してしもうたわいと自分の後始末より先に、こちらの処理を手伝ってくれる伴に対し、飛雄馬は大丈夫だから、とだけ返し、目元の涙を拭うと体を起こした。
鍋の中は長時間煮込まれ、煮凝りのようになってしまっている。
「星、その、妙なことを言ったりしてすまん。許してくれい」
額を畳にこすりつけ、平身低頭、謝罪の言葉を口にする伴を前に、飛雄馬の胸がチクリと痛む。
謝るのは、おれの方だ、伴。
おれはここを訪ねる前に…………。
酔っていたせいで気付かなかったか、はたまた見ないふりをしてくれたのか、胸の痕について伴は何も聞いては来ない。
いっそ、花形に抱かれたのかと怒鳴り散らしてくれたら、無理やりにでも体を暴いてくれたら、おれだってまだ救われたかもしれないのに。
これでは伴ひとりが悪者になってしまったようだ。
飛雄馬は痺れの落ち着いた手首を撫で、元通り卓につくと、すっかり冷えてしまった鍋の中身を、箸で次々と口に入れていく伴を見つめる。
伴、きみがいてくれてよかった。
でなければ、おれは……。
飛雄馬は再び、じわりと瞳を濡らす涙を振り払うべく首を振り、どうしたんじゃ?と尋ねた伴に対し、何でもないさ、と返し、それから震える声で、おれの方こそ時間に遅れてしまってすまない、と。
この埋め合わせはきっとする、と返すと、別にええわいそんなこと気にせんでも!と笑い飛ばした伴へ小さく、微笑みを向けた。