掌握
掌握 眠れないんですか。
てっきり、眠っているとばかり思っていた同室の彼から声をかけられ、楠木はその大きな体を驚きのあまりビクッ!と震わせる。
「すみません、突然……」
楠木の驚きように声をかけた彼──星飛雄馬もばつが悪いと感じたようで、心なしか声がくぐもった。
「あ、いや。こっちこそ。寝とるとばかり思っとったから」
「何か悩みでもあるんですか?最近、どこか上の空みたいですけど」
飛雄馬がベッドに横たえていた体を起こしたか、軽い衣擦れの音が楠木の耳には届く。
「いや、なに、大したことじゃないさ。起こして悪かったな」
「おれで良ければ話してください。楠木さんには世話になりっぱなしだ。それではあまりに申し訳ない」
「…………」
恐らく、日の高い、昼間の時分なら楠木も己の胸中を洗いざらい吐露することはなかったであろう。
これが夜中の、しかも明かりのついていない暗い部屋だったから楠木はふと、話す気にもなった。
弟の正夫のことはもちろん、母親は早くに亡くなっており、郷里で年老いた父がたった一人で先祖代々、農業を生業として生計を立ててきた土地や家を守っていること。
その父から毎月手紙が届くこと。
それらすべてをぽつりぽつりと震える声で楠木は飛雄馬に語った。
弟のためにも、野球には何らかの形で関わっていたいのだが、とも続ける。
しかして、契約更改の際、長島監督に言われたことは飛雄馬には告げなかった。
人一倍気の優しい星はきっと気にするだろう。
そして多分、星ならおれのことは気にせず、郷里に帰ってくださいと言うだろう、と考えてのこと。
「そう、だったんですか。そんな大事なこと……」
「い、いや、これはわしの問題だからな。すまん。夜中にこんな話をしてしまって」
「弟さんはこのことを?」
「あいつにはまず体を治してもらわんとな。それに弟には弟の人生がある。わしは正夫にはもっと広い世界を見てほしいと思っとるし、田舎ののんびりとした暮らしも悪くはないが、そんなのは年を取ってからでも遅くないと思う」
「……楠木さん」
「親父もまだまだピンピンしとるし大丈夫だ。星はまずそのノーコンを直すことに専念しろ」
「…………」
わしは、星に何と言ってほしかったのだろう。
行かないでほしい、と、そう、言ってほしかったんだろうか。
星は今、どんな表情を浮かべとるんだろうか。
楠木はぼんやりとそんなことを頭に思い描く。
壁と呼ばれるブルペン捕手を勤め上げる中で楠木自身、色々なタイプの投手と関わってきた。
けれども、星飛雄馬という男は今まで楠木が接したことのある選手らとは違う、その名の表す通り何か輝くものを持っていたように思う。
体格もそう大きくはない、何か特出したものを持っているわけでもない、それでも彼の存在は目を惹いた。
他の選手らが宿舎に引き返した後も球が見えなくなるまでひとりで投げていたし、雨の日だって休むと体が鈍るからと練習場に出ている。
真っ直ぐに前を見つめ、白い硬球と向き合う彼の姿は凛とし、どこか気高くさえあった。
そんな彼がふと、練習に付き合ってくれませんかと話しかけてきてくれたことがどんなに嬉しかったか。年甲斐もなく、はたまた同性であるのにも関わらず、胸が高鳴ったものだった。
そんな感情に懸命に蓋をして、ここまで来た。
星に悟られてはいけない。彼にわしの一方的な思いをぶつけてはならない。
こちらはいわゆるブルペン捕手、代わりはいくらでも利くが、星飛雄馬と言う投手は唯一無二でかの長島監督でさえ彼には一目置いている。
妙な気を起こしては絶対にならないのだ。
「楠木さんがいてくださったお陰でおれはここまで来られました。本当に感謝しています」
「…………」
夜という時間は、どうして人をこう感傷的にしてしまうのか。暗い部屋の中、世界にふたりきりのような気にさせられる。
「おれが楠木さんの力になれたらいいんですが」
「話を聞いてもらえただけでも有り難いさ。すまないな、妙な話を聞かせた」
「いえ……」
楠木は飛雄馬にもう寝ろ、と告げ、自分もまた掛け布団を頭からかぶる。
しかして頭は冴えてしまっている。
ひとりで抱えてきた家庭の問題を、楠木は初めて他人にぶちまけ、どこかホッとしたような、はたまた己の恥部を曝け出したような気がして今更ながら顔を赤くした。
星飛雄馬と言う人間には、それをさせる力がある。
人の心の深層にいとも容易く入り込んでくるのだ。
「おれには姉がいるんです。ひとり」
「星は弟なのか。ああ、そんな気がする」
「楠木さんみたいな兄がいてくれたらいいのにと考えることがあります。弟さんが羨ましい」
「……星が弟かあ。はは、わしみたいな兄を持つと苦労するぞお」
「楠木さん」
「な、なんだ?急に」
ガバッ!と楠木は体を起こし、飛雄馬の言葉を待つ。いちいち大げさに反応してしまう己が恨めしくもあり、楠木は思わず愛想笑いを漏らした。
「楠木さんにあの日、勇気を出して声をかけてよかったなと思い出してたんです。何かお礼をさせてください、ぜひ」
「礼ならこの前正夫のことで世話になったじゃないか」
「あの件はおれも世話になりましたから」
「う、うむ……」
楠木は口ごもり、目を不自然に瞬かせる。
それじゃあ一晩、星を自由にさせてくれんか、の言葉を飲み込んで、楠木はまた明日、と言葉を濁した。
「ふふ、変な楠木さんだ」
「…………」
星は、わしがそんなことを切り出したら何と答えるだろう。気持ち悪いと吐き捨てるだろうか。
頭がおかしいのではないかとなじるだろうか。
わしは一生、星飛雄馬の面影に縛られることになるのだろうか。
弟のためなんて嘘っぱちだ。
わしは、この男に、星という人間の煌めきに魅入られてしまった。
星……と楠木はうわ言のように飛雄馬を呼び、彼の眠るベッドにふらふらと歩み寄る。
ここまで近付いてようやく、互いの表情の判別がつく。
楠木はベッドに膝をつき、そこに乗り上げると何も言わず、ただそこに横たわったままの飛雄馬の上に跨った。
「星、わしを、わしを……男にしてくれ」
「……いいですよ」
えっ?と楠木が訊き返すより早く、飛雄馬の腕がその首へと回る。
体重をかけられ、半ば無理やり抱き寄せられる形で楠木は飛雄馬と唇を重ねた。
瞬間、楠木の脳裏を郷里での幼少時の思い出から今現在に至るまでの記憶がまるで走馬灯のようによぎった。
人は死ぬときに走馬灯を見るというが、わしは星に魅入られ死ぬとでも言うのだろうか。
組み敷いた体は思っていた以上に細い。
その顔には薄い笑みを湛えていて、心の中すべてを見透かされているような気さえしてくる。
「どうしました、楠木さん」
「あ、いや……その、っ」
かあっと今更、楠木の頬は熱を持つ。
わしは何ということをしでかしてしまったのか。
星は態度にこそ出さんがわしを侮蔑しただろうか。
けれど星ならきっと、ここですまんかった、と一言、そう言えば星は許してくれるに違いないのだ。
「いいですよ、楠木さんになら。誰にも言いません。おれとあなたの秘密です」
音もなく、ベッドに着いた手、その腕に纏わりついてきた指の感触に楠木はビクッ!と体を震わせた。
互いに身に着けているものはランニングシャツ1枚と下着のみという心許なさ。
ごくり、と思わず楠木は唾を飲み込むとそのまま身を屈め、飛雄馬の首筋に顔を埋めた。
「っ……」
僅かに体を仰け反らせ、飛雄馬は楠木の眼下に喉を晒す。
汗の滲んだ肌に楠木は舌を滑らせ、その喉が戦慄くのを見た。
わしは夢を見ているのかもしれんな、と楠木は思う。監督からもコーチ陣からも一目置かれている星飛雄馬とまさか、こんなことになるなんて、と。
時折、楠木が唇を押し当て、肌を吸い上げると飛雄馬の喉奥からは声が漏れた。
誰かと、肌を合わせたのはこれが2回目になるか。 入団したての頃、先輩らに連れられて行った夜の街で訳も分からぬままに大人になった。
他人の肌のぬくもりとは、こんなに心地よいものなのかと驚いたのが、まるで昨日のことのようだ。
「い、っ……」
呻き声が漏れたと同時に組み敷く体が強張ったのを感じて、楠木はハッ!と我に返る。
「す、すまん」
「いえ……こちらこそ変な声を出して……でも、喉に痕を残すのは勘弁してくれませんか」
「…………」
楠木はもう一度、すまんと謝罪の言葉を口にすると、再び己を真っ直ぐに見つめてくる彼の唇に自分のそれを押し当てた。
「う……」
薄く開いた唇の隙間から舌を滑らせつつ、楠木は飛雄馬の穿く下着へと手を這わせる。
手を伸ばしたそこはすでに大きく張り出しており、触れた刹那、ビクンと飛雄馬の腰が跳ねた。
じわり、と互いの肌に汗が滲む。
楠木は飛雄馬の下着の中に指を差し入れ、直にそこに触れるとゆっくり撫で始めた。
手淫をするときのように楠木はそれを握り、上下に擦っていく。
その内に、下着が汚れぬように中からそれを取り出して、楠木は飛雄馬の唇を啄む。
はぁはぁと息も絶え絶えに喘ぐ飛雄馬の反応を見つつ、楠木は手の動きを徐々に速めていった。
すると飛雄馬は体を大きく反らし、楠木に導かれるままに精を飛ばすと、閉じたままになっていた目を開け涙に潤んだ瞳を彼へと向ける。
明かりのついていない、暗い部屋の中、互いの顔など朧気にしか判別できない。
楠木は飛雄馬のその表情を目の当たりにした瞬間、胸の奥がかあっと熱を持ったような感覚を覚える。
煽られた、と表現するのが適当か。
そのまま飛雄馬の下着を剥ぎ取ると楠木は彼の足を左右に開かせ、その間に身を置いた。
臍の下が痛いほどに張り詰め、その先からは先走りを垂らしている。
「やり方は、わかりますか」
「えっ!?」
ふいに声をかけられ、楠木は思わず声を上ずらせた。
「初めてですか?男とするのは」
「…………」
「指で少し、慣らしてもらえますか」
星は誰かと、こういうことをした経験があるのか、の言葉を飲み込み、楠木は飛雄馬に言われるがままに唾液を纏わせた指を彼の尻へと挿入する。
狭い入り口が楠木の指を締め、温かな内壁がそこに纏わりつく。
指を一旦奥まで入れてからゆっくり引き抜くことを何度か繰り返しながら楠木は飛雄馬の体を徐々に慣らしていく。
切なげに指を締め付け、身をよじる飛雄馬の姿がいじらしく、楠木は思わず身震いした。
心臓がこれでもかというほど高鳴り、体は興奮のために熱く火照る。
飛雄馬から指を抜くと楠木は、彼の足を左右に大きく開かせると、腰の位置を合わせてから慣らした箇所に己の一物を当てがった。
「い、いくぞ、星……」
楠木が震える声でそう言うと、飛雄馬はゆっくり頷く。楠木は腰を突き入れ、飛雄馬の中へと己の一部を飲み込ませた。
「あ……っ、」
星の中の、なんと熱いことだろう、と楠木は彼の中を突き進んでいきつつ奥歯を噛み締める。
粘膜が挿入した一部を包み込み、まるでその熱に溶けていくような錯覚に陥る。
「あ、っつ……」
「楠木さん……、ゆっくり……」
余裕ありげに飛雄馬は楠木を導き、口からふうっと気怠げに吐息を漏らす。
余裕がないのはどうやらわしの方だけらしい、と楠木は飛雄馬の中を押し広げていきながら上体を屈め、彼の唇に口付ける。
すると、まさか口の中に舌を差し入れられ、楠木はそのまま飛雄馬の中に射精してしまう。
あっ!と思ったときにはすでに遅く、どくどくと脈打ちつつ飛雄馬の腹の中に精液を撒いている。
飛雄馬もその脈動に気付いたか、ふと、唇を離すとニッと口元に笑みを浮かべた。
しかして楠木のそれは、射精を終えたのちも萎えることはせず、むしろ暴発してしまった焦りと気恥ずかしさを払拭するために無心に腰を振り出す。
その度に、結合部からは精液が掻き出される羽目になり、ぐちゅぐちゅと卑猥な音を立てた。
「ん、ん……」
飛雄馬の腹の奥をぐりぐりと煽りながら楠木は抱く彼の名を呼ぶ。
うっすらと目を開け、己を見つめてくる飛雄馬を見下ろしたまま夜の街で経験した記憶を手繰り寄せながら楠木は腰を回す。
「あ、ぁっ……っ!」
背中を大きく反らした飛雄馬の中がきゅうきゅうと楠木を締め付け、達したことを赤裸々に教えてくれた。
顔を覆い、身を震わせる飛雄馬を見つめ、楠木は腰を浅く使い、中を優しく突き上げる。
「楠木さ、ぁっ──!」
「ずいぶん、手慣れとるようだな星……」
「てなれて、なんか……っ、」
飛雄馬の腹の上に乗ったランニングシャツの裾が、楠木の腰の動きに合わせて揺れる。
「星、出すぞ……しっかり受け止めろ」
「ふっ、う……うぅっ!」
飛雄馬の腹の中に再び締め上げられ、楠木は辛抱たまらず彼の中に2度目の射精をした。
戦慄く飛雄馬から体を離し、楠木が一物を引き抜くとどろりと掻き出された精液が溢れ落ち、尻を伝い落ちた。
「星、大丈夫か、わし……」
「ふふ……楠木さんが謝ることじゃないです。お礼をしたいと言ったのはこっちの方ですから」
「…………」
ほら見ろ、思ったとおりだ。
楠木は先にベッドから降り、手探りで探したティッシュで後仕舞いをする飛雄馬の姿を見守る。
星の優しさにわしは付け込んでしまった。
優しい、だからこそ星は恐ろしいのだ。
「明日もまた、よろしくお願いします」
飛雄馬からティッシュ箱を受け取り、楠木は頷く。
星は一体、どれほどの思いを、人間の業を、その身に受けてきたのだろう。
楠木も後処理を終えると、飛雄馬と同じように自分のベッドに潜り込む。
星飛雄馬の肌の熱さを、果たしてわしは忘れることができるのだろうか。
星にとってわしはその他大勢かもしれんが、わしにとって星という男は…………。
楠木は暗い部屋の中に微かに響き渡る、飛雄馬の寝息を聞きながら胸を締め付ける切なさに唇を引き結んだ。