真意
真意 困ったことになったぞ、と飛雄馬は渡されたメモと自分が行こうとしている方向とを見比べ、目を細める。
今日は新聞社からインタビューの依頼が来ているから今すぐあちらに出向いてくれ、と飛雄馬は川上監督に練習が終わるや否や、いきなり呼び止められ、1枚のメモを強引に押し付けられた。
そこには昼過ぎに○○新聞社のロビーで、としか書かれてはおらず、会社ビルの所在地も電話番号どころか担当者の名前も記載されてはいない。
ずいぶん適当な仕事をする記者だなと飛雄馬はメモに視線を落としつつも、社名さえ分かっていれば電話帳なりを調べれば分かるだろう、と高を括り、供を申し出た伴にその気持ちだけ受け取っておくとだけ伝え、ひとりで新聞社へと向かった。
事前に最寄りの駅や電話番号はメモしてきたが、どうもそれらしき建物が見当たらず、かと言って公衆電話も喫茶店も近くにはないようで、一度駅に戻ってそこから電話をかけてみようか、それともタクシーを捕まえようかと悩んでいると、ふいに背後から名を呼ばれ、飛雄馬はビクッ!と体を震わせた。
「きみがひとりとはね、珍しいこともあるものだ」
「花形さん」
振り返った目線の先には、今や阪神のプリンスなどと騒がれる花形満の姿があり、一番、会いたくない人に会ってしまったなと己のタイミングの悪さに歯噛みしつつも、どうもと頭を下げ、用があるのでと飛雄馬は足早にその場を立ち去ろうとする。
「まあ、待ちたまえ。そう邪険に扱うこともあるまい。何か用事があってきみはここに来たんじゃないのかね。そして、道に迷っているし、このままだと待ち合わせの時間に遅れてしまう。大方、こんなところだろう」
フフン、と花形がいつもの調子で笑みを浮かべたのと相反するかのように、彼の言葉に図星を突かれた飛雄馬は、うっ……と呻き声を上げると、眉間に深い皺を刻んだ。
「当たりのようだね。フフ……なに、新聞社ならここから歩いてもすぐの距離だ。走れば間に合うさ」
ほら、ぼくの後ろに看板が出ているだろう、と花形は己の背後を立てた親指で指し示す。
近くまで、来ていたんだと飛雄馬は花形の肩越しに○○新聞社の看板の出ているビルに視線を遣ると、ほっと胸を撫で下ろした。
「よかった、花形さんのお陰で遅れずに済みそうだ」
「礼には及ばんよ。遅刻せずに済んで何よりだ」
花形さんも、ああ見えて優しいところがあるのだな、と飛雄馬は花形との思いもよらぬ場所での再会に嫌悪感さえ抱いた己を恥じた。
そう考えると、おれはこの人のことを何も知らないのではないか、とも思えてくる。
野球界に身を置かずとも、花形モーターズと言えば日本のみならず外国にだって自動車を製造、販売している会社で、そこのひとり息子ともなれば将来の道など約束されたものであろうに。
一体、花形さんは何に魅せられてこの実力主義のプロ野球界に足を踏み入れようと思ったのだろうか。 「……………」
飛雄馬はその整った花形の横顔を、ふっ、となんの気なしに瞳に映す。
凛々しく整った顔の裏側で一体、何を思い、どんな考えを巡らせているのか。
おれは恐らく、この人の考えていることは一生わからんままなのだろう。
それが幸か不幸か、今のおれには判別がつかない。
「ああ、星くん、待ちたまえ」
囁くように花形は飛雄馬を呼ぶと、まさかのふい打ちに面食らい、立ち止まった彼の頬へと手を伸ばす。
「…………!」
すうっ、と花形の指が飛雄馬の目元にすり寄ってきて、目袋の位置を目尻に向かって音もなく優しく撫でた。
「まつげが、ついていたのが気になってね」
「それは、どうも……」
触れられた側の目をこすり、飛雄馬は会釈すると花形に背を向け駆け出す。
厚いガラスで作られたビルの出入り口の扉を開けると、飛雄馬はこちらに向かって頭を下げてきた受付の女性に自分の身分を明かし、しばらくかけておくように言われたロビーのソファーへと腰を下ろした。
指定された時間にギリギリ間に合い、飛雄馬はふうっ、と口から鋭く息を吐く。
今度会ったときはちゃんとお礼を言わなければなと飛雄馬が花形に触れられた頬を撫でていたところに訪れた記者を目の前に席を立ち、深々と会釈をすると、柔和な笑みをその顔に湛えた。