連載
連載 星くん、と街中で声をかけられ振り向けば、かつての懐かしい顔がそこにはあって、飛雄馬は、牧場さんと彼の名を口にするなりニコッと笑んだ。
あまりに久しぶりだったがゆえに、怪訝な顔をされるのではないかと懸念した牧場であったが、飛雄馬の表情にホッと緊張を緩めた。
「お久しぶりですね」
「あ、そうだね。元気、してるかい?って見れば分かるか」
あはは、と牧場は恥ずかしそうに頭を掻き、飛雄馬はそんな彼を見て、またふっと顔を綻ばせた。ここのところ緊張の連続でだいぶ肩に力が入っていたが、懐かしき高校時代の知人の顔を見ることができてそれも解れたようだ。
短い期間であったが一緒に汗を流し、甲子園球場のグラウンドで闘った仲間も、同じ教室で勉学に励んだ級友たちも飛雄馬がPTA会長の伴大造を闇討ちした結果、退学処分となったと言うことしか知らぬのだ。 いくら部を解散処分にされたことが頭にきたとは言え、そんなことをするやつだったのか──と。
飛雄馬が退学となったのは、他でもない闇討ちの犯人がこの牧場春彦という男であり、彼の家庭事情等を知ってしまったがために牧場を庇ったがゆえの結果だ、ということは語るまでもなく、それを知るのはこの牧場と、飛雄馬の無二の親友である伴宙太という男だけだ。
けれども、飛雄馬は今こうして再会したところでそれについて責めるでもなく、蒸し返すでもなく、ただアガって変にどもる牧場に対し柔らかな笑みを浮かべるのみであった。
「星くんの活躍は観ているよ、いつも、テレビで」
「そうですか。それは嬉しいなあ」
牧場の隣を歩きながら飛雄馬は彼に歩調を合わせ、ゆっくりと舗装された歩道を行く。
「牧場さんは順調みたいですね。マガジンに短編が何度か載ったのを読みました」
「ほ、ほんとかい!?ありがとう!いやあ、嬉しいのはぼくの方だよ星くん!ぼくはきみのお陰で一つのことに一生懸命に、ひたすらに打ち込むということを教わったんだ。毎日毎日、仕事が終わってから寝る間も惜しんで書き続けた結果が、こうして実を結んだんだ」
「………」
「きみと出会っていなけりゃ夢で終わっていたかもしれない。本当に感謝しているよ」
「それは、何よりです。ふふ、おれも漫画がすきだから、牧場さんのような有名漫画家さんの知り合いができてなんだか嬉しいですよ」
「有名だなんてそんな、まだまだ駆け出しだよ……あ、そうだ!ぼく、連載が決まったんだ!あの、よかったら、時間あるかな?ネームができたから編集に見せに行こうとしていたらきみに会って……ぜひ、読んでほしい」
飛雄馬はちらと牧場が手首にはめていた時計を見遣ってから、いいですよ、と答えた。飛雄馬自身、少し気分転換になればと珍しく一人街に出てきたのだ。
それならば、とばかりに牧場は近くの喫茶店へと飛雄馬を案内し、席まで案内してくれた若い女性の店員にホットコーヒーと告げ、いそいそと手にしていたカバンから一冊の大学ノートを取り出した。
「あ、注文、コーヒーで良かったかな」
しまった、とばかりに頭に手をやった牧場からノートを受け取りつつ、飛雄馬は、いいですよ、と答えて、ノートを開く。
どうやら、在学時から言っていた野球漫画のそれらしく、高校生が舞台の話のようで春から一年生になる主人公が先輩に因縁をつけられる、と言う話であった。
「まだ一話の段階だけど、プロット……あ、えっと、話の流れみたいなのは出来てて、この主人公に因縁をつけてきた先輩が主人公と闘って、野球の素晴らしさに目覚めてそうして、主人公の捕手になって……ってあんまり話すと面白くないよね」
「いえ、面白いですよ。絵もとても見やすくていいと思います。ふふ」
「そ、そうかな。星くんにそう言ってもらえると元気が出るなあ。連載第一回目の話だから力が入るよ」
飛雄馬からノートを返され、牧場が鞄に仕舞い込んでいるとちょうどコーヒーが運ばれてきて、二人はそれぞれに砂糖とミルクを入れた。
「お母さんは、お元気ですか」
「ん、ああ、お陰様でね……ふふ、母も巨人の星飛雄馬の大ファンでいつも巨人戦はテレビの前にかじりついているよ」
ぐるぐるとカップの中をスプーンで何度かかき混ぜたあと、飛雄馬はそれを口に含む。 「牧場さんのことはずっと気になっていました。手紙を書こう書こうと思いはしてもなかなか時間が取れず……」
ソーサーの上にカップを戻しつつ、飛雄馬は言う。
「そ、そんな。それはぼくの台詞さ。きみに手紙を書こうと思いながらも今更ぼくが手紙なんて出してもという思いもあったし、忙しいのに手紙なんて読む暇はないだろうからと変に考えたりして……だからこうして今、会えたのはすごく嬉しかったし、近況も話すことができてほっとしているよ」
「………連載、楽しみにしていますよ」
「ほ、ほんとかい。嬉しいなあ、本当に嬉しいよ。今まで編集から褒められることはあっても読者から何か言われるってことはなかったから、お世辞でも、いや、他でもない星くんにそう言ってもらえてとても幸せだよ」
カチャカチャと音を立て、カップの中をスプーンで掻き回しつつ牧場はそんな話をした。飛雄馬は黙ってコーヒーを含みつつ、それからしばらく牧場の話を聞いた。
連載は決まったけどまだこれ一本では食べていけないから当分の間仕事は続けること、かつて住んでいた屋敷はもうないけれど近くに仕事場兼自宅のようなアパートを借りていること。
そんな話を目をキラキラと輝かせて話す牧場の顔を飛雄馬はじいっと見つめ、相槌を打っていた。
「星くん。きみには感謝してもしきれない。きみのお陰で今のぼくはある。きみにも幸せになってほしい。ぼくを幸せにしてくれたきみにはそうなる資格があるはずだ」
「…………」
最後の一口を飲み下して、飛雄馬は空になったカップの底に視線を落とす。と、牧場もちょうど飲み終えたようで、伝票を手にすると、ぼくが奢るよと席を立った。
「牧場さん、そんな」
「………せめてもの罪滅ぼしさ」
「………」
先を行く牧場の背を見つめ、飛雄馬は唇を引き結ぶ。そうして、彼の後を追うようにして店の外に出た。
「星くん、それじゃあ。引き留めて悪かったね」
「いえ、お会い出来て……良かった。牧場さん、応援していますよ」
「それはぼくの台詞さ。星くん、また」
飛雄馬は軽く会釈をすると、自宅マンションの方へと歩んでいく。
そうして、ふと立ち止まって来た方向を振り返れば牧場の姿はもうあんなに遠くにあって、飛雄馬は目を細める。
ひたすらに頑張りぬいて成功するとは限らない、けれども、目標に向かって精一杯やり通し、自分の力を出しきることが大事なのだ、と誰かが言っていた。
牧場さんはおれに幸せになれと言っていたが、おれは果たしてとうちゃんと幼き頃より目指し続けたあの星に手は届くのだろうか、おれにとって幸せとは、何なのだろうかと飛雄馬は空を見上げ、目を閉じる。
すると、まぶたの裏に牧場の漫画の絵が浮かんできて、飛雄馬はクスッと吹き出したように笑うと、歩調を早め、帰宅を急いだ。