紫煙
紫煙 引き結んだ唇の下で歯を食い縛った飛雄馬のそれに花形は緩く口付け、飛雄馬くん、と優しく名を呼んだ。
その声色が妙に優しく、花形の存在している腹の中に染み渡って彼の一部を強く締め付けたであろうことが飛雄馬自身にもハッキリと自覚できた。
ふふっ、と微笑む声が耳を犯して、飛雄馬はビクッ、と体を震わせる。
早く、早くしなければ、夕食の支度を終えたねえちゃんが花形さんを呼びに来る。そうしたらおれは、いや、ねえちゃんはどうなる。
おれはまた、ねえちゃんを不幸にしてしまうのか。
「集中、していないね。何を考えている?」
目元を覆う飛雄馬の腕の辺りまで顔を寄せた花形が問う。ギリッ、と飛雄馬は再び奥歯を噛み締め、無言を貫いた。
すると花形はゆっくりと腰を引き、飛雄馬の中から自身を抜く。
「ひ、っ……ん、ん」
「ぼくは別に、ここでやめてしまっても構わんが」
「あ……う」
中途半端なところで引き抜かれたせいで飛雄馬の腹の奥が疼いた。
「明子、飛雄馬くんが腹が減ってたまらんそうだ。急いでくれたまえ」
「っ……!」
ほんの僅かに開いた扉の方角へ向かって花形は叫んだ。飛雄馬はリビングのソファーの上に横たわったまま、下唇を噛んだ。
夕食に呼ばれた飛雄馬が花形邸を訪ねて、まだ1時間にも満たない。
姉の明子がどうしてもと言うので外出許可を取り、こうして訪ねてきたまではよかったが、ひとり、晩酌を嗜む花形に1口だけと誘われ、飲みつけない洋酒を口にしたのがすべての元凶だった。
かの長島監督から直々に頂いたものだから、と、花形は言葉巧みに飛雄馬を丸め込み、彼を酔わせることに成功したのだ。
花形に何事か伝えようと飛雄馬は唇に隙間を作り、彼の体の幅だけ開いていた両足を更にソファーの上で左右に開いた。
「あなたが、っ……始めたことだ」
「…………それで?」
「こんな、中途半端で終わられたら、っ……」
「ふぅん。じゃあ、どうしてほしい?」
ぐっ、と花形は抜いたばかりの男根に手を添え、飛雄馬の尻へとそれを充てがう。
「あ、なたと、言う人は……」
「人のせいにするのはよしてくれ。誘ったのはきみだよ、飛雄馬くん」
目元から腕を離し、飛雄馬は涙の滲んだ瞳を花形に向けた。
瞬間、かあっ、と花形の全身が熱く火照った。この期に及んで、なんて目をするのだろう。
その黒い瞳が悔しそうに、口惜しそうに歪むのが堪らなく好きで、きみの両眼に映るぼくはなんて嫌らしい顔をしているんだろう、とそれだけで鳥肌が立つ。
花形は飛雄馬の窄まりに手を添えた自身の一部を飲み込ませ、腰を押し付けた。
花形の形に作り変えられた内壁たちが定位置に戻りつつあったところに一気に腰を突き込まれたことで、その形容を体に刻まれ、飛雄馬は声を上げ、呻いた。
「あっ、あぁ、あ……!!」
ぞくぞくとした快感が飛雄馬の背筋を駆け上がり、その身を震わせる。
閉じた目の縁に生え揃ったまつ毛は絶頂の余韻に震え、花形をきつく締め上げた。 「ふふっ、まさか入れただけで達してしまうとはね」
脱力した飛雄馬の腰を掴み、花形は自身の後ろにあったクッションを彼の体の下に敷き入れてやると、深く彼の中に己を埋め、先程とは違う箇所を抉る。
「ま、っ……今、腹の中、まだ」
「それはきみの都合だろう。自分の感情で人を振り回すのはいい加減やめたまえ」
ぎしっ、とソファーを軋ませ、花形は飛雄馬の脇の下から座面に手をつくと彼の身体を揺さぶりにかかった。
「は………っ、」
仰け反った飛雄馬の唇の端からたらりと唾液の線が肌の上を滑る。
飛雄馬の顔を覗き込むように花形は彼の体の上に覆い被さり、身を屈めると、その顎先に口付けた。
「飛雄馬くん、長島さんのくれたワインは口に合ったかい」
「や、っん……今、長島さんの名前を、口にするなァ、あっ!」
「……何か支障でもあるのかね」
「あ、ぁっ……いやだ、いやだ……」
顔を振り、拒絶の言葉を吐く飛雄馬の唇に花形はそっと口付け、腰の動きを早める。
花形の身に纏うスーツの袖に縋りついて、飛雄馬は与えられる快楽に身を預け、それに酔った。
花形の責める位置が的確に敏感なところを擦って、飛雄馬はそのたびに彼を締め付け、体を戦慄かせた。幾度となく花形は飛雄馬に口付けを与え、その白い肌へと痕跡を刻んでいった。
「い、っ……花形、っ……」
「堪え性がないな、飛雄馬くんは」
花形は体を起こし、飛雄馬の中を掻き回すように腰を動かして、自身の射精を促すために腰を振った。
「っ、は……あっ!あっ、あ」
きゅん、きゅんと飛雄馬の腹の中は疼いて、花形の欲を待ち侘びる。
その様を花形は感じ取ったか、ニヤリと口の端を上げ、飛雄馬の中に精を放った。
「………っ、う、う」
「ずいぶん、楽しんでくれたようでぼくも嬉しいよ」
後始末をしつつ、花形は微笑むとスラックスと下着の中にそれぞれ男根を仕舞ってから、床に落ちた飛雄馬の下着を拾ってやる。
「誰が、楽しんで、なんかっ……」
花形を睨み、飛雄馬は散々嬲られた腹の中を労るように自身の腹部を撫でた。
「まあ、そういうことにしておこう」
くっくっ、と花形は喉を鳴らすとテーブルの上に置いていたシガレットケースを手にソファーの端に座って、その中の1本を口に咥えた。
「………いつから、それを?」
「それ?ああ、迷惑かね」
ソファーに座ったまま下着を身に着けスラックスに足を通しつつ、煙草に火を付けた花形に対し飛雄馬がそう、訊いた。
酒のせいか、はたまた久しぶりに嗅いだ煙草の煙のせいか飛雄馬の体はふらふらとよろめく。
「花形さん、らしくない。煙草だなんて」
「…………きみのいなくなった寂しさを紛らわすためさ。伴くんも葉巻を吸っていただろう。酒も、煙草も付き合いで、と言えばそれまでだが、元はと言えばきみのせいだ」
口から紫煙を吐きつつ、花形はニッ、と微笑む。
「……もう、やめたらどうですか」
「じゃあ、きみはぼくのものになってくれるかい」
煙草を唇に挟み、花形は訊く。
え──?と飛雄馬は乾いた涙の跡を拭って、花形を見遣った。
「ふ……フフッ、嘘だよ。本気にしたかい」
「花形さんの言葉はいつも、嘘か本当か分からない」
「…………好きなように、取ってくれて構わんさ」
煙草の灰をテーブル上の灰皿へと弾き落として、飛雄馬くん、と呼んだ。
「…………」
警戒し、飛雄馬は花形から距離を取る。
再び花形は苦笑し、煙草を咥えるとソファーの上で足を組む。
と、明子が扉の前でふたりを呼び、お待たせしてごめんなさいと夕食の支度ができたことを告げた。
「行きたまえ。ぼくはこれを吸ったら行くよ」
「…………ワインは、嘘でしょう」
「え?」
立ち上がった飛雄馬は、部屋を出て行き際にそんな台詞を吐き、扉を閉めた。
花形は閉じられた扉をしばらく見つめていたが、ふいに吹き出すと、そうか、ぼくはてっきり飛雄馬くんはまんまと騙されていたのだと思っていたのだが、彼は初めから分かってくれていたのか、と灰皿に煙草を押し付け、火を消すと、ソファーに背を預ける。
ああ、どこまで行ってもきみは優しいのだな、と花形は目を閉じ、2本目の煙草を口に携えつつ、小さく笑った。