手袋
手袋 寒いな、と飛雄馬は鼻を啜りつつ、朝から父との走り込みやうさぎ跳び、ならびに投球練習を終え、姉の作ってくれた朝食を食べると小学校に向かうために玄関先で靴を履く。
今日は一段と冷えるようで、もしかしたら雪になるかもしれないな、とそんなことを考えながら冷えた両手をすり合わせつつ、とうちゃん、ねえちゃん行ってきます、と飛雄馬が引き戸を開けようとしたところで、姉の明子がこれ、と何やら手渡してきた。
「家事の合間合間に編んでたから遅くなってしまったけど、指や手を冷やすとよくないでしょう」
明子の言葉を聞きつつ、飛雄馬が渡されたものに視線を遣ると毛糸で編まれた手袋が一組、その手の中にはあった。
「ねえちゃん、これ」
「学校行くまで、着けていきなさい」
「あ、ありがとう」
「ふふ、おとうさんの分もちゃんと編んでますから」
こちらの様子を新聞を読むふりをして伺ってくる一徹の視線に気付いた明子が微笑む。
「手袋なんぞいらんわい」
さっと一徹は新聞で顔を隠し、ふたりはその反応に顔を見合わせクスッと小さく吹き出してから、飛雄馬は再び行ってきますと手袋を両手に付けつつ長屋を出た。
吐く息が白く、冷たい空気は頬を刺す。
飛雄馬は明子の編んでくれた手袋に包まれた両手で拳を握ったり、それを開いたりしながらニッコリと笑みを浮かべた。
冷たくなった頬も手袋を装着した両手をそれぞれ当てればじんわりと暖かくなってくれる。
ねえちゃん、いつだったかトイレに起きたとき夜中遅くまで何かやってるなと思ったけど、手袋を編んでくれてたんだ。
家のことだけでも大変だろうに手袋まで……と飛雄馬は明子の優しさにぐすっと鼻を啜り、目元を拭う。
そうして、将来、ねえちゃんの旦那さんになる人は幸せだろうなあ、と明子の花嫁姿を想像しつつ、顔を綻ばせてから、はあっと白い息を口から吐いた。
これから朝の練習が辛くなるし、夜も隙間風が冷たくて中々寝付けない時期でもある。
冬なんて、来なけりゃいいのにと飛雄馬は冷たい空気を鼻から吸い込む。
それでも、厳しい冬があるからこそ新しい生命の芽吹く春がやって来るのだ。
いつか、おれにもねえちゃんにも、そんな春が、果たして巡り来ることはあるんだろうか。
飛雄馬は空に昇った太陽に拳を握った左腕を突き上げ、おれはとうちゃんのためにも、ねえちゃんのためにもでっかく輝く星を掴んでみせる、と叫んでから一目散に学校への道のりを駆け出した。
やれるか、じゃない、やるしかないんだ。
寝る間を惜しんで手袋を編んでくれたり、とうちゃんに叱られ泣いているおれを優しく慰めてくれるねえちゃんに少しでも楽な暮らしをさせてあげたい。
とうちゃんに、栄光の巨人軍のユニフォームを着たおれの姿を見せてやりたい。
飛雄馬は息を切らしつつ、小学校の門の前で立ち止まる。この学校に通う子どもたちがぞろぞろと列をなし、門をくぐる中、飛雄馬はふと後ろを振り返る。
おれが本当にやりたいこと、夢を叶えるのはそれからでも遅くはないはずだ──と、自分に言い聞かせるようにしながら飛雄馬は走ったことで暖まった両手から手袋を外すと、それを肩に掛けていた布鞄の中に押し込むと、子どもたちに混ざり校舎の中へと入った。