来訪者
来訪者 玄関先から来客を告げるチャイムが鳴り、うとうとと部屋でまどろんでいた飛雄馬はその音でハッと目を覚ました。
伴がアメリカから呼び寄せてくれたビル・サンダー氏との練習を終え、飛雄馬は彼らより一足早く、居候させてもらっている親友の屋敷に戻ってきている。
伴とサンダー氏の間では通訳を連れ馴染みのすき焼き屋に行くと話がついており、星もどうだと誘われはしたが、飛雄馬は申し訳ないが今日は先に帰らせてもらうとそのまま帰宅するに至ったのだった。
どうにも疲れてしまっていて、到底楽しく話などできる状態ではなく、場の雰囲気を乱すくらいならば最初から参加せぬ方がいいに決まっていると考えてのこと。
そうして、帰宅するなり出迎えてくれた伴の屋敷で家事全般を担っている顔馴染みの老女に飛雄馬はわけを話し、部屋でひとり休んでいた。
そのさなかに、玄関先でチャイムが続けざまに鳴り、飛雄馬は居候の身で出しゃばるのもなと数回は無視をした。
しかして、来訪者が帰る気配はなく、何度も何度も鳴らされるチャイムに飛雄馬は痺れを切らし、もしかしておばさんは聞こえていないのだろうかと布団に横たえていた体を起こすと部屋を出る。
すると、入れ違いになったかちょうど彼女が割烹着で濡れた手を拭きつつ玄関先に向かう途中で、飛雄馬は杞憂だったか、と安堵するが、あんなに執拗にチャイムを鳴らした人物が誰なのかふと、確かめてみたい衝動に駆られた。
ここからでは玄関先で繰り広げられているであろう会話は聞こえては来ない。
飛雄馬は彼女らの声が聞こえるところまで忍び寄ると、そっと息を潜めた。
「おやおや、花形さん。お久しぶりです。坊っちゃんは今ちょうど出ていらしてねえ」
花形……!?
さあっ、と飛雄馬の全身から血の気が引く。
なぜ、彼がここに。
そういえば、伴とは家族ぐるみの付き合いをしていたと先日、彼の口から聞いた気がする。
一体、何をしに伴の屋敷を訪れたのか。
「…………」
飛雄馬は口内に溜まった唾液をごくりと飲み下し、花形の動向を見守る。
「よかったら、うちでお茶でも。星さんならいらっしゃいますのでね」
「…………!」
老女の言葉に、飛雄馬は息を呑む。
きっと、おばさんは知らないのだ。
今のおれと伴、そして花形と親父の置かれている状況を。
だからなんの躊躇いもなくあんなことを……。
飛雄馬は拳を握り、花形の返事を待つ。
どうかそのまま帰ってくれ、どうか────。
「お言葉に甘えさせていただきます」
花形のその弾んだような声に、飛雄馬はその場に崩れ落ちそうになるのを堪え、唇を強く引き結ぶ。
おばさんの手前、帰れと追い返すわけにもいかず、飛雄馬は今し方訪れたような体を装い、ふたりの前に顔を出した。
「あらまあ、星さん。花形さんがお見えですよ。そういえば、星さんと花形さんは義理の兄弟になるんですかねえ。星さんのお姉様さんと、確か」
「…………」
ふたりの顔をそれぞれ見比べ、微笑む老女に飛雄馬は何も言えず、花形だけが淡々と彼女の言葉を肯定し、飛雄馬くんはぼくを兄と呼ぶのはまだ慣れんようです、とそんな話を振る。
何やら楽しげに談笑するふたりの会話など一切、飛雄馬の耳には入ってこず、ただこの場を、どうやり過ごそうかと、そんなことばかり考えていた。
老女に屋敷の客間を勧められ、ふたりは促されるままに敷居を跨ぎ、中へ足を踏み入れる。
「お茶を入れて参ります。少しお待ちくださいね」
義兄弟ふたりの険悪、と言うより、互いの間に流れる不穏な気まずい雰囲気など気にも留めず、老女はひとり、満足気な表情を浮かべ、退室していった。
「…………」
畳敷きの広い客間の真ん中、そこに置かれた大きな座卓の対面にそれぞれ座ったまま、ふたりは視線ひとつ交わさない。
しかして、その静寂を切り裂くよう、花形が口を開く。
「順調かね」
「……あなたに、話すつもりはない。大方、親父に何か言われてここを訪ねたんだろう。花形さんともあろう人が親父の言いなりになるなんて」
「それは誤解だ飛雄馬くん。ぼくは自分の意志でここに来た。ただ単に、きみのことが気になってね。父に会ったことを話す気はないし、それは明子についても同じだ」
「…………」
信用、していいものか、花形を。
表情ひとつ変えず、そう言い放った彼の瞳に真っ直ぐ射抜かれるのはやはり苦手だ。
すべて見透かされているようでもあり、先程の言葉がハッタリなのかどうかさえおれには判別がつかん。その点、伴はわかりやすくて助かるというのに、何年経っても、やはりおれは花形という男が掴めない。
「お茶が入りましたよ」
閉めた襖の先、廊下から声がかかって、ハッ!と花形と飛雄馬はそれぞれ、そちらの方に視線を遣る。
先に腰を上げたのは飛雄馬の方で、襖の方へと身を寄せると老女から湯呑みと急須が乗った盆を受け取り、あとは自分がやっておきますから、と彼女をねぎらった。
「いつもすみませんねえ、星さん。では、花形さんごゆっくり」
開いた襖の隙間から会釈した老女に花形も頭を下げ、彼女を見送ると飛雄馬の持ち寄った盆から湯呑みを取ると、座卓の上に並べる。
「いつも、と彼女は言っていたが」
「……居候の身で何から何までしてもらうわけにはいかんだろう」
急須から茶を湯呑みに注ぎつつ、飛雄馬は少し表情に苛立ちの色を浮かべながら花形の問いに答えた。
「なるほど。フフ、飛雄馬くんらしい」
「もうおばさんもいない。花形さんもそれを飲んだら帰ったらどうだ。追い返すのも悪いが今はあなたの顔は見たくない」
「ぼくも伴くんもきみを方々手を尽くし、探していたという点では同じなのにこうまで扱いが違うとはね」
「…………」
なんて物言いをするのか花形という男は。
何が狙いだ。なんとおれに言ってほしいのか。
伴はまだ帰らんのか。どうにかこの男を追い返す術は。
湯呑みの茶を啜り、花形はニッと微笑むと、心配せずともこれを飲んだら帰るさ、と続けた。
「それは、助かる……」
言いつつ、飛雄馬はいつもの癖で左手で湯呑みを手に取ると元々座っていた座卓の位置に着こうとする。
しかして、連日の打撃練習でまめができ、それが潰れた掌、その指が思ったように動かず、掴んだつもりの湯呑みがまさかその手を滑り落ちた。
「…………!」
しまった、と飛雄馬はコマ送りのようにして落ちていく湯呑みの動向を為す術なく見つめる。
いけない、このままでは────。
その刹那、一連の流れをあらかじめ予測していたかのように手を出した花形が危うく、畳を転がりそうになった湯呑みをすんでのところで掴んだ。
「……気をつけたまえ」
「あ……っ!」
コトッ、と音を立て、花形は握った湯呑みを座卓に置き、飛雄馬はまるでオカルトの類でも見たかのような顔つきで目の前の彼を見遣る。
それから、安堵したか今まで緊迫したような張り詰めた表情を浮かべていた顔を氷解させ、一転、彼らしい穏やかな面持ちのまま、花形に対し謝罪と感謝の言葉を口にした。
「いや、なに。礼には及ばんよ。何より、飛雄馬くんに怪我がなくてよかった」
「…………」
今度こそ、しっかり湯呑みを手にすると飛雄馬はそれをひとくち、口に含む。
今の騒ぎのせいで渇いた喉を潤し、飛雄馬はここに来てやっと、張っていた肩の力を抜く。
野球から手を引かせるために何やら言いくるめに来たとばかり思っていたが、どうやら本当にそうではないようで、そんな目で花形を見ていた己を恥じた。
その純粋さが、星飛雄馬の良いところでもあると言えるが、むろん、欠点であるとも言える。
花形は飛雄馬が見せたその一瞬の隙、それを突くようにして彼の左手を握ると、驚き、顔を上げたその唇にそっと、己の唇を触れ合わせた。
「は……っ、」
予想だにせぬ出来事に、飛雄馬は瞬きすることも忘れ、突拍子もなく口付けを与えてきた男を見据え、ニヤリと微笑んだ彼の顔にゾッと全身が総毛立つのを感じた。
何を──尋ねようとした飛雄馬の唇を再び、花形は己の口で塞ぐと勢いのままに彼の体を畳の上へと組み敷く。
うっ!と受け身も取らぬまま、後頭部を畳に打ち付けた飛雄馬は呻くが、一旦は離れた唇を花形は間髪入れず、啄んだ。
ビクッ、と震え、唇を引き結んだ飛雄馬の首元に花形は顔の位置をずらし、そのまま薄い首筋の皮膚に吸い付く。
「う、ぁ…………!」
まさか自分の口から漏れた高い声に飛雄馬は慌てて口を塞ぎ、眉間に皺を寄せると目を閉じる。
「…………」
花形は無言のまま、飛雄馬の腹を撫で、その下にあるスラックスの中へと手を差し入れた。
「───っ、!!」
花形の指先が膨らみつつあった男根に触れ、飛雄馬は身をよじり、己の口元で拳を握る。
「もう、彼とはしたのかい?」
ゆるゆると飛雄馬の半立ちのそれを掌で撫でつつ花形が問う。
「ば、んを、侮辱するな……!」
「おや、それは失礼。てっきりきみと伴くんとはそういう仲だとばかり……」
飛雄馬の固くなり、首をもたげつつある男根を握り、花形はそれをゆっくりしごき始めた。
「あ………っ、う、ぅっ」
背中を反らし、飛雄馬は白い喉を晒すと、眉間に皺を刻むように強く目を閉じる。
花形の手の中で、徐々に飛雄馬の下腹部が熱を持ち、その内に先走りを垂らし始めていた。
そこをゆっくりと撫でられ、粘膜の露出した敏感な先に先走りをまぶされ、ぬるぬると弄ばれるたびに飛雄馬の腰はビクンと跳ねた。
「腰を上げて。下着が汚れてしまうよ」
「っ、そもそも、あなたが、こんなことを……しなけれ、ば……」
息も絶え絶えに、途切れ途切れに言葉を紡ぎつつ、飛雄馬は身をよじって、どうにか花形から逃れようとするが、背けた顔、その耳元にそっと口付けられ、またしても情けなく鼻がかった声を上げる結果になった。
「ひ、っ……!」
耳の形に沿って花形は舌を這わせ、先走りでぐちゃぐちゃになった下着の中を丹念に愛撫する。
飛雄馬が達しそうになると、上手い具合にそれを躱すように、なんとも歯痒い場所を花形は撫でる。
そのたび、飛雄馬は体を震わせ、どうにかその先にある絶頂を手繰り寄せようとするが、いいように扱われるばかりだった。
「どうしたのかね。腰が揺れているよ」
「う、う……っ、」
わかって、いるくせに……。
飛雄馬は涙に濡れた瞳を花形に向け、奥歯を噛み締める。
ちゅっ、と花形は飛雄馬の頬に口付け、それから散々に焦らしたそれを解き放ってやるべく手の動きをじわじわと速めていく。
「ふ、っ……う、う」
花形が飛雄馬の臍下を擦る、くちゅ、くちゅと言った水音がしんとした部屋に響き渡る。
そうして、しばらくの後に飛雄馬は花形の掌に精を吐き、脱力していたところに口元を覆っていた腕を外され、押し付けられた唇に呼吸を奪われる。
腹の奥から頭の先までが変に痺れているようで、うまく頭が働かない。
花形に言われるがままに口を開け、絡められる舌にたどたどしく反応した。
飛雄馬と口付けを交わしたまま、花形は彼の穿く下着とスラックスを剥ぎ取っていく。
「あ、ぅ……」
ギクッ、と下半身がいきなりひやりとした外気に晒され、驚いた飛雄馬だが、再び、唇を押し当てられた。
それだけでなく、畳の上に投げ出していた足、その膝を立たせられ、花形が身を寄せるぶんだけ大きく左右に広げられる。
「は……っ、」
身構えた刹那、飛雄馬の尻に指が充てがわれ、ぬるりとその中に指先が潜り込む。
少し、濡れたような感触があったのは、先程自分が出した体液を指に纏わせているからだろうか、と飛雄馬は内壁をゆるゆると撫でつつ、中へと進んでくる花形の感覚に体を戦慄かせた。
浅い位置で指を動かされ、飛雄馬は小さく呻く。
ようやく、その刺激に慣れたところで指は奥に進み、更に中を嬲った。
「ん、ん…………ぅ」
根元まで入れた指を回し、花形は中を少し広げてから指を関節で曲げた位置、飛雄馬の腹側にあるとある箇所を指先でそろりとくすぐる。
「あっ!」
羞恥に耐え兼ね、閉じていた目を開けると飛雄馬は花形に組み敷かれている体、己の腹に視線を遣った。
腹の奥がそこを触られるたびにじわじわと熱を持つような感覚を覚え、飛雄馬は次第に首をもたげつつある己の男根を目の当たりにし、かあっと頬を染める。
「フフッ……」
「そ、こは……っ、あ、あっ」
2本目の指をそこに滑らせ、花形は仰け反り、首筋を晒す飛雄馬の薄い皮膚に軽く吸い付きながらゆっくりと入り口を慣らしていく。
花形が指を動かすたびに腹の中が掻き回され、入り口を弄ばれ、飛雄馬はされるがままに声を上げる。
そうして、花形は指を抜くと、飛雄馬の尻と己の腰の位置を合わせ、穿いているスラックスのベルトを緩めた。
飛雄馬の体を預けている畳が汗を吸い、その湿気が肌をぬるく刺激する。
指で好き勝手に嬲られた腹の中が更なる刺激を求めるように疼いている。
「は、花形っ…………!」
「おう、今帰ったぞーい!」
ハッ!と飛雄馬は玄関の扉が勢い良く開けられる音に体を起こし、はあっ、と安堵の声を漏らしたが、すぐさま己が置かれている状況とその格好に顔を青くした。
「残念。いや、飛雄馬くんからしてみれば幸いと言ったところか」
花形はニヤリと微笑むと、ベルトを締め直してから腰を上げ、伴を出迎えるために部屋の襖を開けると、中を覗かせまいと後ろ手で勢いよくそこを閉めた。
「なっ!?なんで花形が、うちに?!」
飛雄馬が出迎えてくれるものと思っていた伴はまさかの花形の登場に目を白黒させ、え?え?と声を上ずらせる。
「ビル・サンダー氏に、用があってね。ここを訪ねたらおばさんが家に迎え入れてくれたのさ」
「おばさん、が……」
ああ、そうか彼女にも話をしておくべきだったと伴は頭を抱えたが、サンダーさんに何の用じゃいと低い声で尋ねた。
「彼が経営しているとかいう牧場の件で、ちょっとね。きみにも話が纏まり次第、伝えるとしよう」
「む、むう……」
仕事の話を持ち出されては強く出ることもできず、伴はやり場のないもやもやを抱え、サンダーさんなら向こうの部屋におるぞいと花形を彼の待つ部屋へと案内する。
「…………」
飛雄馬は畳の上で大きく、息を吐く。
花形が先に部屋を出て伴を止めておいてくれたお陰で助かった──いや、元はといえば全部……。
何やら伴と花形、それにサンダーさんが話している声が微かにこの部屋まで聞こえてくる。
飛雄馬は寝返りを打ち己の下腹を撫でると、小さく身を縮こまらせ、3人の声を遠くに聞きながら襲い来る睡魔に身を委ねた。