戦友
戦友 「おや、左門くん。奇遇だな。今帰りかね」
球場の選手出入り口から出てきた左門に、一足先に球場を後にし、彼を象徴する外国製のオープンカーの運転席に座っていた花形が声をかけた。
「花形くん。そう言うきみは何ばしよっとですか?」
分厚い眼鏡のレンズ越しに左門は花形を見、そう尋ねる。
「今、ちょうど後楽園球場で巨人戦がやっていてね。その中継をラジオで聞いていたのさ」
花形が助手席に置いているラジオを立てた親指で差したと同時に、実況中継を行っていたアナウンサーが高らかに巨人の勝利を宣言し、観客の歓声がスピーカーからは聞こえてきた。
さすが星、巨人の救世主。黄金の左腕は今日も光り輝いています──。
「…………」
そのままふたりは黙ってラジオを聞いていたが、ふいに花形が電源を切ると、送ろうか、と言葉を続けた。
「……星くんは絶好調のようですな」
「ふふ、なぁに。いつものことだろう。好調でなくては困る。ぼくも張り合いがない」
乗りたまえ、と花形は続け、助手席に置いていたラジオを後部座席へと追いやる。
失礼しますたい、と左門は言うと、助手席側のドアを開けそのまま車内に乗り込んだ。
「敵とは言え、星くんが勝つと嬉しかですな。こっちも頑張らんとと原動力にもなりますたい」
「常に目標であるからね、星くんは。ぼくたちの」
キーを回し、エンジンをかけると花形はギアを巧みに操作し、車を走らせる。
「ラジオば聴くとにあそこにおったとですか」
「自分が試合のときはどうしょうもないが、間に合えば宿舎で中継を観るし、こうしてラジオで聞くこともある。それに、スポーツ紙は必ず目を通している」
「研究、熱心ですな、花形くんは」
「なに、きみには敵わんよ。各球団選手の癖や得意なコースをひとりひとり丹念に調べ上げている左門くんにはね」
「……花形くんが目標とする相手は星くんただひとり、ですか」
「…………」
ハンドルを握り、左門の住む宿舎まで車を走らせる花形は前を向いたまま答えない。
「花形くんは星くんを追ってプロ野球選手になったと聞きましたが、それは事実とですか」
「……さあ、ご想像におまかせするよ。色々なことを邪智するファンやマスコミもいるようだが、言わせておけばいい。きみも感化されたひとりかね」
赤信号で車の前進を止めた花形が、にやり、と笑みの形に口角を上げ、左門をその瞳に映した。
「ば、馬鹿な。花形くんこそ人ば見くびらんでほしか」
「ふふっ、冗談さ。まあ、きみにだけは話そう、と言うより薄々感付いているんだろう。人一倍観察眼に長けた左門くんにはすべてお見通しと見える」
「…………星くんは、よか男ですけん、惚れるともわかります。人を思いやり、何事にも一生懸命で頭が下がります。よか友であり、よか好敵手ですたい」
「…………」
目の前の信号が変わり、車は走り出す。
「星くんば、嫌いな人間はおらんと思います。優しか人だけん、あまり思い詰めんとよかとですが」
「まあ、今のところは大丈夫だろう。皆に褒められあの嬉しそうに微笑む顔が目に浮かぶようだ」
「同感ですたい。あ、もうそろそろよかです」
大洋ホエールズが遠征時に使用するホテルが見えてきたところで、左門は自分を下ろすよう花形に告げ、車を停めさせた。
「それじゃあ左門くん、ゆっくり休みたまえ」
「明日はうちが勝ちますたい」
「…………」
眼光鋭く、見つめ合ったふたりの目線の間に火花が散る。
ふ、と花形は小さく笑んでから、その場に立ちすくんだままの左門を残しアクセルを踏み込む。
大洋戦の後、次に巨人と当たるは我が阪神だったなと花形は風を切り、自慢のスポーツカーで車道を走り抜ける。
星くん相手でなければこの花形、一向に燃えはしない。他人からの賞賛など雑音でしかなく、何ひとつ心には響いては来ない。
ぼくには、彼がいなければ。
花形は脳裏に彼の面影を思い浮かべながら、阪神の選手らが身を置くホテルへの道のりをカーラジオをつけることなく、ひた走った。