てるてる坊主
てるてる坊主 「今日も、雨じゃのう」
放課後、青雲高校の野球部部室で伴がぼやく。関東も梅雨入りした、とラジオから流れるアナウンサーの声がそう告げたのがつい先週のこと。
グラウンドが雨で使えないのでは部室の片付けをしたり、階段昇降の往復をしたり、校舎の廊下を使って腕立て伏せをしたりとトレーニングが主になる。
ここ数日はひどい雨模様で、飛雄馬たち野球部に関わらずグラウンドを使う部活動生たちは一度もその土を踏んでいない。
他の部員たちより先に部室に来ていた二人はどんよりとした鉛色の空を眺めつつ、憂鬱そうに溜息を吐いた。
「こればっかりは仕方ないしな……」
「むう……親父に言うてトレーニング室でも作らせるかのう」
「伴は今年で卒業だろう」
「そ、そうじゃが、まだ星は1年生じゃろう。今後のためにもな……」
「ふふ……まあ、これから次第だろうな」
都大会優勝、はたまた甲子園出場、そこで青雲に優勝旗を持ち帰りでもすれば伴の父とて快くトレーニング室を建ててくれようし、こちらとしても頼みやすいが、まだまだ伴とのバッテリーとて組んで日が浅い。
飛雄馬はそろそろユニフォームに着替えるか、と座っていた椅子から腰を上げる。
すると、伴が何やら部室の真ん中に置かれたテーブルの上でティッシュ箱から取り出した数枚をまるで団子を作るように両手でこね回し、丸めているのが視界に入って、はて、と目を瞬かせる。
「伴、それはなんのつもりだ?」
「黙って見ちょれ」
どこか得意げに伴は言いつつ、丸めたティッシュを今度は真っさらのティッシュでくるむと、和菓子の茶巾しぼりを作るような要領でくるんだティッシュで中身をしぼり、その絞った箇所をこれまたテーブルの上にあった輪ゴムで4、5回縛った。
そうすると、伴の大きな掌の上にはいわゆるてるてる坊主と呼ばれる晴天を祈願するまじないの人形のようなものが出来上がる。
「これを、吊るしておくとええじゃろう」
言いつつ、伴はこしらえたてるてる坊主の首を留めたゴムの位置にどこから取り出したのか白い糸を結び付け、窓のカーテンレールからぶら下げた。
「ふふ、伴もこういう類いのもの、信じたりするんだな」
「毎日毎日雨続きだと鬱陶しくて敵わんからのう」
「そうだな。おれもそろそろ伴を相手に練習したいところだ。腕がなまってしまう」
「トレーニングも大事じゃがのう、青雲高校野球部のエースである星の球を捕れる唯一の捕手としては早く手に感覚を覚えさせたいわい」
「はは、取るのがやっとのくせによく言うぜ」
「だ、だからこそじゃい!星が投げるどんな球でもちゃんと、おれがこの手で受けられるようになりたいんじゃい!」
「…………」
どん、と胸を叩いて鼻息荒くそんな台詞を吐いた伴から飛雄馬は視線を逸らし、そのまま自分のロッカーを開ける。
なんて純粋な目を向け、真っ直ぐな思いを伴はおれにぶつけてくるのだろうか。
おれは、とうちゃんの夢を、はたまた自分自身の夢を叶えるためにここ青雲に入って、たまたま伴と巡り合ったにすぎないのに。なんといけ好かないやつだろうと思った。父の権力を、威光を笠に着て野球部応援団長として怒鳴り散らしていた伴を一度は飛雄馬も軽蔑した。
けれども伴は、飛雄馬とのうさぎ跳びのやり取りを経て、彼の投げる剛速球を捕ると言った。その熱と、思いと真剣な眼差しを飛雄馬はマウンドに立ちながらひしひしと感じていた。
未だかつて、自分にこうして、自分の目を見て向き合ってくれた人間がいたであろうか、とうちゃん以外に自分の球をまともに捕れる人間が存在しただろうか、と飛雄馬は思う。
まだまだ野球の腕、捕手としての能力はお世辞としても良いとは言えない。 しかして、伴は飛雄馬の野球に対する並々ならぬ思い、感情を嘲るでも馬鹿にするでも笑うでもなく受け止めてくれたのだ。
「おーう、星たち来てたのか」
がやがやと他の部員たちが部室の扉を開け、中に入って来たために飛雄馬は急いでシャツのボタンを外し、ユニフォームへと着替えていく。
一人、先に着替えた飛雄馬は何やら談笑しもたもたと服を脱ぐ部員らや伴を残し部屋を出た。と、ここに来る前は不快に肌を打った雨粒がひとつも落ちてこないことに気付いて飛雄馬はハッと空を仰ぐ。
鈍色をした厚い雲の隙間から太陽がうっすら顔を出している。
まさか伴のまじないが本当に効いたのだろうか、久しぶりに見た太陽のなんと眩しく美しいことだろうか。
この分なら、グラウンドの隅の水のあまり溜まっていない場所で投球練習が出来る。
飛雄馬が自分のグラブを取りに部室に戻ろうとしたところで中から捕手用の防具を身に着けた伴が現れ、ほれ、とグラブと硬球ひとつを手渡してきた。
「雨、止んだのう。おれのてるてる坊主が効いたわい」
「…………ありがとう」
飛雄馬はグラブを受け取り礼を言うと、行こう、と伴に背を向ける。背後からは伴と同じく部室から出てきた部員たちの声がした。
「星、今のおれじゃ大した役には立たんと思う。じゃが、いつか星におれとバッテリーを組んでよかったと、そう思ってもらえるよう、頑張るから……」
「別に、そう気張らんでも……やれることをやったらいいさ」
「………そう、じゃな」
寂しげに伴が呟くのを飛雄馬は背後に聞きながら、濡れた地面を踏みしめ距離を取る。それを受け、伴は腰を下げ、膝を曲げて捕球の体勢を取る。
そのキャッチャーミットのど真ん中目掛け、飛雄馬は投球モーションを起こすとそのまま左腕を振りぬく。
空気が湿っているせいかいつもより音はやや鈍かったが、まずまずと言ったところだろう。部員たちの視線が飛雄馬に集中し、一瞬その場が静まり返る。
「絶好調じゃのう。星」
「…………」
帽子のつばを下げ、飛雄馬は俯くとぎゅっと唇を一文字に引き結んで足元を靴底で均した。そうして泣くのを堪えて、顔を上げて構えたグラブで飛雄馬は伴からの返球を受ける。
「伴の」
「ん?なんじゃあ、星ぃ。聞こえんぞい」
「伴のお陰だ。ありがとう」
「………」
飛雄馬の言葉はハッキリと伴の耳に届いた。天気のことなら気にするな、まぐれじゃまぐれ!と笑いつつ伴は熱い雫がキャッチャーマスクの下の頬を伝うのを感じる。 晴れた空にはうっすらと虹がかかり、雲はゆっくりと晴れていく。
飛雄馬は頭上にかかる虹を見ようともせず、伴のミットへと球を投げ込む。伴もまた虹に視線を遣ることはなくそれを見事受けた。野球部の部室のカーテンレールに吊るされたのっぺらぼうのてるてる坊主だけが、その虹をまるでじっと見上げているようであった。