種明かし
種明かし 「だっ、出したのなら離れてくれないか」
飛雄馬はいつまでも自身の上に乗っている男に対し、声を張り上げた。間もなく、夜中の十二時を回ろうかという時刻。親友・伴の所有する屋敷の一室を間借りしている星飛雄馬は、部屋に侵入してきた家主の誘いを受け入れた。
それまではまだよかったのだが──伴は前述の通り、どれまで待っても飛雄馬から離れようとはせず、それどころか再び尖らせた唇を寄せてきた。
飛雄馬の股関節は限界に近い。無理な体勢を取っていることに加え、伴の大きな体を受け入れているのだ。
痛みが生じるのも当然のことだろう。
「おっ!元気になってきたわい。星、このままもう一回…………」
「調子に乗るな伴!出入り禁止にするぞ」
「出入り禁止じゃと!?ここはわしの家ぞい。まったく……明日はせっかくの日曜なのに……一週間我慢したわしの気持ちも汲んでほしいわい」
伴はぶつぶつと何やら文句を口にしながらも名残惜しげに飛雄馬から離れ、後始末を終えると浴衣の乱れを正す。
「おれはこのためにきみの屋敷に住まわせてもらっているつもりはないぞ」
体を起こしつつ飛雄馬は伴に釘を刺した。
「わかっとるわい。わかっとる……わしだって最初からそのつもりで訪ねとるんじゃのうて、星の寝顔を見とるとついムラっと……」
「早く嫁さんをもらえ、伴。きみは伴重工業の大事な跡取り息子だろう。今後のことも考えておかねば」
「ふん、跡取りだか相撲取りだか知らんがわしは結婚なんぞせんわい。一生星のそばにおるつもりじゃい」
「…………」
またこれだ、と飛雄馬は腕組みし、ふんぞり返る伴をしばらく見つめていたが、いたた、と腰をさすってから自分もまた、浴衣の乱れを正した。
「しかし、星を見ちょるとやつを思い出すのう」
「やつ?」
布団の上で下着に足を通しつつ、飛雄馬は尋ねる。
「うむ。星が行方しれずの間に、わしは休みのたびに関東近郊を訪ね歩いちょったんじゃが、そのときに星に似た男に会ってのう……」
星に似た男、の言葉に、飛雄馬はギクッと身を強張らせる。飛雄馬は、伴たちの前から姿を消してからと言うもの、名を名乗る際はトビタという偽名を使っていたからだ。そればかりか、トビタとして伴の前に姿を現したこともある。伴は恐らく、そのことを言っているのだろう。
「……その男は自分をトビタと名乗らなかったか」
「そう!そうじゃ、トビタと言っておったわい。星も知っちょるのか」
「伴が集めてくれた二軍選手たちの前でおれをトビタと呼んだことが気になっていたが、ようやく謎が解けた」
「ああ、あれは、つい……」
照れ臭そうに伴は笑って、トビタは元気にしちょるかのう、とも続けた。
「ふふっ、元気でいるだろうさ、きっと」
「それにしても星は五年もの間、どこで何をしちょったんじゃ。わしにも、花形にも明子さんにも連絡ひとつ寄越さず」
「色々さ、色々……」
「またはぐらかして……つれん星じゃい」
「それでそのトビタとはどんな話をしたんだ?一夜を共にしたことも……」
「ばっ、馬鹿を言うな、馬鹿を。わ、わしはそんな不貞はせんぞい」
目に見えて動揺した伴が不自然に咳払いを繰り返す。
単純と言うべきか、素直と言うべきか、伴はおれとトビタが同一人物であることにはまったく気付いていないらしい。こちらも態度や口調には気をつけていたつもりだが、こうも上手く騙せるものだろうか。
反面、伴重工業の今後が心配でもある。
悪い女性などに引っかからなければいいが。
「おれも、道中、何度かきみに似た人を見かけたぞ。思わず名前を呼んでしまったこともある」
「なに、わしに?どのへんで?」
「さあ、忘れてしまったな」
「ほ、星ぃ、そりゃないぞい」
がっくりと肩を落とす伴をそろそろ寝ようと誘って、飛雄馬は一足先に布団へと潜り込む。
時計の短針は十二時を指し、間もなく長針は四を指しつつある。伴とふたり、布団の上に寝転んで、互いに高い天井を見上げた。とは言っても、伴の体はほとんど布団からはみ出てしまっているが。
「…………」
「トビタの行方も知りたいのう。星に会わせてやりたいわい」
「ふふ、あちらは嫌だろうさ。散々星飛雄馬に間違えられてきたのだろうし」
「それもそうか……ん?わし、トビタが星によく間違えらちょった話を星にしたかのう」
「い、いや……そうだろうと思ってな。それに、縁があればまた会えるさ。きっと」
「縁、か」
「ああ、おれと伴もまたこうして会えただろう」
「まったく、心配ばかりかけさせおって、わしの旦那様は」
「ふふ……それはお互い様だな、伴」
「それもそうか。ワハハ、人のことは言えんじゃったわい」
布団の中で、伴がそっと飛雄馬の手を握る。
飛雄馬はその手を振り払おうとも考えたが、見遣った伴の横顔が真剣そのものであったために、黙って身を任せた。
温かく、大きな手だ。おれは何度、この手に助けられただろう。現に今も、こうして球界復帰の手助けをしてもらっている。伴だけは、おれの見果てぬ夢を応援してくれたのだ。
「伴、実は──」
「なんじゃい。急に」
「…………」
トビタは、おれなんだ。
言い掛け、飛雄馬は言い淀む。
真実を、打ち明けてしまってもいいのだろうか。
トビタの偽名を遣い、伴との邂逅を果たしたおれを、伴はどう思うだろうか。
おれはあのときはまだ、星飛雄馬としては伴宙太の前に姿を現すことができなかった。ただ、それだけのことで、伴を騙すつもりでもからかったわけでもない。
野球が生きるすべてで、この世界に存在し続けられる理由だったおれ自身。
誰かに、巨人の星としてではなく、ひとりの人間として見てほしかった、必要としてほしかった。
だからこそ、一旦野球から離れる道を、野球で繋がっていた人々から距離を取ろうと、そう思った。
それなのに、おれは結局球界に戻ろうとしている。
この五年間、ただ当てもなく彷徨っていたわけじゃない。生きるのには何かしらの理由がいる。
その意味を、目標を探していたのだ。
「いや、何でもない。おやすみ、伴」
「おかしな星じゃい。何を言うのかと思えば」
「………………」
「星、余計なことは考えるなよ。きさまはただ、サンダーさんとの練習に集中していればいいんじゃぞい」
「ああ、そのつもりだ」
伴の手を握り返して、飛雄馬は頷く。
「…………おやすみ、星。また明日」
言うと、伴はすぐ寝入ったか、大きないびきをかき始める。思わずぎょっとし飛雄馬はだらしなく口を開け、眠る伴を体を起こし見つめた。
「ふふ……」
微笑ましさに思わず笑みが漏れ、飛雄馬は再び布団に横になる。伴は、おれがトビタだと明かしたらどんな顔をするだろうか。起こるだろうか、それとも笑ってくれるだろうか。いつか、そうだな、無事球界に復帰できたとき、きちんと話すことにしよう……。
そんなことを考えつつ、天井をしばらく仰ぎ見ていたが、飛雄馬もそのうちに訪れた睡魔に身を委ねた。