再訪
再訪 眠れない、と飛雄馬は姉夫婦の屋敷の寝室にて、今夜十数回目になる寝返りを打った。
食事会に招かれ、姉の手料理で腹を満たしたのちに、ここを使ってちょうだいと案内された一室。
風呂で汗を流し、ベッドに潜り込んだものの、一向に寝付けず今に至る。
寝返りの度にマットレスが軋み、余計に目が覚める。
渡され、着込んだ肌触りのよいパジャマも睡眠を妨害するものでしかない。今、何時だろうか。早いところ眠ってしまわなければと思えば思うほど、眠気は遠退く悪循環。
すると、ふいに部屋の扉が叩かれたような気がして、飛雄馬は息を潜める。
軽いノック音は気のせいではないらしい。
はい、と小さく返事をして、飛雄馬は暗い部屋の中で体を起こした。
「起きているかね」
「…………」
扉を叩いているのは姉だとばかり思っていたが、声の主は屋敷の主人である花形のようで、飛雄馬は返事をしてしまったのを後悔しつつも、起きていますよ、と答えた。
「開けてもいいかい」
辺りが静かなせいか、花形の声がよく通る。
こちらの声は彼の耳に入っているのだろうか。
「どうぞ」
飛雄馬が答えると、間髪入れず部屋の扉が開く。
廊下の灯りのおかげで、花形の姿が飛雄馬の目にはっきりと見てとれた。
「急に訪ねてすまない。眠れなくてね」
部屋に入るなり、花形が微笑混じりに呟いた。
「ねえちゃんは?」
「彼女はとっくに眠ってしまったよ。フフ、きみが訪ねて来てくれたことがよほど嬉しかったのだろう」
そうですか、と飛雄馬は返し、屋敷を訪れたときと同じ出で立ちの彼を見上げる。それから、今、何時ですか?とも訊いた。
「さっき0時を回ったところさ。夜更かしは大敵だろうに」
「ふふ、宿舎暮らしにはこのベッドは贅沢すぎる。どうにも落ち着かない」
「それは申し訳ない。部屋を変えようか」
「いや、それには及ばない。そのうち眠れると思う。花形さんこそ明日の仕事に支障が出るんじゃないか」
こんなくだらん話を、彼はしにきたのだろうか。
招き入れたのはこちらとはいえ、わざわざ深夜に寝室を訪ねてくるなんて非常識にも程がある。
「なに、明日は休みをもらっていてね。お邪魔かい」
フフッ、と花形が笑い声を漏らし、飛雄馬は彼の言葉から自分の心の内を悟られでもしたかと言い淀む。
図星?と更に続けられ、飛雄馬はいよいよ口を噤んだ。
「冗談。フフ、からかってすまない。一度、飛雄馬くんには無断で屋敷を出て行かれた経験があるからね。確認のために訪ねさせてもらったのさ。姉夫婦の屋敷は居心地が悪かろうが、明子のためだと思って我慢してくれたまえ」
「あれは……」
「責めているわけじゃない。謝るのはこちらの方さ。あんなことをしてすまなかったね」
「いや、おれの方こそ……」
「……たまにはこうしてぼくの家を訪ねてもらえると嬉しい。ぼくの顔を見るのが嫌だと言うのなら同席はしないし、何より、明子に会いに来てやってほしい」
「なるべく、そうしたいとは思っているが、花形さんも球界にいたのならわかるだろう。そんな時間があるのなら練習に当てたい。今日も予定がひとつなくなって時間ができたからで……なかなか顔を出せず、ねえちゃんや花形さんには申し訳ないと思っている」
「…………」
「悪いが、そろそろ出ていってくれないか。花形さんも寝ないと明日が休みとは言っても体によくない」
「ああ、気付かずす申し訳ない……おやすみ、飛雄馬くん」
「…………」
無言のまま、飛雄馬はこちらに背を向け、部屋を出ていく花形を見つめた。それから、無音となった室内でベッドに体を横たえ、ようやく訪れてくれた睡魔に身を任せ、眠りにつく。
どのくらい、眠っただろうか。
ふと、ベッドのスプリングが軋んだような音を耳にし、飛雄馬はぼんやりと目を開けた。
誰かが、部屋の中に、いるのだろうか。
微かに人の気配を感じる。
伴?いや、おれは確かねえちゃんの屋敷に来ていたはず……数回、目を瞬かせ、飛雄馬はようやく判別のついた目の前の人物──花形を見据え、ぎくりと身を強張らせた。
「はっ、花形さっ……!」
己の体の上に、馬乗りになった花形の姿がそこにはあって、飛雄馬は引き攣った声を上げる。
「いつ起きるだろうかと思っていたが、意外と早いお目覚めのようだね」
「何をっ、しているんだ。あなたはっ!」
「野球でもしそうに見えるかね」
「冗談はよせ!何の理由があってこんなことを!」
「ぼくに抱かれるのに理由が必要かい」
「っ……」
「そのつもりで来たとばかり思っていたが」
クスクス、と花形が笑い声を上げ、飛雄馬は奥歯を噛み締める。何がそのつもりで、だ。
さっき、ねえちゃんのためだと言った口で何を言うのか。
「あれきりにしてくれと言っただろうっ!」
「あれきり、ねえ……」
カッ、と飛雄馬は顔を赤くし、花形の顔を睨みつける。電話で呼び出された先、出向いてみればホテルの一室。そこで誰にも口外せぬとの約束で一夜限りの関係を持った。これきりだと、そう、言ったのは花形の方。だと言うのに、なぜ。
「何が望みだっ、花形さん!」
「きみのすべてだと言ったら?」
「…………!」
「なに、冗談。フフッ、本気にしたかね」
「いい加減にしてくれ花形さん!おれはこんなことをしにきたわけじゃない!」
思わず叫び声を上げた唇に、花形の人差し指が当てられられ、飛雄馬はぐっと押し黙る。
すると、部屋の扉の向こう、廊下から、飛雄馬、起きてるの?と姉の声がして、飛雄馬はじっと息を潜める花形を前に、彼がここにいるのを知らせてしまおうかとも思った。
「…………」
「気のせいかしら、飛雄馬の声がしたような気がしたのだけれど……」
「…………」
しばらく、扉の向こうに人の気配があったが、足音と共にそれは遠ざかっていき、飛雄馬は大きく深呼吸をする。と、放心状態であった飛雄馬の両手首を花形の手が掴み、頭の上、ベッドのマットレスへと押し付けた。
「馬鹿なことはやめろ、花形さん。ねえちゃんが今に気付くぞ。あなたの姿が見えないことを不審がってここを訪ねてくる」
「それなら抵抗しないことだな、飛雄馬くん」
そう、囁いた花形の吐息が首元に触れ、飛雄馬は思わず身をよじる。続けざまに首筋に唇がそっと肌の表面に触れた。
「くっ……」
全身がぞくりと粟立ち、体の奥が火照る。
いやだ、もう二度と、花形と関係を持ちたくはない。 何より、ねえちゃんに合わす顔がない。
だと言うのに、握られた手を振りほどけない。
逃れるように上向けた顎先に唇が触れ、閉じた口へと花形のそれが触れた。口を開けて、と囁く声が頭の芯を痺れさせる。
「っ……」
そろりと開けた唇に口付けられて、ためらいもせず滑り込んできた舌に下腹部が熱を持つ。
熱い舌が、頭をおかしくさせる。
手首から離れた花形の手が、パジャマのボタンを一つずつ外していく、その小さな音を飛雄馬はぼんやりと耳にする。そうして、開かれた前開きのパジャマの中、着込んでいたタンクトップの中に花形の指が滑り込む。肌を指先でそろそろと撫でられ、飛雄馬はその度に解放された唇で小さく声を上げ、自分の顔を腕で覆う。フフッ、と花形が微笑みを浮かべた声を聞きながら、小さく奥歯を噛んだ。
そうして、ふいに吸い上げられた胸の突起から全身に走る痛みにも似た感覚に、飛雄馬は、あっ!と大きく嬌声を上げる。
強い刺激を与えられ、敏感になった突起に柔らかな舌が触れたことで、思わず背を反らし、飛雄馬は情けなく声を漏らす。
「自分で下は脱ぎたまえ」
「いっ、いやだっ……」
「いや?どうして?」
「どうしてもこうしてもない、っだろう……」
突起を軽く甘噛みされ、悲鳴を上げた飛雄馬の浮いた腰からズボンと下着が引き下ろされる。
よせっ!と叫んだ飛雄馬の膝を割るようにして花形が両足の間に身を置き、やや立ち上がりつつある男根に手を這わせた。
立てた両膝の間、先走りを溢す男根をぬるりと掌で撫でさすられ、飛雄馬はと大きく体を震わせる。
「ふっ……う、ぅっ」
「そう緊張しないでもらいたいものだがね」
ぬるぬると先走りに濡れた手で男根に刺激を与えられ、飛雄馬は吐息混じりに喘いだ。
「あ、いっ…………!」
絶頂を迎えるべく飛雄馬は目を閉じ、体に力を込めたが、射精することは叶わず、ゆるゆると涙に濡れた目を開けた。
「もう少し我慢したまえ」
ひくひくと寸前で手を離された男根がひくつく。
「なっ……ん、で」
「なんで?ぼくを焦らしておいて飛雄馬くんひとりだけ果てようとするなんてひどい話だと思わないかい」
花形が指を口に含み、ニヤリと笑んだのを飛雄馬は涙で潤む瞳で見つめ、はやく、と無意識のうちに口走っている。
「はやく、とは、何の話かね」
花形の顔が涙で滲む。はやく、はやくきてくれ、とうわ言のように呟き、飛雄馬は全身を戦慄かせた。
「ゆっくり、楽しもうじゃないか、飛雄馬くん……」
囁いた花形の指が、尻に触れ、中心にある窄まりを撫でた。ひっ、と引き攣った喉から声を漏らして、飛雄馬は再び、とろりと自身の男根から液体が漏れ出たのを感じる。
と、花形の指が腹の中へと入り込み、その入口を慣らすよう丹念に浅い位置を行き来する。
「あ、ァっ……っ、ん、」
腹の中を撫でる指では物足りない。体は覚えている、いや、覚えさせられているのだ、あの感触を、あの熱を。もどかしい位置を指先はかすめ、二本目の指が入口を解す。立てた膝ががくがくと揺れ、頬には涙が伝う。耐えられない。足りない。気がどうにかなってしまいそうだ。
「明子が知ったら悲しむだろうね。フフ、きみのこんな姿を、自分の夫に抱かれて、乱れる弟を目の当たりにしたら彼女は気が触れてしまうんじゃないかね」
「ねえちゃんのっ、ことを言うのはよせ、っ……」
「フフフッ……」
腹の中から指は離れていき、代わりに花形の腰が尻へと押し付けられた。先程まで指が慣らしていた箇所に、熱を帯びた固い何かが触れている。
思わず喉を鳴らし、飛雄馬は唇を引き結ぶ。
「忘れられないのはきみの方だろう、飛雄馬くん。素直になりたまえ」
「こんな、っ、体にしたのはあなただろうっ……」
ベルトをバックルから外す音が静かに辺りへと響いて、ファスナーの下りる音がそれに続く。
心臓が馬鹿に高鳴る。期待している、そんなことはない。覚えているのは体だけだ。頭は、心はそうじゃない。おれは、ねえちゃんの幸せだけを願っている。
窄まりに熱いものが充てがわれたかと思うと、腹の中へと押し入ってくる。
「あ、ぁあ…………っ、」
肉襞を、花形のものが掻き分け、奥へと突き進む。全身がわなわなと震え、背中が弓なりに仰け反る。
「逃げないで」
両足を左右の脇に抱えた花形が囁いた。
甘い痺れが全身に走って、開きっぱなしの口からは無意識に声が漏れる。花形のものは、腹の奥、指先がかすめた場所を突き上げて、そこを抉った。
「動いてもいいかい」
いつの間にか顔を覗き込んでいた花形が問い掛けてきたが、答える余裕などこちらにはない。
腹の中を際限まで満たした彼の熱で、身動きが取れない。
「…………」
唇に薄く口付けられ、腰をそろりと引かれた。
中が引きずられて、体が強張る。
「ひぃ……っ、う、ぅ」
「ゆっくり動くから安心したまえ」
引いた腰が、再び、尻を叩く。先程突いた位置をゆるく突き上げられて、びくん!と大きく体が跳ねたのを感じる。それを数回、花形は繰り返し、こちらが軽く達したのを見計らうと、ベッドを激しく軋ませ、腰を叩きつけてきた。
「い"っ……!あ、ぁあっ!花形っ、あ"!」
「声を抑えて。聞きたいのは山々だがね」
「また、いっ……くるっ、あぅ、う」
全身を揺さぶられ、最早何度目になるかもわからない絶頂を迎え、されるがままに唇を貪られる。
体中は汗にまみれ、身に着けたままのタンクトップと背に敷いているパジャマは濡れてしまっている。
「目を開けて、ぼくを見て」
「……………………」
閉じていた目を開け、見上げた花形の顔はぼやけ、滲んでいる。花形が迎えた絶頂の迸りを受け止めながら、飛雄馬は彼の唇を貪った。
そうして、すべてを注ぎ込んだらしき花形が離れていくのを感じながら飛雄馬は気怠さに身を預け、ベッドの上で目を閉じる。
「……今度こそおやすみ、飛雄馬くん」
「…………」
そんな気障ったらしい台詞を吐いて部屋を出ていく花形の気配を感じつつ、飛雄馬は何やら廊下で姉と彼が話し込む声を聞く。聞き耳を立てれば微かに内容が聞き取れ、姉は幸か不幸かどうやら気付いてはいないようであった。
ホッと胸を撫で下ろし、飛雄馬は己の腹を撫でる。
腹の中にはまだ花形の感覚が残っている。
また、この面影が薄れかけた頃に、彼は誘いをかけてくるのだろう。
飛雄馬はぶるっと体を震わせ、剥ぎ取られていたせいか床下に落ちていた布団を頭からかぶる。
眠れぬ夜が見せた幻想だと思いたい。いや、そう思い込んで明日は何食わぬ顔をして姉夫婦の前に姿を現そう。姉を心配させることはない。
飛雄馬は己の体温で温まった布団の中で微睡みつつ、姉のことを思案しながら、そのうちにふっと意識を手放した。夜明けはまだ、遠い。