うどん
うどん 暗い部屋の中、点きっぱなしのテレビから流れる流行歌がやたらに耳障りに感じられ、体を横たえていたソファーから体を起こすとそのままスイッチを切った。
辺りは暗闇に包まれ、無音状態となり、改めて大きな溜息を吐く。誰もいない、広いだけの部屋。
ベランダに続く大きな窓を開け、スリッパを履くと、表へと出る。
もう、日は完全に落ちきってしまっており、冬の厳しさがより一層、身に沁みる。
ふと、顔を上げれば、目の前には東京タワーがそびえている。あの電波塔だけは、おれがここに越してきた当時そのままだ。姉も、親友もいなくなってしまった。おれは、ついにひとりになってしまった。
「…………」
冷たい外気に晒されたせいか、妙な違和感を覚えた左腕をさすって、再び、溜息を吐く。
白く色付いた吐息を見遣って、一言、寒い、と呟いてから、空を見上げる。
冬は、こんなに寒いものだったか。
かじかんだ手や指を温めてくれる彼はもういない。
温かい食事を作り、出迎えてくれる姉はもういない。
空には、無数の星々が煌めいている。
それにしても、こうして星を仰いだのはどれくらいぶりだろう。長屋にいた頃は、父にあれが巨人の星だと毎日のように言われていたのに。
その父も、もういない。
おれのそばにはもう、誰もいない。
冷たくなった手を吐息で温めつつ、飛雄馬は室内へと戻る。ひとまず、何かを食べなければ。
そうして、風呂に入って眠るとしよう。
空きっ腹を抱えたまま、手探りで照明のスイッチを押し、チカチカと瞬いた蛍光灯に目を細める。
そうして、台所に立ち、冷蔵庫を開ける。
うどん玉がひとつと、卵がふたつ。
調味料だけは姉が揃えてくれている。
しょうゆと、みりん、それと煮干し。
それらで作ったつゆの中にうどん玉を入れ、卵をひとつ落としてから、鍋でしばらく煮込む。
寒い部屋の中が、それだけでほのかに暖まったようで、ほんの少し、気分が上向く。
煮干しで取った出汁のよい香りが鼻孔をくすぐり、腹の虫を疼かせた。
食器棚から取り出した丼ぶりにうどんを移し、箸を手に、先程体を横たえていたソファーに腰掛ける。
そうして、箸で手繰ったうどんを一息に啜った。
数回、その動作を繰り返して、半熟に仕上げた卵の黄身を箸で突くと、つゆの中一面が黄色に染まる。
うどんを黄身に絡め、また、啜ること数回。
最後に、残ったつゆを二口ほど口にして、ソファーの背もたれに背中を預け、鼻を啜る。
ようやく、生き返ったような心地になって、目を閉じる。明日は買い物に行かなければ。朝は米を炊いて、残っていた卵を目玉焼きにしようか、卵焼きにしようか。ふふ、なんだ、余裕じゃないか。
腹が減っているとろくなことを考えないな。
それにしても、ひとりで摂る食事の、何と味気ないことだろう……。
ぐす、と鼻を啜って、腰を上げると丼ぶりと箸を洗うために台所に立つ。
蛇口から放出される水は冷たく、指先を凍らせる。
使った鍋と丼ぶり、箸を洗って、ふきんで水気を取ってから食器棚へと仕舞う。
見上げた時計の短針は8を少し過ぎ、長針がちょうど10の位置にある。今から風呂に入れば、9時には眠れる。そのまま、向かった洗面所兼脱衣所で服を脱ぎ、浴室の扉を開ける。
熱いシャワーの洗礼を受け、髪と体を洗い、歯を磨いてから、浴室を後にした。
「…………」
タオルで全身を拭いはしたが、下着類を用意していないことに気付いて、裸のまま自室に向かうと、そこで衣服を身に着け、ベッドに横たわる。
シャワーを浴びたせいで、目が冴えてしまっている。
眠ろうと躍起になるほど、眠気は遠退いていくようで、ベッド上で何度も寝返りを打った。
しかして、それでもいつの間にか眠っていたようで、気付けば朝を迎えており、ふと、体を起こして、枕元の目覚まし時計に視線を遣る。
時刻は7時。
昼寝をしたにしてはずいぶん長く眠っていたらしい。
ベッドからのろのろと起き出して、用を足し、顔を洗ってから着替えを済ませる。
米が炊けるまでの間、コーヒーを啜って、スポーツ新聞に目を通す。
そうして、炊けた米と目玉焼きを流し込んで、洗濯と簡単な掃除を済ませてから部屋を後にする。
誰もいない部屋に、言ってきます、とそう、声を掛けてから。朝日は眩しく、日光が目に沁みた。
街は、東京は、行き交う人々は、これから忙しなく、活動を始める。飛雄馬もまた、人混みに紛れ、目的を果たすため、街を歩く。午前9時半。東京にも、雪が舞い始めた。