深憂
深憂 ちら、と飛雄馬はリビングの壁にかけられている時計に視線を遣った。
今日は伴が飛雄馬のマンションに遊びに来ている。
飛雄馬が時計を仰いだのも、もう間もなくここを出なければ宿舎の門限に間に合わないなと思ったからで、もうそろそろ伴に声をかけなければ、と口を開いたところに、伴が今日は外泊届を出してきた、と、そんな台詞を口にした。
「外泊届?」
訊くと、伴は大きく頷き、ソファーの隣に座っていた飛雄馬の顔を見つめる。
「最近、眠れとらんのだろう」
伴の大きな瞳が自分の姿を真っ直ぐに映して、そんな彼の顔がまともに見られなくて、飛雄馬は顔を逸らす。
この男には、何でもお見通しだな──と思いつつも、おれはそんなにひどい顔をしているのだろうか、とも飛雄馬は苦笑する。
とうちゃんが中日に行き、オズマとの特訓を始めてからどれくらいになるだろうか。
大リーグボール一号を打たれ、もう何日になるだろうか。
つい最近のような気もするし、はたまた、もう遠い昔のような気もする。
ねえちゃんの手前、ほとんど味の分からぬ料理も無理に腹の中に詰め込むことの繰り返しで、ベッドに入ってもろくに眠れぬ日々が続いていた。
暗い寝室の、真新しい天井を見上げても今後についての何か良い案が浮かぶわけでもなく、閉じたまぶたの裏に浮かぶのは嫌な思い出ばかりで、一晩に何度も寝返りを打った。
「おれがついててやるから、星よ」
ぽつり、と伴が紡いだ言葉で飛雄馬はハッと我に返る。それから、小さく微笑みをその顔に浮かべた。
「…………それと、これとの何の関係がある?おれが眠れていないことと、伴がついていてくれることの関連性が、よ、く……っ!」
飛雄馬が言い終える前に、伴はぎゅうと力強くその体を抱き締めた。
それこそ、息が止まりそうなほど強く。
飛雄馬は全身を包む暖かさと、その腕の圧と顔の触れている伴の鼓動の音に唇を噛み締める。
ああ、そうだ、伴だけは、変わらずここにいてくれる。変わらぬ熱をくれる。
でも、果たして、それでいいのだろうか。
伴にも、伴の人生があって、幸せがあるはずで──。
ほし、と囁くような声で伴が名を呼んだことで、飛雄馬はまたしてもそこでハッとなる。
伴は腕の力を緩めると、飛雄馬を解放してやってから、星、と再び名を呼び、顔を寄せてきた。
「…………」
飛雄馬はいつもの癖で目を閉じ、薄く唇を開くが、触れる寸前に、待った!と制止をかけた。
「……う、う、む、すまん……いつもの調子で、つい……」
「場所を、変えよう……眠るのなら、ベッドの方がいい」
「…………」
ゴクッ、と伴の喉が大きく動いたのが飛雄馬の目に入った。
飛雄馬は先にソファーから降り、寝室への道のりを真っ直ぐに歩む。
それからすぐ、背後に気配があって、飛雄馬は汗ばむ掌を一度着ているシャツの袖で拭ってから寝室の戸を開ける。
飛雄馬が共にこの部屋に住んでいる姉・明子はついさっきふたりを残し買い物に出たばかりであり、たまにはゆっくりしておいでよとふたりは彼女に息抜きを勧めた。
ゆえに、明子がここに戻るまでにはまだしばらく時間がある。
薄暗い部屋の中、飛雄馬はベッドの端に腰掛け、続いて入室してきた伴を仰ぐ。
「ふふ、このベッドにふたりは入らんかもしれん」
言いつつ、ベッドの中ほどまで移動し、飛雄馬は伴を呼ぶ。
と、伴はベッドに膝をつき、飛雄馬の元へとゆっくりにじり寄った。
別に、今更、緊張する間柄でも、ないのだが、と飛雄馬は真剣な表情を浮かべ、ベッドの上に仰向けに寝転がった自身の上にのし掛かってきた伴を見上げる。
幼い頃から例のギプスを科せられ、何かあれば手を上げられてきたおれに、伴はそれこそ壊れ物を扱うかのように優しく触れてくるのだ。
そっ、と唇に押し当てられた伴の口付けを受け入れ、飛雄馬は目を閉じる。
いっそ、野球なんぞ辞めてしまって、この男と共に暮らすのも悪くないと思ってしまう自分がいる。
とうちゃんに認められるために、よくやったと褒めてもらうために、自分のことを押し殺して懸命に白球を放り、追いかけた日々。
それが今、とうちゃんは、星一徹は敵となった。
それならば、おれは今、何のために野球をする?
「あ、う……!」
伴の舌が首筋をなぞって、飛雄馬は声を上げる。
薄い皮膚を吸い上げる音がやたらに部屋に響いて、飛雄馬の体がかあっと火照った。
熱く、大きな手がシャツの裾から入り込んで、腹を撫でる。
この掌のおかげで、おれは16を背負っていられる。
この手が、伴の存在がなければおれは甲子園にだって出場できなかったに違いないのだ。
伴の指先が腹から胸、そうして胸の突起へと触れ、飛雄馬は小さく呻くと、顔を逸らす。
すると、ちょうど横を向く形になって、上向いた飛雄馬の右耳に伴は唇を寄せ、そっと息を吹きかけた。
「っ、ん……」
それに身をすくませた飛雄馬の突起を指先で弄りつつ、伴は彼の耳の形に沿って舌先を滑らせた。
「あ、っ、」
唾液を纏った舌の這う音がまともに鼓膜に伝わって、それだけでもぞうっと震えが来ると言うのに、限界まで膨らんだ突起まで嬲られ、飛雄馬ははしたなく声を上げる。
乳輪ごと乳首を抓み上げられ、それを押しつぶされて、悲鳴に近い声を飛雄馬は口から漏らした。
ビリビリとした鋭い刺激がそこから全身に走って、股の間が熱を持ち始める。
下着を持ち上げ、やたらに存在感を示すそこを持て余すかのように飛雄馬は腰を動かす。
伴はそれに気付いたか、飛雄馬の乳首を嬲るのを中断させ、彼の下半身に手をやるとスラックスの上からその位置を撫でさすった。
「っ、ひ……あ、あ、あ」
身を仰け反らせ、飛雄馬は喘いだ。
伴は掌底で飛雄馬の敏感な亀頭をスラックスと下着の布地越しに刺激する。
すりすりと裏筋の位置を撫でていたかと思えば、掌全体でそこを撫で上げた。
「や、っ……め、へんなこと、するな……」
「へっ、変?おれは、そんな」
「焦らさんで、くれ……っ、」
「おれは、星の体を慣らしてからと、思って」
何やらもごもごと口元で呟いている伴を尻目に飛雄馬はベルトを緩め、スラックスのボタンを外すとそのまま腰を上げ、下着共々それらを脱ぎ捨てた。
瞬間、腹につくほど反り返った男根が顔を出し、切なげに震えた。
あ、と驚いたような声を上げたのは伴の方で、またしてもその大きな喉仏を上下させる。
はあっ、と飛雄馬は深呼吸し、さわってくれ、と一言、呟いた。
「えっ!?さわ、っ」
「伴、はやく」
伴は指を開いたり、拳を握ったりを数回繰り返したのち、飛雄馬の男根にそっと手を添える。
「あ……ん、伴、いっかい、いかせて……だしたい」
「っ……」
裏筋とカリ首の位置を覆うように男根を握り、伴はその手を上下させる。
既に溢れていた先走りが潤滑剤のような役目を果たし、伴がそこをしごく度に卑猥な水音を立てた。
「っ、ん……ん、伴、ばん、っ」
とく、とくっと飛雄馬は伴の掌に白濁を放出させ、その眉間に皺を寄せる。
「星、きさまもこれで疲れてゆっくり眠れるじゃろう。妙なことをさせてすまんかったのう」
申し訳なさそうに笑いつつ、伴は自身のスラックスのポケットからハンカチを取り出すと、それで手を拭った。
「ば、ん……」
「星、睡眠が一番じゃぞい。眠るまでそばにおるから安心せい」
にっこりと微笑む伴のその優しさに飛雄馬は顔を歪め、唇を引き結ぶ。
違う、そうじゃない、伴、きみの優しさは、時としておれをひどく傷つけることがある。
飛雄馬は腕を使い、伴の下から抜け出るようにして体を起こすと、何事かとその行動を目で追っていた彼の首へと腕を回す。
「ほ、ほし?」
「伴がほしい」
「……!」
あからさまに伴の体が動揺に震えた。
こんなにらしくない台詞を紡いだ飛雄馬の体も恥ずかしさゆえに熱く火照ったが、それは今の言葉を耳にした伴も同じであった。
「しかし、明子、さん、が」
伴の声が変にうわずる。
「何のために、ゆっくりしてこいときみはねえちゃんに言ったんだ。ふふ、今更怖気づくのか」
「…………」
耳元で囁き、飛雄馬は先程されたように伴の耳に口付ける。
瞬間、伴は飛雄馬の体を抱くようにしてベッドにどっと押し倒した。
スプリングが派手に軋んで、ギシギシと鳴る。
伴は何も言わず、組み敷いた飛雄馬の唇に貪るような口付けを与えそのまま彼の足の間から手を入れ、その尻を撫でた。
「っ、ふ……」
再び、飛雄馬の肌が総毛立つ。
口内にある伴の舌の愛撫に応えつつ、飛雄馬は足を開くと膝をそれぞれ立て、彼の来訪を待ち侘びる。
一度、伴は唇を離すと体を起こし、ハンカチを仕舞った方とは逆のポケットから何やら容器を取り出すと、蓋を取り、中身を指で掬った。
飛雄馬の腹の中が期待できゅん、と疼く。
もう、おれは、これがないと、ろくに眠れんのかもしれん、とそんな馬鹿げたことを考えながら、飛雄馬は体の中に入ってきた指に意識を向ける。
内壁を擦り、入り口を慣らすようにしながら伴は奥へと指を滑らせてくる。
入り口を解すように伴は指を動かし、飛雄馬の反応を見る。
人の心配ばかり、伴はしているが、彼自身、ゆっくり眠れているんだろうか。
自分のことでなく、おれのことばかり考え、大きな体を毎晩ベッドの上で右へ左とやっているんじゃなかろうか。
おれは、伴を解放してやらなければいけないのではないか。
「あ………!」
伴の指先がとある位置を探り当てた。
びくん、と飛雄馬は身を震わせ、そこに全神経を集中させる。
その刺激のおかげで、射精し、一度は萎えた男根が再び熱を持つ。
「あ、あ、あっ……」
体が上ずり、高い声が飛雄馬の口からは漏れる。
「星……ずっと、おれがついとるから、おれはずっと、星のそばにいる」
「っ……」
仰け反り、喉を晒す飛雄馬の瞳がじわりと涙に濡れる。
ほら、まただ、伴の優しさがおれを傷つける。
大リーグボール一号が打たれたから、次は二号だなんて、そう、人生上手くいくもんじゃない。
伴はおれひとりが縛りつけて、利用していい男ではない。
「伴、っ、きて……腹の中、伴でいっぱいにしてくれ……」
ああ、それなのに、おれはまた、伴に縋る。
今だってそうだ、腹の中を満たしてくれ、と。
もういっそ、何も分からなくしてほしい。
伴に抱かれながら、こんなことを考えるおれを、馬鹿だと笑ってほしい。
慣らした場所を掻き分けつつ、体の中心を貫く熱に飛雄馬は唇を引き結ぶ。
その固く閉じられた唇に伴は口付けを与えながら、ゆっくり、ゆっくりと己を押し進め、飛雄馬の反応を見る。
「星なら、きっと大丈夫じゃい」
「う、っ………」
伴は優しく囁くと、腰を打ち付け始めた。
腰を振るたびに粘膜が引きずられ、飛雄馬は喘ぐ。
互いの尻と腿がぶつかり、はたまた、その動きでベッドが軋み音を立てた。
「いっ、ん、んっ……は、ぁ、あっ」
声を殺すかのように口元に手を遣っていた飛雄馬だったが、伴がより深い場所を抉ってきたために体を反らし、高い嬌声を上げる。
目尻に浮いた涙が滑り、頬を濡らす。
飛雄馬の両足をそれぞれの脇に抱え、伴は角度を変えるようにして彼の腹の中を嬲った。
「あ、っ!!あ……あ──」
ぐりっ、と伴の亀頭が前立腺の位置を内壁越しに擦ったとき、飛雄馬の目の前は真っ白になった。
そこからしばらくの記憶はなく、ふと目覚めれば、ベッドの上で布団をかけられ横になっていたようで、飛雄馬は気付くや否や慌てて体を起こす。
夢?いや、そんな、まさか──。
痛む頭を押さえ、何度か瞬きを繰り返せば、リビングの方から楽しげに談笑している伴の声が聞こえてきて、飛雄馬は目を閉じるとそのまま後ろに倒れ込む。
どうやらあのまま眠ってしまったようではあるが、まだ頭はぼんやりとしている。
リビングからは伴の笑い声がひっきりなしに聞こえている。伴の、あんな笑い声を聞いたのはいつぶりだろうか。
おれといると伴はいつも険しく眉間に皺を寄せ、とても辛そうで、やっぱり、おれは。
うっ、としゃくり上げたとき、星?と呼ぶ声がして、飛雄馬はドキッと身を跳ねさせた。
「すまん、起こしたかのう」
「い、や……だいじょうぶ、だ」
飛雄馬は部屋に入ってくる伴から逃れるかのように布団の中に頭から潜った。
「星、またお前のことじゃから悪いことばかり考えとるんじゃろうが、おれはきさまに地獄の底までついていくと誓った仲じゃあ。ちょっとやそっとは離れはせん」
「…………」
「もう少し、寝とるとええ。明子さんも心配しちょったぞ」
言うと、伴は部屋を出ていく。
飛雄馬は布団の中で声を押し殺す。
ああ、もういっそ、この手を取って、どこか遠くに逃げ出してくれたらいいのに、とそんなことを思ってしまうのは、全部、睡眠不足のせいなんだろうか。
寝返りを打ち、飛雄馬は目を閉じると頬を濡らす涙の熱さにぐっと唇を噛み締めた。