繕いもの
繕いもの 伴、ここ、と用事があり、伴の邸宅を訪ねていた飛雄馬は伴の胸を指差し彼の顔を仰いだ。何事かと伴が飛雄馬の指し示す己の胸元に視線を遣れば、誂えたスリーピーススーツのベスト、その下に着込むワイシャツのボタンがひとつ取れかかっている。おう、と伴は威勢よく言うなりそれを引き千切ったため、飛雄馬は呆気に取られた。
「む、なんじゃい。目なんぞひん剥いて」
「い、いや。まさか引き千切るとは」
「なくすより良かろう。帰ってきたら付けてもらうわい」
帰ってきたら、と言うのは伴宅にて食事等の切り盛りをする老女のことだ。先程、買い物に行くと出て行った彼女と飛雄馬は青雲高校時代よりの顔見知りであった。
よってこの広い屋敷に居るのは今、伴と飛雄馬の二人だけだ。
「しかし、いつ帰ってくるか分からんだろう。おばさんのことだ、また井戸端会議でもやらかして帰りは夕方ということもあり得る。ぼちぼち会社に帰らんと親父さんがうるさいとさっき言っていたろう」
「この際会社に帰ってからでもええ。秘書ちゃんに頼めばお茶の子さいさいじゃろう」
「……裁縫箱はあるか」
「裁縫箱?」
飛雄馬の口から飛び出した予想外の単語に今度は伴が目を見張る。そう言えばあの辺に仕舞っていたなと伴は辺りをふらふらと彷徨い歩いて、とある部屋の押し入れから長方形のプラスチック容器を手に戻ってきた。どれ、と飛雄馬はそれを受け取ると蓋を開け、ダイニングテーブルと揃いの椅子に座ると伴にシャツを脱げと宣う。
「裁縫、できるのか」
「フフッ、なに伊達に伴たちの前から姿を眩ませとった訳じゃないさ」
言って飛雄馬はいとも容易く、それこそ左腕時代には皆が口を揃えて言った「針の穴を通すほどのコントロール」を駆使し、針に糸を通すや否や、渡された伴のシャツにボタンを器用に縫い付けていく。
「ほお〜上手いもんじゃのう」
「褒めても何も出ないぞ」
照れ臭そうに笑いつつも飛雄馬はボタンを留めると、プチンと糸を噛み切って伴にシャツを返した。
「ほら」
「おう。すまんな星」
「おまえ、会社の重役ともあろう人間がそんなだらしなくてどうするんだ。取引先でボタンが取れかけていたら今みたいに引き千切るのか」
「う、む……」
まくし立てられ、伴は口をもごもごさせる。
「フフ、今やお前は親父さんの会社の重役でおれは相変わらず野球に囚われたままか……」
「星」
「……」
飛雄馬は裁縫箱の蓋を閉めてから、口元に薄く笑みを浮かべると伏せ目がちに視線を落とした。
「わ、わしはそんな星だから好きなんじゃぞい」
「とは言え、青雲高校時代のようにいつも一緒と言うわけにはいかんからな。あの頃ならボタンなどすぐ付けてやれたかも知れないが」
「……わしだって出来るもんなら会社なんぞほっぽりだして星と一緒におりたいわい」
「おばさんが早く嫁さんを貰ってほしいとぼやいていたぞ」
「星がそばにいてくれればわしはそれでええんじゃい!」
「……」
伴はぶつくさ言いながら渡されたシャツに腕を通し、ボタンをはめていく。それを横目で見遣っていた飛雄馬だったがふいに椅子から立ち上がると、伴を手招いて口元に手を添えた。耳を貸せ、とそう言うのだ。
「なんじゃ?」
ベストを着込みつつ顔を寄せて来た伴の頬に小さく口付けて、飛雄馬は、「遅れるなよ」と顔を真っ赤にした伴に言い残してから部屋を出た。
星ぃ!!!!と屋敷全体を震わすような大声を張り上げた伴に飛雄馬は肩を竦めつつも、ふふっと笑みを溢したのだった。