便り
便り 「誕生日?」
「ええ。花形さんのお誕生日って七月なんですって」
ふぅん、と飛雄馬は素っ気ない返事をすると、再び読んでいた漫画雑誌へと視線を落とす。
「ふふ、花形のやつ誕生日にねえちゃんから何か貰う気でいるんだな」
「まさか。花形さんのことだからお誕生日にはたくさん贈り物を貰ってるわよ」
花形から来たという手紙を読んでいた姉・明子から振られた誕生日の話題に飛雄馬は苦笑し、そんな冗談を飛ばした。
姉曰く、事あるがごとに花形は手紙を寄越してくるとの話で、遠征した地方の観光地のことだったり、自分のこれまでの生い立ちであったりをつらつらと飽きもせず、便箋数枚に渡って書き綴っているそうだ。
ずいぶん、ねえちゃんに熱を上げているんだな、恋をすると人間、誰しもそうなるものなのだなと飛雄馬は、今は亡き、宮崎の彼女のことを思い出す。
おれは美奈さんに手紙を書いたことはないが、彼女が今も生きていたらきっと、東京から宮崎宛に何度も手紙を送っていたことだろう。
「でも、花形さんはこれまでご両親に誕生日を祝っていただいたことがないそうよ。ふたりともお仕事が忙しくて、子供の頃はずいぶん寂しい思いをされていたみたい」
「それっておれに話してもいいのかい、ねえちゃん。花形はねえちゃんにだから打ち明けた話なんじゃないか」
「…………人間、わからないものね。花形さんはご両親からの愛情を一身に受けて成長されたとばかり思っていたから。お母様も早くに病気で亡くされたとか」
手紙を封筒に仕舞いつつ、明子は続ける。
「そう考えると、おれたちにもかあちゃんはいないけど、とうちゃんがいてくれただけいいのかもしれない」
「貧乏だったけど、家族三人一緒にいられたものね……」
「何不自由ない暮らしをしているように見えて、その実はわからないもんだね」
花形も、まさかねえちゃんが自分の話をおれに振っているとは思いもしないだろう。
両親に誕生日を祝ってもらったことがない、か。
彼は、どんな幼少期を過ごしたんだろうか。
その寂しさを埋めるために、ブラック・シャドーズなる不良野球チームを作り、ああして暴れ回っていたのだろうか。
「花形さんの手紙にはいつも飛雄馬のことが書かれているわ。友達思いの方なのね」
「おれのことが?例えば?」
驚きのあまり、尋ねた飛雄馬の声が裏返る。
「先日の試合では元気がないようでしたが、何か身辺でショックを受ける出来事などがあったのでしょうか、なんて」
「よ、余計なお世話だ、花形のやつ」
雑誌を閉じ、飛雄馬は怒りと気恥ずかしさから眉根を寄せる。いつも顔を合わせればこちらの動揺を誘うような言葉をぶつけ、例の笑みを浮かべながら嫌味を口にする彼が、おれの心配をしてくれていようとは。
「花形さんは飛雄馬が言うほど厳しい人じゃないとねえさんは思うわ。ライバルだからあなたが言うような態度を取らざるを得ないだけで」
「……花形の誕生日は七月の何日だって?」
「八日だそうよ。どうして?」
「いや、来年の誕生日には何かお祝いでもしてやろうかなと」
「ふふ、きっと花形さん喜ぶわ」
「またいつもみたいにそんなことをしている暇があったら練習にでも打ち込んだらどうだね、なんて言われるかもしれないけどね」
「そのときはねえさんも手伝うわ。伴さんにも協力してもらったらどうかしら」
「うちに呼んで誕生日会でも開いてやったらどう?左門さんや牧場さんも呼んで」
「来てくれるかしら」
「ねえちゃんが呼べばきっと来てくれるさ」
ふふ、と飛雄馬は笑みを溢し、それはそうと今日の夕食は?と話題を逸らす。
「久しぶりに外に食べに行かない?」
「うん。いいよ、たまにはねえちゃんも楽をしなきゃね」
言うと、いそいそと外出の準備を始める明子を眺めながら、飛雄馬はかのライバルのことを思う。
伴のことは本人の口から幾度となく話を聞いたし、左門の幼い頃の話は以前、甲子園の準決勝の際に牧場から聞いた覚えがあるが、そういえば、彼のことは何ひとつ知らなかったな、と。
人と馴れ合うような性格にも見えないし、自分のことをこうして他人に打ち明けたのはもしかするとねえちゃんが初めてかもしれない。それを図らずも耳にしてしまったわけだが、果たしてこれまでと変わらず、おれは花形と関わることができるだろうか。
「さあ、行きましょう」
「ねえちゃんは、花形さんのことが好きかい」
身支度を整えた明子に、飛雄馬は訊く。
「どうして?」
「いや、ねえちゃんと花形さんならきっと上手くいくんじゃないかなと思ってさ……」
「いい人、優しい人だとは思っているわ。でも、お付き合いとかそういったことを考えたことはないの」
「…………」
本心、だろうか。
花形に手紙の返事を書かないようにしているのも、おれに気を遣っているんじゃないだろうか。
今まで人一倍苦労してきたねえちゃん。おれのことなど構わず、幸せになってほしい。
「行きましょう。お店が閉まってしまうわよ」
「うん」
頷いて、飛雄馬は先に玄関先に向かった明子のあとを追う。来年の誕生日、か。
一年後、おれは何をしているだろうか。
そんな先のことを考えたところで、答えなど出るはずもないのに。
飛雄馬は部屋の明かりを消すと、一足先に部屋の外へと出た姉に続き、靴を履いて廊下に出ると扉を閉め、鍵をかける。
何を食べようかしらと浮き立つ明子に、ねえちゃんの好きなものを食べなよと返し、飛雄馬は彼女とふたり、マンションの廊下を歩いた。