思慕
思慕 トイレから戻り、ベッドに潜り込んだ丸目はなかなか寝付けず今宵、数度目となる寝返りを打つ。
すると、同じ部屋で同じような造りのベッドに横になっていた星飛雄馬から、眠れないのか?と尋ねられ、頭から布団に潜り込んだ。
「丸目?」
「うるせえなあ、先輩よぉ、やっと眠れそうだったのに話しかけねえでくれよ」
「…………それは、すまないことをした。おやすみ、丸目」
丸目の背後で飛雄馬が寝返りを打ったかベッドがぎしりと軋んで、僅かに布団の擦れる音がしたもののすぐに静かになった。
「あ、あのよぉ、先輩の、お姉さんってどんな人だ?」
「眠れそうだったんじゃなかったのか」
「す、少しくらいいいじゃねえか」
布団から顔を出し、飛雄馬の眠るベッドと対面するように丸目が寝返りを打つと、ちょうどこちらを見つめていた彼と暗闇の中、視線が絡み合って思わず目を瞬かせる。
「……丸目には、お兄さんがいると聞いているが」
「おれの、話なんて聞く必要ないだろ」
「ふふ、自慢の兄さんなんだろう」
「べ、別に、そんなんじゃねえや。口うるさい兄貴で嫌になるぜ」
「それは丸目のことが可愛いからだ。間違った道に進んでほしくないというお兄さんの親心さ」
「そういう先輩のお姉さんはどんな人だったんだよ」
おれの?と飛雄馬は訊き返し、頷いた丸目から視線を逸らしつつ、優しい人さ。いつも自分よりおれのことを一番に考えてくれた、と続けた。
「一番、ねえ。長男、長女ってえのはそういうところがあんのかねえ」
「さあ、そうかもしれんな……ふふ、いつか丸目のお兄さんにも会ってみたい気がするな。大事な弟を預かる身としては」
「けっ、兄貴はひとりでたくさんだぜ」
丸目が吐き捨てるように言うと、飛雄馬は再び、ふふふと笑みを溢し、そろそろ寝るとするか、と言うなり目を伏せる。
「先輩」
「…………」
「寝ちまったのか?」
「起きてからゆっくり話そうじゃないか、丸目」
「……こっちはあんたのせいで目が冴えたっつうのによ」
「意外とおしゃべり好きなんだな」
「なっ、」
思わず丸目の声が裏返って、飛雄馬はまさかの返答に吹き出すと、体を起こし、ベッドの上でいわゆる体育座りと呼ばれる格好を取ると、少しなら付き合うが、と彼の方を見遣った。
「おっ、おしゃべりなのは先輩の方だろ!自分から吹っ掛けてきといて!」
「それで、丸目はおれと何の話がしたい?野球のルールか。それとも青雲高校での思い出話か」
少し声量を落とせ、と飛雄馬は続けてから、丸目の言葉を待つ。
「じゃあ、例の親友さんとの馴れ初めでも話してもらおうか」
ハッ、と飛雄馬は丸目の口を吐いたまさかの台詞に目を見開いてから、その眉間に深い皺を刻んだ。
「……高校柔道界で名を馳せた彼もまた、今のきみのように柔道を捨て、野球の道をひた走ることになった。柔道をあのまま続けていたらオリンピックも夢ではなかったかもしれんとの話だったか。ふふ、丸目もレスリング界の明日を担う存在だったと聞いている」
「そういう、ことじゃねえよ。おれが聞きたいのはよ」
「……そういうことも何も、伴とは高校時代、バッテリーを組んでからの付き合いで、それ以外は何も、丸目が期待しているような関係じゃないさ。おれとしては伴が早くいい人を見つけて身を固めてくれることを祈っているんだがな」
「へえ、それじゃあ先輩は後援会長の熱視線に気付かない鈍感野郎ってことか。野球のことには人一倍敏感で気が利くってえのに、人の好意には無頓着ってわけか」
「……………」
丸目の焚き付けるような物言いに飛雄馬は口を噤み、表情を曇らせる。
「そろそろ解放してやんなきゃよ、後援会長も可哀想だぜ」
「……別に、こちらとしては何も、繋ぎ止めているわけではないんだがな」
飛雄馬はぽつり、と呟いて、立てた己の両膝に顔を寄せる。
それから、おれはもう、誰にも不幸になってほしくないと続け、膝頭に顔を突っ伏した。
「……おっ、おれは、先輩に会えてよかったと思ってるぜ。お陰で寿司がたらふく食えるしよ」
「…………」
「先輩」
「ふふ、なに、少し眠っていただけさ。丸目、もう寝よう」
顔を上げ、飛雄馬は丸目に一瞥もくれぬまま布団に潜り込むと、おやすみと言ったきり、黙った。
先輩、とそれから何度呼んでも応答はなく、丸目は舌打ちすると自身もまたベッドに横になり、天井を見上げる。
きっと先輩はおれのこと、弟くらいにしか思ってくれてねえんだろうな。
別に、先輩とどうにかなりたいとか、一番になりたいとかそんなんじゃねえ。
ただ、ユニフォームを着て、マウンドに立つときだけはおれのことだけを見ていてほしい、だなんて。
馬鹿みてえ、と丸目は吹き出して、飛雄馬の球を受ける左の、腫れた赤い掌を眼前に突き出すと、悔しかったら巨人に入り直してみやがれ、と、小さく悪態を吐いた。