体格
体格 「おいおい星よ、最近食べすぎじゃないか?」
「練習中に腹痛起こすのだけはやめてくれよな」
先に食事を済ませた選手らの冗談を愛想笑いで躱しつつ、飛雄馬は練習後の昼食時間にて茶碗いっぱいに盛られた白飯をがつがつと貪る。
ろくに咀嚼することもせず、更にそこに味噌汁を啜ることを繰り返す。
本来なら食事の時間といえば余程のことがない限りは和やかな安息のひとときでもある。
練習に次ぐ練習で存分に腹を空かせているからかどんなお粗末なおかずでもご馳走に見えてしまう。
しかして、ここのところ、星のやつはおかしい、と伴は物も言わず、一心不乱に食事を掻き込む飛雄馬の姿を横目に見ながら彼もまた、昼食のおかずであるとんかつのひと切れを口に運んだ。
恐らく、球質が軽い、という致命的欠点を体を大きくして乗り越えようと考えてのことだろうが、そう簡単に克服できるのであれば誰も苦労はせんだろうに、と伴は喉元まで出かかった忠告を、とんかつとともに飲み下す。
「お、おかわり……」
「星、きさまもう3杯目だぞい」
ふらふらと立ち上がりはしたものの、足取りの覚束ない飛雄馬を伴は呼び止めるが、彼はその声が聞こえているのかいないのか、そのまま白飯のおかわりを取りに向かう。
選手らが各々、自由に飯を盛っていいように炊かれた飯はお櫃に入れられ、食堂のテーブルの上にいつも置かれていた。
伴は大丈夫だろうかと食事を中断させ、飛雄馬の姿を見守る。
星という男は、恐ろしい程に食が細い。
貧乏暮らしだったというから仕方ないことなのかもしれんが、育ち盛りというのに飯を茶碗1杯食べるのがやっとと言うのだから驚きである。
ラーメンを食いに出たときだっておれはラーメンに炒飯セット、餃子まで付けたと言うのに星はラーメン1杯で満腹だと言うのだ。
それであの剛速球を放るのだから、星の野球技術というか親父さんとの執念には舌を巻いたが、まさかここに来て小柄な体格が足を引っ張るとは……。
茶碗に2度目以上に飯を盛った彼が席に戻るのを目で追っていた伴だが、突如としてテーブルに茶碗を置くなり、飛雄馬が口を押さえ駆け出したために慌てて立ち上がった。
勢いで椅子が倒れたが立て直すどころではなく、星!と名を呼んだ伴の歩調も自ずと小走りになる。
「…………」
そうして、食堂を飛び出し、飛雄馬が行き着いた先と言うのが男子便所で、伴は鍵の締まった個室の扉を確認すると、やはりか、と廊下の壁に背を預け腕を組んだ。
食べたものを吐いているに違いない。
許容範囲を超えれば、そっくりそのまま逆流するに決まっている。
あの貧乏育ちの星が、食物を無理やり詰め込み嘔吐するなんて本来であればあり得ないことだ。
しかして、そんな行動に至ってしまうまで精神的にも肉体的にも追い詰められているのであろう。
ああ、代われるものなら代わってやりたい。
星の天才的な野球技術におれの体格が加われば、向かうところ敵なしであろう。
それこそ、念願、悲願であった巨人の星になるという夢も叶えられたであろうに。
伴は宿舎の廊下、その天井を見上げ、鼻を啜る。
おれにはどうしてやれようもない。
何の役にも立たん名ばかりの親友で申し訳ない……と、伴が目元の涙を拭ったところで飛雄馬が手を拭いながら便所から顔を出す。
伴、と名を呼ばれ、伴は愛想笑いでごまかしたが、すぐに表情を一変させると、無理に詰め込むのはよせ、と低い声でたしなめた。
「…………」
ふいと飛雄馬は顔を逸らし、伴に背を向ける。
それを受け、伴はムッとしつつ更に続けた。
「戻してしまったら何にもならんじゃろう。逆に痩せとるんじゃないのか?」
「……今は無理かもしれんがそのうち胃も大きくなって食べられるようになるさ。伴には関係ない」
「か、関係ないとはなんじゃい。おれは星を心配して……」
「伴にはわからんだろう。おれの気持ちなんて。幼い頃から野球ばかりやらされてきて、やっと巨人に入団できたと思った矢先にこれだ。ふふ、手っ取り早く体を大きくするには食べるのが1番だろう」
「し、しかし、それじゃあ倒れてしまうぞい。無理して食べんでもええ。いつものように腹八分でいいじゃないか星よう」
「…………」
飛雄馬は再びふらふらと足を縺れさせ、壁に手をつくと、ふうと溜息を吐く。
「星の気持ちはよくわかっとるつもりじゃい。どんだけ辛いか、悔しいか、できることなら代わってやりたいくらいじゃあ」
「……それができたらどんなにいいか。ふふ、伴よ。ひとまず食堂に戻ろう。きみも食事の途中だろう。おれも吐いたせいで喉が渇いた」
「星、おれにできることなら何でも協力するからのう……遠慮せず言うてくれい」
「ありがとう、伴。そう言ってくれるだけで気が休まる」
飛雄馬は小さな体を更に縮こまらせ、その青白い顔に笑みを浮かべる。
伴はその生気を感じられない顔色に泣き出しそうになるのを堪え、顔を俯けた。
星はこのままだめになってしまうのか?
何か他に、方法はないのか。
なぜ星がこんな目に遭わねばならないのか。
「星よう……見てられんわい、おまえの姿は痛々しすぎるぞい」
「…………」
飛雄馬は口こそ噤んでいたが、大きく広い肩を震わせては泣く伴の姿から目を逸らさない。
伴の言ったとおり、食べては戻すを繰り返しているために飛雄馬の体重は増えるどころか減ってきている。
今まで飛雄馬自身、誰に指摘されたこともなかったが、やはり親友・伴には見抜かれていたらしい。
飛雄馬は少し細くなったように感じられる左腕をさすり、伴に行こう、と声をかける。
「うう、星よう……星ぃ」
「泣くな、伴」
ぐす、ぐすと鼻を啜り、目から大粒の涙を溢しながら歩く伴の横顔を見遣りつつ、飛雄馬もまた瞳を潤ませる。
そうして、軽くなった腹を押さえながら飛雄馬は伴の傍らに連れ添うようにして、ふたり、廊下を歩いた。