賞品
賞品 飛雄馬くん、ひとつぼくの頼みを聞いてくれまいか。
突然、宿舎に花形から電話があり、悪いがぼくの会社に来ては貰えんだろうか、と言われたのがつい数時間前のこと。
いわゆる、オフシーズンと呼ばれるこの時期。
普段は宿舎で寝食を共にする他の選手らも実家に帰ったり家族と旅行に出かけたりと思い思いのことをして過ごしているようで、残る人はそう多くはない。
飛雄馬も姉や親友からうちで過ごさないかと言われはしたが、迷惑はかけられんとその誘いを丁重に断り、宿舎で自主トレをしたり散歩に出かけたりとそれなりに束の間の休暇を楽しんでいた。
そのさなか、ふいに鳴った宿舎の電話。
ベッドに寝転がり、スポーツ雑誌をめくっていた飛雄馬を呼ぶ寮長の声に慌てて身支度を整え、電話に出たのがすべての始まり、と言ったところか。
「今から、ですか」
『厳しいかね』
「いや、そんなことはないが……」
『それはよかった。間もなく迎えの車が着くと思うが──ああ、それから外泊の支度もお願いしたい』
「外泊の?」
『フフ、また後ほど』
「花形さ……」
受話器越しに飛雄馬は花形を呼んだが、そこから聞こえるのは電話が切れたことを知らせる無機質な電子音のみで、元の位置に受話器を戻すと一旦、自分の部屋へと戻った。
どういう、風の吹き回しなのだろうか。
外泊の支度をして自分の会社に来てくれ、だなんて。ねえちゃんに何か頼まれでもしたのだろうか。
果たして彼の誘いに素直に乗っていいものだろうか、と飛雄馬は鞄に荷物を詰める手をはたと止める。
いや、断ろう。
もうすぐ迎えの人間が到着すると言っていたか。
彼に申し訳ないが行けないことを話し、帰ってもらうことにしよう。
飛雄馬は部屋から出て、玄関先で寮長と何やら楽しげに話し込んでいる花形コンツェルンの社章入りの帽子をかぶった運転手らしき彼に小さく会釈した。
それから、寮長にもすみませんと断りを入れてから、運転手と共に宿舎の外へと出た。
「来てもらって申し訳ないが、花形さんには行けないと伝えてはもらえんだろうか」
「え!?し、しかしそれでは私が専務に叱られてしまいます」
「…………」
花形さんは、まさかこうなることまで予想してわざわざ運転手付きで迎えを寄越したのだろうか。
飛雄馬は目に見えて肩を落とす運転手の顔を見ながらそんなことを考える。
叱られる運転手のことを考えると、どうにも胸が痛む。
おれが車に乗れば万事丸く収まるのだ。
「……少し、待っていてほしい」
言うと、飛雄馬は出入り口の扉を開け、寮長に訳を話すと外出許可を貰い、部屋に帰ってからまだ途中であった荷物の整理を終えると再び外へと出た。
「ありがとうございます、星さん。恩に着ます」
「……いいから、早く出してくれないか」
ドアを開け、待っていた運転手に素っ気なく答えるとキャデラックの後部座席に乗り込み、飛雄馬はふうと溜息を吐く。
運転手はドアを閉めると、寮長に頭を下げてから彼もまた運転席へと乗り込んだ。
「2度目は、ないと思ってくれ」
「……私、こう見えてジャイアンツのファンなんです。星さんに会えて本当に、心から嬉しいんです」
「…………」
ニコニコと嬉しそうに声を弾ませながらそんな台詞を口にする運転手をそれ以上責める気にもなれず、飛雄馬はそれきり口を閉ざした。
運転手はそれはそれは楽しそうに飛雄馬の左腕時代からのファンであることを伝え、川上監督はもちろん、現長島監督を尊敬しているとまで饒舌に語った。
そんな一方的な話に耳を傾けていると、いつの間にか車は花形コンツェルンの本社前に到着し、飛雄馬はドアを開けてくれた運転手に礼を言うと自動ドアをくぐり抜け、社内へと足を踏み入れる。
花形のいる部屋の案内を受付嬢から受け、飛雄馬はそこでもまた礼を言うとエレベーターを使い、目的の階まで上がると、専務室の扉を叩いた。
「入りたまえ。思っていたより遅かったじゃないか」
「……あなたが、寄越した運転手が、おれが行かんと叱られるというのでね」
「…………ぼくはただ連れて来てほしいと言っただけなのだが」
出迎えた花形の顔を部屋に入るなり飛雄馬は睨みつけ、唇を引き結ぶ。
フフ、と花形はいつもの調子で例の笑みを浮かべると、それでは本題に入ろうか、と何やら身に着けているジャケットの内ポケットを探ると1枚の封筒を取り出した。
「これは?」
「先日、ゴルフのコンペで賞品として貰った旅館の宿泊券さ」
「……それが?」
「一緒に着いてきてはくれんだろうか」
「…………?」
ニッ、と花形は目を細め、口角を吊り上げる。
「なぜ?とでも言いたげな顔だ。無理もない。明子は先約があると言うのでね。何なら伴くんときみが行ってくれたって構わんが、間もなくその期限が切れる」
「…………初めから、そのつもりだったんですか」
「そのつもり、とはずいぶんな物言いだ。ぼくも完全にこのことは忘れていたが、つい昨日だ。クロゼットの片付けをしていたらこれを見つけてね」
「花形さんにしては、見え透いた嘘をつく」
「………どう、取ってくれても構わんよ。用件はそれだけさ」
「外泊の支度までさせて、行くか行かんかはそちらが決めろと言うんですか」
「無理強いはしたくない、いや、せんつもりだ」
花形の飛雄馬を見つめる瞳がキラリと光る。
「行かんと言ったら?」
「どうもしないさ。ただ、この旅館の経営者は大の野球好きでね。とりわけ、きみのいるジャイアンツがお好きだそうだ。星飛雄馬が来るとなったら大層喜んでくれるだろうね」
「…………」
「この会長は多くのホテルや旅館を経営し、取りまとめている敏腕でね。彼と手を組めれば、花形コンツェルンは更に大きく、まだ企画段階でしかない宿泊事業の分野も発展していけるようになるだろう」
「おれを、利用するんですか」
「…………なに、ぼくはただ、オフのこの時期にゆっくり体を休めてくれたらと思っただけで、今語ったことは全部ぼくの一人言さ」
よくもここまで思いつくものだ、と飛雄馬は花形の口の上手さに舌を巻く。
実業家ともなると、こういう駆け引きを平気でするようになるのだろうか。
「電話を、宿舎へ入れさせてほしい」
「…………」
花形は専務室に引かれた電話を貸し、それで飛雄馬は寮長に外泊をする旨を伝えた。
真面目な星だから今回は許すと寮長は言ってくれたが、飛雄馬は申し訳ありませんと謝罪の言葉を口にすると電話を切った。
「行こうか」
「……花形さんのために、するわけじゃない。あなたの会社の今後のためを思って、おれは今回この誘いに乗った」
花形は何を言うでもなく、微笑みを浮かべるとそのまま専務室を出たために、飛雄馬もその後を追う形となる。
エレベーターで1階へと下りてから、ふたりは花形コンツェルン自社ビルを出てすぐのところで待っていた先程と同じ車に乗り込むと、そのまま目的地まで揺られることとなった。
運転手はさっきの男とは違う、無口な人間で、飛雄馬はホッとしつつもやはり、先程の彼が起用されたのはおれを呼び寄せるためだったのだな──と改めて花形の考えに背筋を凍らせる。
程なく、車は旅館へと到着し、ふたりは地面に降り立つと先を行く花形を飛雄馬は追いかけ、中へと足を踏み入れた。
そのまま、旅館の女将らしい女性に離れを案内され、飛雄馬と花形はひとまず室内に入ると荷物を畳の上へと置いた。
ひっそりと人里離れた山奥に建てられたこの宿は他人とあまり顔を突き合せない造りになっているのか、女将に連れられここにやってくるまでに誰かとすれ違うこともなく、今や巨人の星と言えば日本中、知らぬ者はいないほど有名人となってしまった飛雄馬も、今日は珍しくサイン攻めに遭うこともなかった。
とは言え、こういった旅館に泊まるような方々がミーハーよろしくサインをねだるとは到底考えられなかったが。
「突然、すまなかったね」
「……今更、何を言うかと思えば」
ふふ、と飛雄馬は小さく笑みを漏らすと、部屋の中をぐるりと見渡す。
ふたりで泊まるにはあまりにも広すぎる畳敷きの部屋と、いわゆる床の間に飾られた掛け軸と高そうな花器に生けられた花々。
その部屋の真ん中に鎮座する広い長方形の座卓と、座卓を挟み、それぞれ向かい合うように置かれた座椅子。
奥の襖の向こうにはまだ部屋が続いているのか、それとも布団でも仕舞ってあるのか。
それから、何やら畳敷きの和室から1段下がった小さめのテーブルと椅子が2組置かれた広縁の更に先、広い大きなガラス張りの向こうには半露天風呂があって、飛雄馬はあまりの豪勢さに驚いた。
ゴルフのコンペの賞品と聞いていたからもっと庶民的なものを想像していたというのに、こんな部屋を当てがわれるとは夢にも思わなかった。
「汗でも流してきたらいい。夕食までまだ時間がある」
「いや、しかし、これは、あまりに……」
飛雄馬は何やら口ごもり、花形はその様子に吹き出す。
「見られるのが嫌というのなら席を外そう」
「…………」
口に一旦は咥えた煙草を離すと、花形は座椅子から立ち上がり、ごゆっくりと言い残すと部屋の外へと出ていった。
飛雄馬は花形さんも相変わらず酔狂な人だな、とひとり広い部屋で溜息を吐く。
元々、大した交流もしたことがないというのになぜ泊まりになど誘ったのか。
顔の広い花形さんなら、もっと話の弾む友人のひとりやふたりいるだろうに。
来てしまった以上、考えても仕方のないことだが、と飛雄馬は広縁の奥にある露天風呂に湯を張るため、そちらに続く戸を開ける。
広い浴室内、浴槽のそばに外の景色を見渡せる大きな窓こそあれど、体を洗うスペースも十分にあり、半露天と言うだけあって景色こそ堪能できるが外気に触れることもない。
飛雄馬はカランを捻り、温度を見ると浴槽に湯を張り始めた。
誰かと一緒でもなければこういったところに来ることは一生ないだろうなと飛雄馬は浴槽に湯が溜まる様を眺める。
これまた、ひとりで入るには広い浴槽に湯が溜まるにはしばらく時間を要するだろうと飛雄馬は踏み、部屋の中へ着替えを取りに帰ることにした。
下着とタオル、それから浴衣を手に飛雄馬は再び露天風呂へと続く戸を開けるとそこで服を脱いだ。
他の客が泊まっている部屋とはだいぶ離れているようで人の声は一切聞こえては来ない。
湯が浴槽を満たしていく水音が聞こえるだけだ。
飛雄馬は手桶でかかり湯をすると浴槽の中に静かに体を沈める。
柔らかな程よい温みを孕んだ湯が肌にまとわりつく。
日の暮れかかった山奥の景色がなんとも風情があって、これに雪でも降れば言うことなしであろうに、と飛雄馬はぼんやり思った。
10分も浸かっていると体が温まり、頭がぼうっとしてきて、飛雄馬は湯船から出ると頭と体をいつものように洗い、もう一度湯に浸かると浴室から出た。
体を丁寧に拭って、下着を身に着けると浴衣を羽織る。
温泉の成分のおかげなのかいつまで経っても肌が火照ったままで、飛雄馬は座椅子に腰を下ろすと髪を拭うためにそのまま持ち寄ったタオルで汗を拭く。
すると、部屋の出入り口の襖が音もなく開いて、彼が顔を出した。
「!」
「ちょうどよかった。喉が渇いただろう。飲むといい」
「いや、酒は……」
「そう言うと思ってきみの分はオレンジジュースを買ってきてある。安心したまえ」
「…………」
相変わらず妙なところに、気が利く男だ、と飛雄馬は差し出されたオレンジジュースの缶を、どうも、と受け取ると、乾杯と目の前の彼が差し出してきた缶ビールと側面同士をコツンとやり、プルタブを上げた。
その中身を一気に煽ると、冷たい柑橘の酸味が喉を潤す。
「だいぶのぼせたようだね」
いつの間にか、対面ではなく、隣に座っていた花形がそう、囁く。
「そんな、ことは」
「……少し、横になっていたらいい」
「…………」
飛雄馬の体を畳の上にゆっくりと押し倒して、花形は首元を締めるネクタイを緩めた。
そうして、飛雄馬の様子を伺いつつ花形は彼の唇へとそっと口付ける。
「っ、」
それ以上、深追いしようとはせず、花形は飛雄馬の首元へと下り、その薄い肌に唇を押し付けながら飛雄馬の浴衣の帯を緩めにかかった。
そこで、襖がトントンとノックされ、ハッ、と花形は我に返ると、飛雄馬から離れ、どうぞと襖の向こうにいる誰か、の入室を許した。
飛雄馬は何やら夢現のまま、体を起こすと着衣の乱れを正してから、次々と座卓の上に並べられる、恐らく夕食の品々──に目を見張る。
そうして、ふたりは、ここら近郊で取れたという山の幸や上質な肉、海から直送されているという新鮮な魚介類の品々に舌鼓を打ち、花形は飛雄馬に断ってから食後の一服に火を付けた。
もうこの頃には飛雄馬の湯あたりしたらしき頭のぼんやりとした症状も取れており、花形に美味しかったですねと言うだけの余裕も出てきていた。
「……それは、よかった。連れてきた甲斐がある」
「ゴルフは、よく?」
「付き合いさ。ぼくに面白さはよく、分からんが、なぜかしら皆これがお好きのようでね」
「…………」
「興味があるのなら今度きみも来るといい。伴くんとはよく練習がてらコースを回る」
煙草の灰を灰皿の上で弾き、花形は指にそれを挟んだままグラスの中に残っていたビールを一気に煽る。
先程、缶ビールも1本開けたというのに、彼は食事中に瓶もつけるように言い、それを今まで飲んでいた。
「量が、多いのでは。飲むなとは言わんが、適量という言葉がある。ほどほどにしておいた方が……」
「……フフ、緊張しているのさ。飛雄馬くんを前にしてね。酒の力でも借りんとろくにしゃべることもできん」
「…………!」
「そう、怖い顔をしないでくれたまえ。相変わらず冗談が通じんな、きみという男も」
花形は煙草を咥えると呆気に取られ、二の句が告げない飛雄馬を前に、フフフッと声を上げ、笑った。
その刹那に、食べ終えた食器類を下膳しにきた仲居たちが襖をノックし、てきぱきと慣れた手捌きで座卓の上を綺麗にすると、後ほど布団を敷きに参りますと言い残し、去っていく。
「風呂でも、入ったらどうです」
「彼女らが布団を敷いてくれてからにするつもりだ。きみと同じで見られるのは恥ずかしいからね」
煙草を灰皿に押し付け、花形はそこでようやく着ていたジャケットを脱ぐと壁にかけられていたハンガーにそれを纏わせた。
程なく、布団を敷きにやってきたふたりと入れ替わるように花形と飛雄馬は部屋の外に出て、彼らが出てくるのを待つ。
そうして、布団を敷き終わった旨を伝えると、ふたりは去っていき、先に部屋に入った花形は風呂の準備をすると浴室へと消えた。
どうやら、奥の襖の中に布団は仕舞われていたようで、部屋が広いお陰で座卓を移動することもなく布団は2組、丁寧に敷かれてあった。
飛雄馬は電気を消し、薄暗い部屋の中で布団に寝転がり目を閉じている。
花形が風呂を使う音が耳にじんわりと入ってくる。
宿舎の使い古されたベッドのマットレスとは違う、糊の効いた清潔なシーツの上で飛雄馬はいつの間にか寝入っていたらしい。
気付けば花形は風呂から出ており、浴衣姿で隣の布団に体を横たえていたのだ。
その布団も、離れて敷かれていたものをピッタリとくっつけるようにして並べてある。
「……………」
「目が覚めたかね」
花形が微笑む。
「眠らないんですか」
尋ね、飛雄馬はいつから?とも訊いた。
「ついさっきさ。きみと同じで湯あたりを起こしてね」
「飲んで、風呂に入ったり、っ!」
飛雄馬の額に花形は口付け、それからまぶた、頬と下っていきながら彼の体の上へと跨る。
そうして、浴衣の襟から手を差し入れつつ、花形は飛雄馬の唇に自身のそれをそっと押しつけた。
ちゅっ、と軽く唇を啄みつつ、差し入れた手、その指で飛雄馬の胸をまさぐる。
「はっ、花形っ……酔って、間違ってはいないか。おれは、ねえちゃんじゃ……」
「ぼくは間違いでこんなことができるほど器用ではないつもりだが」
指先が触れた突起をきゅっと抓み上げて、花形は飛雄馬の口内に舌を滑り込ませるとその粘膜同士を絡ませた。
「い、っ……こんな、こんなことを、しにきた、つもりじゃ」
「…………」
尖りつつある突起を花形は指の腹で潰し、しこるそれをこりこりと捏ね上げる。
「やめっ、やめろっ……!」
一度、唇を離してから花形は再び、飛雄馬の首筋に吸い付き、襟から差し入れた手で浴衣を更にはだけさせる。
薄暗い部屋の中、はだけた浴衣から覗いた飛雄馬の普段はユニフォームに包まれたままの白い肌がやたらと鮮明に花形の目には映った。
僅かに汗ばみ、湿った飛雄馬の肌がやたらと掌に吸い付くようで、花形は再び彼に口付けを与えると浴衣の帯を解いた。
「ん、ぅっ」
帯が解け、露わになった肌を花形は指で撫で上げつつ、仰け反り、反った腰を抱き寄せ、その首筋に顔を埋める。
冬と言えども、湯上がりの興奮した互いの肌は熱く火照り、その額には汗が浮かぶ。
「はぁっ………っ、」
「飛雄馬くん……」
組み敷く彼の名を慈しむように呼んで、花形は飛雄馬の腰から尻を撫で、下着をずり下げる。
そうして、下着をゆっくり剥ぎ取ってから飛雄馬の膝を割り、広げさせた両足の間に身を置くと花形は彼の尻を解しにかかった。
とは言え、潤滑剤などと言った気の利いたものは所持しておらず、花形はここに来る際、用意した整髪料を手に取るとそれを使い飛雄馬の尻を慣らしにかかる。
ぬるぬると指で捏ね、人肌程度に温めたそれを花形は両膝を立たせた飛雄馬の尻に塗りつけた。
「あ………!」
花形の指が秘所の窪みの上を行き来するたびに飛雄馬のそこはひく、ひくと戦慄く。
それに反応するかのごとく、飛雄馬の体も布団の上で小さく跳ね、その口からは微かに声が漏れる。
「…………」
花形は刺激に慣れたであろうそこへ指を挿入すると、関節を曲げ、飛雄馬が声を上げる場所を絶妙な加減で探った。
「あっ、あ、あ…………」
花形の指をきゅうきゅうと締め付けながら飛雄馬は喘ぐ。
飛雄馬の腹の中をまさぐる指は、奥へ進んだかと思えば僅かに戻り、良いところを掠めたかと思えば離れていく。
飛雄馬はそのもどかしさに身をよじり、眉間に皺を寄せる。
「あっ、ん、んっ」
「このあたり……?」
「ちが、っ、あっ、そこ………」
「…………」
弄ばれている、と飛雄馬は涙で潤む目で花形を睨む。
なぜ、こんな仕打ちを。
おれはなぜ、この人とこんなことをしている。
「あ、ァ、あ゛っ!!」
花形が腹の中で動かす指が、良いところを引き当て、飛雄馬は全身には電気が走ったような衝撃を受ける。
指をその位置で花形が動かすたびに強い快感の波が全身に走り、飛雄馬は軽い絶頂を幾度となく迎える。
「っ、ふ………うっ!花形、はながたさぁ、っ………いっ、ん、いった、からっ」
全身に汗をびっしょりとかいて、飛雄馬はとろとろと男根から絶頂により溢れた精液を垂らしつつ何度も花形の指により気を遣る。
意識はすでに朦朧としており、花形は整髪料で濡れた指を拭うと、浴衣の前をはだけ、中から男根を取り出すと慣らす間もなく飛雄馬の体を一息に貫いた。
ぐーっ、と腰を押し付け、根元までを飲み込ませてから、花形は飛雄馬の片足を脇に抱え、腰を叩く。
「ひ、ぃ、っあ……!あ……!!」
体を大きく仰け反らせ、飛雄馬は軽く絶頂を迎えたものの、花形は腰をゆっくりとピストンさせる。
最早、飛雄馬の口から上がるのは嬌声と言うより悲鳴であった。
逃げる腰を捕まえ、花形は飛雄馬の腕を自分の首へと回させ、その体にしがみつかせた。
「は、ん、ん……!」
体を預ける布団が湿り、段々と重くなってくる。
繋がり合う下腹部はより一層熱を持ち、布団を汗で濡らす。
「っ、あ、あ……はながたっ、」
息も絶え絶えに飛雄馬は花形を呼び、口を開け、無意識のままに口付けをせがむ。
「……フフッ」
にやり、と花形は笑みを浮かべ、飛雄馬の望むとおりに口付けを与えてやるとそのまま彼の中へと射精した。
目を閉じ、呼吸のたびに腹を上下させる飛雄馬の額に花形は口付けてから首を抱く腕を外してやり、そこでようやく男根を抜いた。
飛雄馬はしばらく、腹を上下させていたが、いつの間にかその起伏も収まり、気付けば寝息を立て眠ってしまっている。
花形は彼の浴衣の乱れを正してやってから、そっと布団をかけてやるとおやすみ、と小さい声で囁いた。


そうして、飛雄馬が目覚めたのは空が白んできた時分で、慌てて飛び起きると、すでに隣の男は起きており、煙草を咥えながらおはよう、と爽やかな笑みを見せてきたではないか。
まさか、昨日のは夢、なのか。
飛雄馬は花形から視線を逸らしつつ、おはようございます、と返した。
「よかったら、朝食の前に風呂でもどうだね」
「は、花形さんは?」
「後でいい。気にしないでくれたまえ」
「…………」
昨日、この人が風呂に入ったところまでは確かに記憶がある。
しかし、それから先がどうも曖昧で──眠ってしまっていたのなら納得もいく。
「ぼくは少し出てくるからゆっくりしていたまえ」
煙草を灰皿で揉み消すと、花形は何の躊躇いもなく出ていってしまった。
こんな時間、外を歩いたところで寒いばかりでまだ日も完全に昇ってはいないというのに。
飛雄馬は花形の行動を訝しみながらも、浴衣を脱ぎ、寝汗をびっしょりとかいていたらしく、まずは手桶に汲んだ湯でその汗を流してから浴槽に浸かった。
日が昇り始め、辺りが太陽光を受け燦々と光輝いてくる。
「…………」
「そんなに小さく縮こまっていないでのびのび、足でも伸ばしたらどうだね」
日がゆっくりと昇る様を仰いでいた飛雄馬だったが、突然、背後からかけられた声に飛び上がらんばかりに驚き、花形!とその名を呼んだ。
「朝食を食べたら帰るとしよう。いくらオフとは言え、あまりゆっくりもしていられまい」
裸で現れた花形はあっけらかんと言ってのけ、体を流すと、すでに飛雄馬の浸かる湯船の中に足を入れた。
「どうぞ、ごゆっくり。おれは出る」
湯船から上がろうと飛雄馬は立ち上がるが、待ちたまえ、といつもの口調で淡々と花形はその腕を掴んだ。
「………では、ぼくは目を閉じていよう。それでいいだろう」
「…………」
しかし──と一瞬考えた飛雄馬だったが、掴まれた腕を振りほどく気にもなれず、そのまま湯に肩まで浸かることにした。
何とも、奇妙な構図だと飛雄馬は思う。
数年前まではこうして話をすることなど考えられなかった。
それが今や、義理の兄弟の間柄。
運命というものは、つくづく分からんな、と飛雄馬は目を閉じ、先程彼が言ったように広い湯船の中で悠々と足を伸ばしている彼を見遣った。
「ところで飛雄馬くん」
「は!?」
「左腕の具合はいいのかね」
「左腕、ですか。寒い日には多少引き攣ったりすることもありますが、朝からちゃんと動かしておけば試合でもどうということはない」
湯船の中から左腕を取り出して見せ、飛雄馬は指を開いたり拳を作ることを数回繰り返した。
「まさか病院から抜け出すとはね」
「…………」
花形は左腕時代最後の試合、例の中日戦のことを言っているのだ、と飛雄馬はすぐ合点がいった。
彼の言うとおり、あのあとすぐ救急車で病院に運ばれはしたものの血縁者が病状の説明のためにと別室に呼ばれたその間に、飛雄馬は病院から脱走したのである。
そして、それきり関東で草野球の代打として姿を見せるまで杳として行方しれずのまま──。
「すぐ手術をしないと一生、指は動かないままになってしまうと医者は言っていたそうだが、まさか打者として返り咲こうとするまでに回復するとは皆、驚いたものさ」
「しばらくはペンを持つことも出来ませんでしたよ。指が言うことを聞かずに」
「………」
ふふ、と飛雄馬が当時を思い出し、微笑んだところでいつの間にか目を開けていた花形と視線が絡んだ。
「えっ!」
「そろそろ、出よう。朝食を頼んである」
「体を洗ってから出ます」
わかった、と花形は素直に引き下がり、飛雄馬はちらとその後ろ姿を見送る。
引退して、もう何年になると言っていたか。
花形の引退試合は飛雄馬も立ち寄った街の食堂のテレビで目の当たりにしている。
今でも、阪神の調子が悪いと花形を呼び戻せとの野次が観客席からは上がるとの話だ。
あの体つきを見るにつけ、プロに復帰しても十分戦えるであろう。
「…………」
飛雄馬は体を洗うために浴槽から出ると、洗い場までの距離を少し歩いた。
そうして、髪と体を洗ってから部屋に戻ると、ちょうど襖の向こうから声がして、花形が返事をしているところだった。
「いただきます」
昨夜の晩と同じく、座卓の上に所狭しと並べられた料理の品々をひとつひとつ丁寧に飛雄馬は口に運んでいく。
「よそいましょうか」
「え?」
空になった花形の茶碗を目にし、飛雄馬は座卓のそばに用意されていたお櫃の中身をよそおうかと訊いた。
「…………いや、結構」
そうか、と飛雄馬は素直に引き下がり、並べられた皿をすべて空にすると最後に急須で湯呑みに茶を入れ、それを啜った。
「ここの、経営者の方とは話でもしたんですか」
「話?ああ、きみもいる中でそんな野暮なことはしないさ。そんなことは帰ってからでも十分、間に合う」
「…………」
花形が煙草に火を付けたため、飛雄馬はひとまず着替えようと席を立つ。
「ああそうだ。飛雄馬くん、話したいことがある。ちょっと」
「ここじゃいけませんか」
灰皿の上で煙草を叩き、花形は飛雄馬を呼ぶ。
何をもったいぶって話すつもりなんだと着替えもそこそこに膝を折り、そばに座った飛雄馬の顎先に花形は指をかけ、ついと上向かせた。
「……昨日は楽しかったね飛雄馬くん」
「…………!」
あれは、現実にあったことだったのだ──。
飛雄馬はニコリと微笑む花形から目が離せず、その場に固まる。
すると、ふいに花形は顔を僅かに傾け、口付けを迫る。
「う、っ!」
しかして、その唇は触れることなく離れていき、代わりにふふ、とこちらをからかうような微笑みを浮かべるばかりであった。
「支度をしたまえ。名残惜しくはあるが帰らねばなるまい」
「…………」
呼んだのは花形さんだろう、と言う言葉が喉元まで出かかったが飛雄馬はそれを飲み込むと花形から隠れるようにして着替えを済ませ、荷物を鞄に詰めた。
そうして、所用を済ませてくると言い残した花形を残し、仲居に連れられるままに旅館の外へと出る。
すると、すでに迎えの車は着いており、また見覚えのある社章入りの帽子をかぶった運転手が頭を下げてきた。
「専務は仕事を終わらせてからお帰りになるそうで、星さんだけを先に帰すよう言付かっております」
「…………」
飛雄馬は開けられた車のドアから後部座席に乗り込むと、それにしても花形という男は──と、つい先程まで隣にいた彼のことを頭に思い描く。
宿泊券のことももちろんだが、仕事が残っているというのも嘘なのだろう、いや、彼なりの優しさとでも言うべきか。
「どこか寄りたいところがございましたら遠慮なくおっしゃってください」
「ありがとう」
飛雄馬が答えると、車はゆるやかに走り出す。
その揺れる車内で飛雄馬は自分の服に僅かに染み付いた花形の煙草の香りに、ふと、夢だとばかり思っていた昨夜のことを思い出し、目を伏せた。