強がり
強がり 飛雄馬は、電話の呼び出しベルがけたたましく鳴り響く音で目を覚ます。
辺りは暗く、日が落ちてずいぶんと経っているようである。
いけない、またソファーで眠ってしまっていた。
ねえちゃんがまだここに住んでいた頃、そんなことをしようものならベッドで寝るように注意されたものだが。
段々、物臭になってきているな。
苦笑しながら飛雄馬は体を起こすと、ソファーの座面に横になっていたせいで固まってしまっている肩を揉みつつ、未だ鳴り続ける黒電話のそばへと歩み寄る。
こう、懲りもせず電話を鳴らし続けるとは余程暇なのだろうな、と飛雄馬は掛けてきた相手が誰であるのか気にも留めず、受話器を取るとそれを耳に当てた。
「はい、星ですが」
「…………」
「?」
間違い電話か?
飛雄馬は応答のない受話器から耳を離し、しばしそれを見つめたが、再び耳に当てると、もしもし、と相手に問いかける。
「星、星か」
「…………!」
飛雄馬はその、懐かしい声に思わず受話器を握る手、指にに力を込めた。
伴、と喉元まで出かかった言葉を必死に飲み込み、唇を引き結ぶ。
中日とのトレードで愛知に行ってしまった親友・伴。
どこに行くにも、何をするにも一緒だった彼。
それが今になってなぜ。
おれがどんな気持ちできみを中日にやったと思っているんだ。よくこうも気軽に掛けて来られたものだ。
些か、腹立たしささえ抱きつつ飛雄馬は伴の言葉を待つ。
「よ、よう、出てくれたのう。う、嬉しいわい。でへへ」
「っ………」
しかして、飛雄馬は伴のその懐かしい、聞き覚えのある声に怒りの感情など瞬時に氷解し、耳元が、じん、と熱くなるのを感じながらも震える指で、電話を切るべく、受話器をフックに掛けようと手を下ろす。
「き、切らんでくれえ!星!違うんじゃ。その、未練がどうとか、そういうことじゃのうて、おれも元気でやっちょると、それを一言、伝えとうて……」
そんなこと、テレビで観ていて知ってるさ。
伴だってそうだろう。
それなのに何故、わざわざ掛けてきた?
未練じゃない? 嘘をつくな。声が震えてるじゃないか。
「…………」
「めしはちゃんと食うとるか?眠れとるか?ひとり……あ、いや、」
「…………」
飛雄馬は受話器を耳に当て、目を閉じると伴の声を聞く。ひとりで大丈夫か、だって?
ふふ、大丈夫じゃないと言えば、きみは名古屋から駆け付けてくれるか?
「あ、う、その、なんじゃ、星……また、電話してもいいかのう。こっちには知り合いもおらんで寂しくてのう」
「……とうちゃんに、おれの様子を探れとでも言われたか?」
「な……?!」
「あいにくだが、ひとりで悠々自適に暮らしているさ。うるさいねえちゃんもいないし、どこに行くにも着いてくる厄介者もいないしな」
「う、ぐ……そ、それはよかった。安心したわい」
「もう、掛けてくるなよ」
「ほ、ほ────」
ガチャン、と飛雄馬は電話機に受話器を叩きつけ、その場にずるずると崩れ落ちる。
こんなことなら、電話に出るんじゃなかった。
きみに会いたい、の言葉を飲み込むのにどれだけ苦労したか。
我ながら女々しくて嫌になる。
あの日、心を鬼にして、中日に行けと言ったのはおれの方なのに。
なのに、声を聞けば、名を呼ばれれば心が揺れる。
きみを縛り付けておけば、おれの心の平穏は得られる。けれど、それではきみのためにならんのだ。
男として生まれた以上、何か大きなことを成し遂げねば……。
「う……っ、っ……」
飛雄馬は肩を震わせ、嗚咽を漏らすと鼻を啜る。
後から後から、熱い涙が溢れては飛雄馬の頬を濡らす。
ひとりで、大丈夫なわけないじゃないか。
そんなこと、伴が一番よくわかってるだろう。
手で涙を拭い、飛雄馬はぐずぐずと鼻を鳴らすと立ち上がり、そのままベランダへと出る。
東京タワーだけは変わらずそこに佇んでおり、何だかホッとしたような気になって飛雄馬は大きく溜息を吐く。
仰いだ空にも星はいくつも輝いていて、飛雄馬は何を言うでもなくそれらを眺めた。
いつまでも、彼に囚われていてはいけない。
もう互いに、それぞれ別の道を歩き始めたのだから。
……シャワーを浴びて、明日に備えて寝るとしよう。
飛雄馬は目を閉じ、夜風を胸いっぱいに吸い込むと、目を開け、息を吐いてから、よし!と己に気合を入れ、室内へと戻る。
その時、クラウンマンションの一階、出入口付近で人影がひとつ、動いたが、むろん飛雄馬はそれを知らぬし、また、その人影もベランダから飛雄馬が下を覗いていたことなど知る由もない。
ふたりはすれ違ったことも互いに知らぬままに、夜はただ更けていくばかりだ。