説得
説得 伴くんが酔ってどうにも手がつけられんので、うちに来てくれないか──。
その一報が、伴の屋敷に居候する飛雄馬の耳に入ったのが間もなく時計の短針が10を指す、夜遅くのことであった。
何度も何度も鳴る屋敷の黒電話を、飛雄馬も当初は居候の身で出るのも気が引けるゆえに、無視してしまおうと考えていたのだが、こう何度も呼び出されるとすでに眠っているサンダーさんにも迷惑がかかる、と意を決して受話器を取るに至ったのだ。
何か用事があるとかで帰りは遅くなるから、先に寝ていていいぞと伴は話してくれたが、まさか花形の屋敷に出向く用事だったとは──と飛雄馬は歯噛みしながら伴の家を着の身着のまま飛び出し、大通りに出てすぐ、捕まえたタクシーに飛び乗った。
等々力の──ええと、花形の……言いかけ、飛雄馬は花形邸の住所の番地を知らぬことに今更、はたと気付いたが、『等々力』『花形』のふたつの単語のみで察しのいいタクシーの運転手は合点がいったらしく、ああ!花形さんのお宅ですね!とバックミラー越しに微笑んだ。
「…………」
運転手はそれから、まさか後部座席に体を預けているのが、数年前に行方をくらませた巨人の星飛雄馬だとは露知らず、花形が大リーグボール1号を打ち取った試合の話を、目的地に着くまでその張本人に語って聞かせた。
伴が何か入用の際に使ってくれと置いていった数枚の聖徳太子がここで役に立つとは、と、飛雄馬はポケットから取り出した万札で乗車料金を払うと、花形邸の入口に当たる門を開け、広大な敷地の中に足を踏み入れる。
ここから屋敷の玄関まではまだしばらく距離がある。
前回、屋敷を訪ねたときは辺りを見回す余裕はなかったが、どうにも広すぎると飛雄馬は舗装された道を歩きつつ、そんなことを思う。
こんなに夜遅くに出歩いて明日、サンダーさんとの練習に支障が出やしないだろうか、伴が暴れて屋敷の調度品などを壊していやしないだろうか、と飛雄馬はあれこれ考えながらようやく辿り着いた玄関のチャイムを押した。
「あっ、飛雄馬!」
すると、そう間を置かず、明子が玄関の戸を開け顔を出した。
ねえちゃん、と飛雄馬が口にするや否や、伴さん、今ちょうど寝てしまったところよ、と少し表情に疲労の色を覗かせる明子は、そう、言った。
「寝た?」
「ええ、そうなのよ。急に呼び出したりしてごめんなさいね」
「せっかく来てくれたんだ。上がっていったらどうだね」
「…………」
飛雄馬は明子の背後から顔を出した花形の顔を無言のまま見据える。
この男、一体、何を企んでいるのか。
なぜ、伴をわざわざ家に呼び寄せたのか。
まさか、伴とおれのやろうとしていることを親父と共謀し、阻止しようとしているのではあるまい。
「夜分に、呼び出したりしてすまないね。伴くんが泣きながらしきりにきみを呼ぶのでね。いっそ来てもらった方が落ち着くと思ったのだが」
「落ち着いたら帰るように言ってもらえんか。おれもそんなに暇ではない」
「まあ待ちたまえ。少し、話をしよう」
「そうよ……飛雄馬、少しくらい、いいでしょう?」
まさか、担がれたのではあるまい、と飛雄馬は玄関先に視線を遣るが、そこには見覚えのある伴の靴があって、やはり彼がいることは事実らしいなと目を閉じると溜息を吐く。
そうして、ならば少しだけ、と、酔った伴の介抱をしてくれた手前、邪険にするわけにもいかんだろうと花形夫妻の申し出を承諾する。
そうと決まればと花形は飛雄馬の腕を取り、屋敷の中へと連れ込み、明子はその後に続いた。
案内された例のリビングで飛雄馬は行方不明の間に何をしていたのだとか、ちゃんと食事は摂っていたのかなどふたりから散々質問責めに合い、当たり障りのない答えでやり過ごしつつ伴が起きるのを待った。
しかして、待てど暮せど伴が起きてくる気配はなく、伴の安否が知れ、安堵したために飛雄馬は日中の疲れも手伝ってかソファーに座ったまま微睡みだす。
くすくす、と明子と花形が笑う声を遠くに聞きながら飛雄馬はいつしかそのまま睡魔に魅入られた。

それから、どれくらい時間が経ったであろうか。
飛雄馬がハッ!と目を覚ますと、ソファーの座面に横たわり、眠っていた体には薄い毛布がかけられており、その傍らには液体入りのグラス片手に煙草を嗜む花形が鎮座していたために、慌てて飛び起きる羽目となった。
「…………」
幸い、まだ夜は明けていないようで、部屋の中を天井から下がる明かりが煌々と照らしている。
明子は花形より先に眠ったのかその姿は見えない。
「起きたかね、飛雄馬くん。おはよう」
「…………」
「伴くんはついさっき、ここを発ったよ。なに、怒らないでくれたまえ。彼が寝ているのなら起こすなと言ったのさ」
カラン、と花形の手にしていたグラスの中に浮かぶ氷が揺れ、音を立てた。
「そうか。迷惑ばかりかけて申し訳ない」
言いつつ腰を上げた飛雄馬に対し、再び、待ちたまえと花形は言うと、夜が明けるまでここにいたらいいと手にしていた煙草を咥えるなりニッと微笑を湛える。
「何を言われようともおれは野球をやめるつもりはないし、伴に何を聞いたか知らんが邪魔をするのはやめてもらえないか」
「…………」
「もう、ここへは来ない。伴にも寄り付くなときつく言い聞かせておく。花形さんも早く休んだらどうだ」
花形はフフッ、と笑み混じりに口から紫煙を吐きつつ、短くなった煙草をソファーそばにあったテーブル上の灰皿に押し付けた。
「あんなに、嬉しそうな明子を見たのは久しぶりだ。この5年間、1番きみの身を案じていたのは他でもない彼女さ」
「……………」
飛雄馬は眉根を寄せ、押し黙る。
「少しくらい、姉のためにもうちを訪ねようとは思わないのかね」
空になったグラスを煙草同様、テーブルの上に置き、花形は続けた。
「それは、いずれ、落ち着いたら……今は思い出話に花を咲かせている余裕はない」
思わず顔を逸らし、語気強く言い放った飛雄馬の左手首を花形は握るなり、ぐいと己の腕を頭上高く引いた。
瞬間、鈍い痛みが飛雄馬の左腕から脳天へと走って、抵抗もままならぬ状態で花形の胸に飛び込む形になり、そのまま抱き留められる格好を取る。
まさかの事態に飛雄馬はかあっと頬を染めた。
左腕を掴まれた結果とはいえ、なぜ花形の胸になど飛び込まねばならんのか。
「そんな手で、きみは野球をやると言うのか」
花形がそう、飛雄馬の耳元で囁く。
「う……っ、」
「片手1本でやれるほど野球は甘くない。投手ならまだしも打者なら当然」
「今のはっ、不意を突かれただけだ……普段、日常生活を送るのに支障はない」
「その不意を突かれるのが野球だろう。思い通りに球が飛び込んでくるなら誰も苦労はせんよ」
「それでも、おれは……」
言いかけた飛雄馬の唇に花形は唇を寄せ、軽くそこを啄むと今度はゆるく口を開け、ちゅっと小さく口付けた。
そうして、思わず顔を背けた飛雄馬の耳元に顔を寄せ、入り組んだ耳輪に舌先を這わせる。
ぞくっ、と一瞬にして飛雄馬の肌が粟立ち、口から漏れる呼吸が乱れた。
と、花形の自由の利く左手が飛雄馬の背中を撫で、そこから尻へと下る。
すりすりと掌全体を使い尻の丸みを撫でられ、それだけでも飛雄馬は体の奥が熱く火照るのを感じるのに、耳を音を立て舐め上げられることがそこに加わって、思わず声を上げた。
すると花形は握っていた左手を解放し、その手で飛雄馬の長い髪に指を絡ませるようにしながら彼の後頭部へと手を添え、そのまま口付けを与える。
「ぁ…………む、っ」
ぬるりと口内に舌を差し入れ、花形は飛雄馬の歯列を舌先でなぞると、更にその奥へと己を押し進め、柔らかな舌と自分のそれとを絡ませた。
まずい、このままでは花形のペースに飲まれる。
こんなことがあってたまるか。
そう、思うのに花形の舌が与えてくる愛撫のせいで頭の中が痺れていく。
はあっ、と一旦離した互いの唇からは濡れた吐息が漏れて、飛雄馬は一瞬、蕩けた表情を見せたが、すぐにキッと花形を睨み据えた。
「息が荒いね、飛雄馬くん。体力が現役の頃よりだいぶ落ちたか」
「……馬鹿な、っ、ことを」
再び、花形は飛雄馬に唇を寄せ上唇を食むと、彼の着ている黒いシャツの裾を背中側から引き出し、その中へ手を差し入れる。
つぅっ、と花形の指が背筋を這い、そこから伝わる甘い痺れが飛雄馬の胸の突起と下腹部へと走った。
「ん、ンっ……」
鼻がかった声が漏れ、飛雄馬は花形の肩に顔を埋める。
「もう、抵抗する気も起きない?」
「…………!」
言われ、飛雄馬は花形を突き飛ばすようにして彼から距離を取り、その唇を手で拭った。
「ぼくは、きみのためを思って言っているつもりだ。そんな腕で野球なぞ、どうかしているとしか思えん」
花形はジャケットの胸ポケットからシガレットケースを取り出すと、その中から煙草を抜き取り、唇に咥える。
先にマッチで火を点すと、独特の紫煙の香りが辺りには漂った。
「花形さんも、おれと戦ったことがあるのなら分かるだろう。どうかしているだなんて、そんなこと言われるまでもない。おれは長島さんの、巨人の力になれるならなんだってやってみせる」
「……………」
「あなたにも、ねえちゃんにも、皆に迷惑を、心配をかけただろう。しかし、おれも今更自分の生き方にどうこう言われたくはない」
「きみの夢は、誰かの犠牲の上に成り立つ。現に今、やめろと引き留める姉を泣かせ、父を焦らせ、兄であるぼくを煩わせる。伴くん宅に居候する彼とて、伴くんが大枚をはたいてアメリカから呼んでくれたんだろう」
「左腕時代は野球をやれ野球をやれとなじっておきながら、いざ自分の生きる道を見つけて帰ってきたら真逆のことを言う」
「それだけ、皆飛雄馬くんのことが心配なのさ」
口から紫煙を吐き、花形は煙草の灰を灰皿へと落とす。
「……心配、そう言えば聞こえはいいが。ふふ……結局、思い通りになる人形がほしかったんだ。ライバルを弟を、息子を演じる人形が」
飛雄馬は左腕を撫で、話すことはそれだけか?と訊いた。
「…………」
「ねえちゃんや親父にもそう、伝えておいてくれ」
口を噤んだ花形を一瞥すると飛雄馬は部屋の出入り口の方へと体を向ける。
そうして、歩み出そうとした刹那、これを吸い終わるまでここにいてくれないか、と花形がソファーの座面を叩いたもので、飛雄馬は疑うことなくそこに腰を下ろした。
「きみはどうしてそう、詰めが甘いのかね」
「は…………?」
吸いかけの煙草を、灰皿に置くと花形はソファーに腰を下ろした飛雄馬に詰め寄り、その体を隅へと追いやる。
「だからいつも肝心なところで、打たれてしまう」
「……………あ、ぅ」
ソファーの隅に寄った飛雄馬の体の上に覆いかぶさるような体勢を取りつつ花形は、そのまま彼の唇から呼吸を奪う。
端から、深い口付けをするつもりはなく、顔を振り、逃げた飛雄馬の首筋に顔を埋めながら花形は彼の膝裏に手を置き、ソファーの座面の上へと体を横たわらせた。
そうして、首筋から鎖骨へと下っていき、シャツの上から胸の突起に吸い付く。
「ひ、っ……」
花形の口の中でピンと突起は尖り、舌先でそれを弾くと飛雄馬の体もまた、ヒクヒクと跳ねた。
それから、飛雄馬の腰からベルトを緩めたスラックスと下着とを剥ぎ取ると花形は彼の尻と己の腰が向き合うよう角度を調節し、左右に開かせた足の間に身を置いた。
ちゅるっ、と花形は尖り、膨らみきった飛雄馬の突起から口を離すとそのまま指を咥え、唾液をたっぷりそこに絡ませると、開いた彼の足の中心に手を遣る。
ほんの少し、窪んだそこに唾液を纏った指を這わせ、花形は中へと潜らせた。
「は……ぐ、っ……」
きゅうっ、と入り口がそこから先の挿入を拒むよう花形の指先を締め付ける。
「少し、力を抜こうか飛雄馬くん」
飛雄馬に優しく声をかけ、花形は体の緊張が解けたところに1本、指を奥まで咥えさせ、先にある箇所を探るため関節を曲げた。
少しずつ、場所を変え、強弱を変えつつ花形は飛雄馬の中を探り、ぐりっと指を回転させる。
「あ、ぁあっ!」
途端に、今まで声を噛み殺すように口を閉ざしていた飛雄馬の声色が変わる。
花形はそろそろと指の腹でそこを撫で、中から押し上げた。
「ひあ………ぁう、ぅっ」
今の感覚のせいで飛雄馬の男根が反応し、とろとろとその先からはカウパーが溢れる。
「…………」
花形は飛雄馬の体を引き寄せ、腰の位置を合わせると、己の方に穿くスラックスの前をはだけ、下着の中から痛みを覚えるほどに硬く立ち上がったそれを取り出した。
「っ、花形………よせ、おれは、っ、」
慣らしたばかりのそこに花形は己を押し当てると、亀頭を飲み込ませてからゆっくり、先を進めていく。
飛雄馬の内壁を己の形に作り変えながら花形は腰を振り、まずは浅い位置を嬲った。
「だ、め…………ァ──!」
抜けるか抜けぬかの位置をぐりぐりと責められ、飛雄馬は逃げようと背中を反らすが、花形に足を掴まれているためにそれは叶わず、却って悪い結果を招くことになる。
結合部にぐっと花形は体重をかけ、更に奥へと己を突き進めたのだ。
入り口を弄ばれる感覚にようやく慣れてきた飛雄馬に更にもう一段階、強い刺激が与えられ、高い声で喘ぐことになった。
「知っ………知らなっ、こん、なのはっ……おかし、っ」
「知らない?フフ、それなら覚えて帰ったらいい……」
焦点の合わぬ虚ろな瞳を涙で濡らし、飛雄馬は己が身につけているシャツ、その腹の部分をぎゅうと掌に握り込み、声を堪える。
「ふぅっ………ふ………っ、はながたっ、」
「おや、まだ自分が誰に抱かれているか判別はつくようだね」
腰の動きを一旦止め、花形は飛雄馬の顔を覗き込むと、涙を浮かべ、濡れそぼった瞳で懸命に己を睨むその表情に煽られ、彼の腹の中を深く抉るべく腰を引いた。
「…………!」
「そう、期待しないでくれたまえよ。ふふふっ」
言うなり、花形は飛雄馬の腹の中を深く抉る一打を与える。
「う、ぁ、…………────!」
びくびくっ、と飛雄馬の体が大きく痙攣し、臍の上に乗っていた男根からは白濁が溢れた。
腹の中が何度も、何度も収縮し、その度に快感の波が全身に走って体を脱力させ、頭の中を真っ白にさせていく。
「お気に召してくれたかい」
中を腰を回し、掻き乱して花形は奥をゆっくりと責めていく。
「は──っ、っ………は、うごく、……いっ……!!」
嘆願虚しく花形はガツガツと腰を叩きつけたかと思うと、飛雄馬の膝を曲げさせ、彼の腹に密着するまで押し広げると、そこに体重を乗せつつ腹の中を擦った。
力なく目を瞬かせ、口は半開きのままで与えられる快楽を享受している飛雄馬に優しく口付けると、花形はそのまま彼の中へと射精する。
「ふふっ………」
汗に濡れ、顔に貼り付いた髪を撫でてやり、花形はゆっくり飛雄馬から己を抜くと、下着の中に仕舞い込んでから衣服の乱れを直し、フィルターのみを残し灰になった煙草を指で弾いた。
そうして、新しいものを口に携え、火をつけると、ふうと息を吐く。
夜明けまではまだ少し時間があるらしい。
できれば、野球からは手を引いてほしいものだが、と花形はソファーに深く座り直し、足を組むと、これで引くような飛雄馬くんならきっとぼく自身、彼をライバルとは思わなかっただろうし、野球にああまで打ち込みはしなかっただろう。
今やゴルフのドライバーを握るばかりとなった両掌からは、すでに薄くなってしまっている、かつてのバットだこ痕を花形は見下ろすと、ソファーの上で寝息を立てている飛雄馬に視線を遣る。
そうして、テーブル上で氷の溶け、水が張るばかりとなったグラスを手にすると、中身を一息に飲み干した。