終焉
終焉 「ふう、今日の練習はちと堪えたのう」
そうぼやいて、伴は汗で湿った帽子を部屋の机の上に置いた。
本日の二軍選手の練習中、伴宙太は同じ二軍選手であり、投手の星飛雄馬の投げる球を延々と打ち込むことに励んだ。
普段であればどちらかと言えば飛雄馬に付き合い捕球練習をすることが多いが、ここ最近、それも伴宙太の中日トレード話が出てからと言うものの、飛雄馬は徹底して伴をしごき抜いた。
しかも彼にしては珍しく、打てない伴に野次を飛ばすこともあるというのだから、他の二軍選手たちは首を傾げた。取材や撮影に来ている新聞記者たちもあれでは喧嘩ではないか──と、顔を見合わせ、そう言うのだった。
一先ず、練習を終えた伴と飛雄馬の二人は、伴の寝泊まりする巨人軍宿舎へと戻り、ようやく一息ついたところである。
行儀悪く靴を脱いでベッドに座った伴に対し、どこか浮かない顔をする飛雄馬に、「どうしたんじゃい」と伴は尋ねた。
「…………」
しかして、その場に立ちすくんだままの飛雄馬は返事をするでも汗に濡れ、汚れたユニフォームを着替えるでもなく、何か考え事でもしているのかじっと黙っている。
伴はもう一度彼を呼んだが、それでも返事がないために声を荒げ、星!と叫んだ。
「…………」
そこでやっと飛雄馬は顔を伴に向ける。何やら眉間に皺を寄せ、険しい表情を浮かべた飛雄馬に伴はぎょっとなりつつも、どうした?と先程と同じように訊いた。
「どうした。あれくらいで音を上げていては日本球界のベーブ・ルースには程遠いぞ」
どこか虚ろな目をして言う飛雄馬に伴もまた口を噤む。
忽然と打者の目の前で姿を消す魔球、大リーグボール二号。星飛雄馬がその左腕から放つ恐るべき球に何人の打者がきりきり舞いさせられ、恐れ慄いたか。
しかして、それももう過去の話となりつつある──否、そうではないと伴は首を振る。あの花形や左門、はたまた今や敵となった飛雄馬の父・一徹も二号の攻略は近しとそう言ったが、そんなものはハッタリだ、でまかせだと伴は俯き、膝の上で握った拳に力を込めた。
「星、ちょっとこっちに来い」
「いや、その必要はない。雨が降る前に帰ろう。伴も明日に備えてゆっくり休んでおくといい。まだまだあの様子じゃ……」
言って、荷物を手に部屋を出て行こうとする彼を伴は靴も履かずに追いかけ、ドアノブを握ったばかりの飛雄馬の体をその腕でぎゅうと抱いた。
一種、飛雄馬の体が強張ったが、すぐにその緊張は解け、ドアノブから手が離れる。 星、と伴は飛雄馬を呼んで、いだく腕に力を込めた。
「………なんのつもりだ。離してくれ」
「星、どうしたんじゃい。おかしいぞ、ここ数日のお前は」
「おかしい?おれがか?おかしいのは伴、おまえの方だ。なぜあれしきの球が打てん!何を考えている?」
「おれを鍛えてくれようとしているのはわかる。じゃが、何もあれほどまで」
「伴!!自惚れるなよ!」
「自惚れてなどおらんわい!!おれはまた何かおまえが妙なことを考えとらんかと心配なんじゃ!おまえが、星が妙に力んどるときはいつもそうじゃあ!」
伴の言葉にぐっと飛雄馬は下唇を噛み締め、目を閉じる。
「星、こっちを向け」
「いやだ。離してくれ」
手の力を緩め、伴は優しく囁くように言ったが、飛雄馬は顔を振ってそれには応じない。まったく、強情っぱりじゃのう、と伴は苦笑して、己に背を向ける飛雄馬の腕を取るとぐいっとこちらに顔を向けさせるように彼の体を反転させる。
やはり考えていた通り、飛雄馬の頬には涙の線が伸びていて、伴はそのまま俯く彼の帽子を脱がせてやった。
顔を隠すものを奪われハッと顔を上げた飛雄馬の左右の頬に両手をそれぞれ沿え、伴は、「やっぱり泣いとったのう」と微笑んだ。
「…………」
「伊達におまえと長くは付き合っとらんぞい、星よ。心配せんでもおれは中日には行かんし、監督さんだってそれには応じんと言っておったじゃろう」
飛雄馬の濡れたまつげを伴は己の親指でそっと拭ってやり、ニコッと満面の笑みを浮かべる。
「さっきまでの星はどうしたんじゃい。扇風機のごとく三振したおれを木偶の坊だの馬鹿野郎だのと罵っておった威勢はどこに行ったんじゃあ」
「伴、おれは………」
「たとえ球団がトレードに応じたとしても、おれは中日には行かん」
「伴」
「一人だから妙なことばかり考えるんじゃあ。今日はここに泊まるとええ」
「………伴、やめろ。勝負に生きる、プロの世界にそういう馴れ合いはもう」
「同じ巨人軍におって何が馴れ合いじゃい。今更じゃろう」
顔に沿えられた伴の手を外し、飛雄馬はいつの間にか床に落ちていた帽子を拾うと再びかぶり直した。
「そういうベタベタしたのがよくないと、そう言っとるんだ伴。友情だ、なんだというのはもう終わりだ。その甘えが打撃にも現れるのだ。だから満足にミートすることもできんのだ」
「…………そうか、それもそうじゃな。おれは今まで星に甘え過ぎとったのう。高校時代ならまだしもプロの世界で手を取り合って慰めあってもお互いのためにはならんな」
「……伴」
「なんじゃい」
「また、明日、な」
帽子のひさしを指で引き下ろして、飛雄馬は震える声でそうとだけ言うと、伴に背を向けた、つもりであった。
体は再び伴の腕の中にいだかれ、今度はその厚い胸板に顔を埋める羽目になって、飛雄馬は目を見開く。
「きさまはなぜそう強がるんじゃあ。人の決心を鈍らせるような……そんな態度しか取れんのなら最初から口にするんじゃないわい!」
叫ぶように言って、伴は飛雄馬を抱く腕を緩め、強引に彼の唇へと口付けた。
がちっ、と歯がぶつかって、飛雄馬は驚き顎を引く。けれども、それで終わる伴であろうはずもなく彼はまたもや目を閉じ、飛雄馬に迫った。
「………っ、」
飛雄馬はその顔をぐいと手で押し退け、彼の体を突き飛ばす。何やらばつが悪く、伴は目を瞬かせると、俯く飛雄馬を見つめた。
「伴、おまえのことはすきだ。でも、さっき言ったとおりだ。もう、友情ごっこに酔うのはやめよう」
「星」
「嫌いになったとか、そういうわけでないことだけはわかってくれ……」
「………引き留めてすまんかったのう。星も、帰ってゆっくり眠るといい。雨が、降り出す前に」
そう、ベッドの端に座り直して低く小さな声でようやっと言葉を紡いだ伴と、俯く飛雄馬の耳に何やらポツポツと窓を叩く音が届いて、二人は顔を上げ、窓を仰いだ。
ひとつ、ふたつと窓に広がる水滴の跡が次第に増え、窓全体を覆い尽くしたかと思うと、音を立て雨が地上へと降り注ぐ。
朝の天気予報では今日の夜から明け方にかけて雨が降ると言っていたが、こうも激しく降るとは、と伴は目を細め、窓の向こうを見遣る。
「星よ、帰るのならタクシー代くらいは出そう。引き留めたおれが悪いんじゃからな」
すると、突然に部屋の電気が消え、辺りは闇に包まれる。すわ停電か!?とばかりに窓から視線を外し、部屋の中を見渡した伴は何やら床に落ちる音を聞いて、闇の中に目を凝らす。
そうして目が段々と慣れてきた頃合いに、飛雄馬がアンダーシャツを脱ぎ捨て、上半身裸になっている姿が目に飛び込んできて、伴はえっ!?と後退る。
さっきの何かが床に落ちた音は飛雄馬がユニフォームを脱いだそれであったのに気付いたときには、すでに彼は伴の隣に座って靴を脱ぎ始めていた。
「にゃにを、しとるんじゃあ、おまえは」
尋ねる伴の声が変に上擦る。
「伴、終わりにしよう、今日で」
「……おまえは、それでいいのか」
かあっ、と伴の全身が火照った。心臓がやたらと脈を打ち、頭の中でガンガンと鳴り響く。
「もう二度と、おれには触れるなと約束してくれ」
「………それはできん、と言うたら」
「…………」
飛雄馬は答えず、伴が己の膝の上に置いていた手の上に自分の手を重ねた。もうそれで、たったそれだけで、伴の理性は吹き飛んだに等しい。
あっという間に隣に座っていた彼の体を組み敷いて、伴は飛雄馬の左右に広げさせた足の間に体を置いていた。
勢いで跳ねたベッドがゆらゆらと揺れる。
雨が勢いを増したか、激しい音を立て降り続く。伴は唾を飲み込むと、身を屈め、飛雄馬の唇へと震える唇を押し付ける。瞬間、飛雄馬の腕が伴の首を抱いて、ぬるりと舌を差し入れてきた。
「う、おっ!」
驚き、妙な声を上げたのは他ならぬ伴宙太の方で、慌てて体を起こそうとしたが、飛雄馬が必死にしがみついて吐息を分け与えて来るために、観念し目を閉じた。
これで最後だから、と言った星もこの時を、この一瞬を覚えていようと懸命に縋って、吐息の熱さを、肌のぬくもりを忘れぬようにと求めてくるように思えるのは、やはりおれの自惚れか、と伴は飛雄馬の口付けに応えてやりつつ、彼の穿く白いユニフォームのズボンの股をさする。
既に膨らんでいるそこを何度か撫でてやると、飛雄馬は短く呻いて、伴から唇を離した。
伴は飛雄馬のズボンを留めるベルトを緩め、その中に履くスライディングパンツの中に手を差し入れ、直に彼の逸物に触れる。あっ!と飛雄馬は声を漏らして、背を反らし、白い喉を晒す。
ちゅうっ、とほぼ当てずっぽうのまま伴は飛雄馬の首筋へと吸い付いて、舌を這わせて、その下にある鎖骨を舐め、立ち上がる乳首付近の肌へと口付ける。
「暗いのう、明かりを付けてもええか……」
訊いた伴に飛雄馬は嫌だと首を左右に振った。
「最後じゃから、星の顔を覚えておきたいんじゃい」
「…………」
伴は体を起こし、一度ベッドから降りると机の上に置いてある読書灯を付けて、何やら引き出しを開け、中を漁ってから再びベッドへと乗り上げて飛雄馬の体の上に覆い被さった。飛雄馬は恥ずかしくなったか目を逸らし、口元に腕を乗せる。
「星、なぜ目を背ける。見ろ、ちゃんと」
言われ、飛雄馬はしばらく視線を逸らしていたが、覚悟したかのようにじっと伴を見据える。伴はそれにニッと笑みを返して、飛雄馬の下半身へと手を遣ると、ズボンのボタンを外して、ファスナーを下ろすとスライディングパンツの中から先走りを浮かべた彼の逸物を取り出した。
「うっ………っ」
それを握り、伴は二、三度上下にしごいてやったが、ふいに飛雄馬の足元まで移動すると、口を大きく開けると彼の男根をぱくりと咥えた。
「ん、あ、っ……」
唾液を口いっぱいに溜め、伴はそれを舌と上顎とで挟み、吸い上げる。根元までを咥え、ねっとりと舐め回してやると、飛雄馬が堪らず彼の髪を掴んだ。
跳ね上がる飛雄馬の腰から伴はズボンとパンツをずり下げ、ストッキング諸共それらを脱がせてやった。伴の眼下にほぼ全裸の姿となった飛雄馬の姿は机上の読書灯の何とも頼りない、仄かな明かりのせいかやたらと艶めかしくかえっていやらしく伴の目には映った。
ああ、もう、こうしてこの姿を瞳に映すこともないのか、とそう思うだけで伴の胸はぎゅうっと痛んだ。
この行為になんの意味があったのだろう、震える星の小さな体を抱きしめてやったあの日、涙に濡れる唇を重ねたあの晩、おれは星の何になりたかったのだろう。
おれはひとときでも、たった一瞬だけでも、星を幸福にしてやれたんだろうか。それとも、この体を抱いて、肌を合わせて、幸せであったのは、おれだけだったんだろうか。
飛雄馬の逸物から迸った体液を伴はゴクリと飲み下して、口を離す。彼の肌の表面は汗に濡れ、うす赤く上気している。
伴は先程、引き出しからポケットの中へと移し替えた軟膏を取り出して、中身を指に乗せるとたった今し方まで咥えていた飛雄馬の逸物の下に位置する窪んだ窄まりへとそれを塗布した。
「あ、っう………ん、んっ……」
指の摩擦と、互いの体温で程よく溶け、温まった軟膏はくちゅくちゅと小さな音を立て、飛雄馬の耳を犯した。飛雄馬は目を閉じ、頭の下に敷いている枕の縁を掴む。
刺激に慣らすために、ゆっくりと窄まりを撫でていた伴の指が飛雄馬の中へと入った。ビクッ、と立てていた飛雄馬の膝が跳ねて、射精を終え、幾分か落ち着いた逸物もそれに伴い、反応を見せる。
飛雄馬の内壁を刺激と異物の挿入による拡張に慣れさせるよう、伴は指を押し進めて行く。根元までを飲み込ませてから、伴はそっと指を飛雄馬の腹の方へと曲げた。
すなわち、男性だけに存在する器官を刺激するに至る。僅かに指先に感じる膨らみを撫で、優しく押してやると、飛雄馬は開いた口からくぐもった声を上げた。
「っ、く……う、う」
伴は飛雄馬から指を抜くと、自身のベルトを緩め、そうしてズボンの前を開けファスナーを下ろすとそこから反り返った逸物を取り出して、飛雄馬の顔を見遣る。飛雄馬は涙の滲む瞳を虚ろに開け、白い腹を上下させていた。
そうして、視線に気付いたか、頭の下にあった枕を腰の下へと敷き入れる。
「星………」
伴は小さく名を呼んで、腰を飛雄馬の足の間へと寄せ、手を添えた逸物を彼の足の中心、解した後孔へと宛てがった。飛雄馬の様子を見ながら、その中へとゆっくり亀頭を滑り込ませる。
「ん、っ………ふ、ぅ、うっ……」
足を左右に押し開いて、腹の中を強引に突き進んで、伴は飛雄馬の中に己を埋めていく。最後までを時間をかけ、飲み込ませてから伴は飛雄馬の熱く火照った唇へと口付け、そっと腰を使い始めた。
んっ、と呻いて離れた唇に伴は再び唇を寄せ、腰を振る。
「ッあ、っ、あ………う、むっ……」
ピストンを受けた飛雄馬の唇が離れるたびに伴は彼の唇へと口付けた。
ああっ、と高い声を上げて顔を逸らした飛雄馬の耳元へ伴は唇を押し当て、汗の滲む首筋に舌を這わせた。飛雄馬が声を漏らすたびに、その体は伴の逸物を締め上げ、更に昂ぶらせていく。
ベッドのシーツを掴んで、与えられる快楽に身を委ねる飛雄馬の指に己の手を合わせ、指を絡ませ、伴は飛雄馬の顔の上へと涙を滴らせる。
けして会えないわけではない、明日にだってまたグラウンドで会えるというのに、どうしてこうも胸が締め付けられるのか。
この行為だけが二人を結びつけるものではないだろうに。
「ばっ、伴……っ、ゆっくり、もっと、ゆっ……うあ、あっ!!」
腰を叩きつけられ、その衝撃と、腹の中を擦られる刺激に飛雄馬は喘いだ。伴が腰を穿つたびに、飛雄馬の足は彼の体の左右で揺れる。
いつもの伴でないことは飛雄馬にも分かっていたし、飛雄馬もまた、伴の熱を、肌の感触を覚えていようと思った。
激しく腰を叩いたかと思えば、緩やかにグラインドさせることを繰り返して、伴は遂に飛雄馬の中で果てる。
飛雄馬も幾度となく、伴の逸物で腹の中を擦られ、達しており、二人はびっしょりと汗に濡れたまましばし、呼吸を整えるために繋がっていた。
けれどもいつものように余韻に浸る間もなく、飛雄馬は腕を使い、伴の下から這い出ると、逸物が抜け落ち、その際掻き出されたか白濁がベッドに溢れた。
「っ………」
「星……?」
「伴」
沈黙。雨はだいぶ小降りになったか、先程のような音は聞こえてこない。飛雄馬はベッドに背を預けたまま伴を仰ぐ。
その瞳に射抜かれ、もう一度飛雄馬を抱きしめるべく腕を伸ばした伴から飛雄馬は離れ、ベッドの端に座り直した。
「星」
一足先に伴は身支度を終わらせ、ベッドの端で衣服を身につける飛雄馬を呼んだが、彼はそれを無視し、立ち上がる。
「………明日、遅刻、するなよ」
飛雄馬は小さな声で言うと、それきり振り向くこともなく伴の部屋を出て行った。
閉まる扉の音を聞きながら伴は弱い雨の降り続く窓の外を見遣って、未だ飛雄馬の肌の熱の残るベッドに体を横たえる。
追い掛ければまだ間に合う、けれども、星はそれを嫌がるだろう。できることならば、ずっと、それこそ一生、星のそばにいてやりたい、とそう願うことはあまりにも身勝手だろうか。
伴は首を振り、何もない白い天井を仰ぐ。外では雷鳴が轟いて、稲妻が走った。また雨が強くなる傾向だろうか。
ああ、どうか願わくば星が雨に濡れていませんように、一人寂しく部屋で泣いてはいませんように、と伴はそんなことを考えつつ、時を一定のリズムで刻む時計の音を聞いていた。