送り狼
送り狼 明子さんを迎えに行くついでだ、乗っていきたまえと言う花形の好意に甘え、飛雄馬は彼の操るオープンカーの助手席に座る。
今日の巨人─阪神戦は飛雄馬を先発投手に選んだ川上監督の勘は見事なもので、巨人の勝ち越しにて試合終了の運びとなった。
後楽園球場の選手控室を出た飛雄馬と伴を待ち構えていた花形が呼び止め前述の通りのことを口にしたために、二人はここで別れ飛雄馬は助手席に座ることに相成った。
「帰る前に、どこか寄りたいところはないかい」
「いえ、特には……食事は、ねえちゃんと行くんでしょう」
左手でハンドルを握り、右手でギアを巧みに入れ替えつつ、花形は車を走らせる。
「もう夜も遅い。明子さんも食事は済ませていらっしゃることだろう。きみさえ良ければ一緒にどうだね。なに、ぼくの馴染みの店だ。週刊誌や新聞記者などは寄り付かんよ」
「…………」
一瞬、躊躇った飛雄馬だったが、結構です、とその誘いを断る。
そうか、と花形もそれきり押しては来ず、闇夜をオープンカーは颯爽と走った。
「ねえちゃんとは、うまくいっていますか」
「え?すまないが、もう少し大きな声で頼む」
「ねえちゃんと、うまくいってますか?」
声を張り上げ飛雄馬は訊く。
ああ、と花形は合点がいったか頷いて、「あとは明子さん次第と言ったところか」と答えた。
「おれはねえちゃんには幸せになってほしいと思っている。ずっとおれやとうちゃんのことで心配や苦労をかけてきた。花形さんの人となりならおれも知っているからね。安心してねえちゃんを任せられる」
「……………」
ギアを3速から4速へと入れ替え、花形はアクセルを踏み込む。
のろのろと法定速度で走る日本製の大衆車たちを次々と追い抜かし、前進していく。信号が黄色になりかけても停止することなく、花形は車をただただ走らせた。
「は、花形さん?信号、赤で……」
普段、タクシーに乗ることはあってもこうして直に風の抵抗を受けるオープンカーになど乗ることのない飛雄馬は、花形が出すあまりのスピードに顔をしかめつつ彼を見た。
「明子さんとはきみの話をよくするよ。体を大きくするために食事の度に父から米をたくさん食べるように言われたが、どうにも食べられず泣いていた、なんてね」
「そ、そんなことまで…………ねえちゃんめ」
「フフッ……」
かあっと頬を染め、飛雄馬は悪態をついたし、花形はそれを横目で見遣りながら小さく笑みを溢す。
「それにしても、ねえちゃんと花形さんがおれの話で盛り上がるというのも変な話だなあ」
「なに、知りたいさ。きみのことなら何でも、ね」
「え?」
目の前の信号は赤に変わり、花形はゆるやかに車を停止線の位置で停める。
そうして、じっと隣に座る飛雄馬を見つめた。
「どういう、意味ですか?」
怪訝な表情を浮かべ、飛雄馬は尋ねる。
花形の大きな瞳が笑みの形を作るように歪んで、口角をニヤリと吊り上げた。
「きみを倒すためなら何だってするさ」
「ねえちゃんを、利用している、と?」
聞き返した飛雄馬だったが、信号は青へと変わり、花形は再び車を走らせる。
「花形さん、なぜ、あなたは黙るんです?」
「………」
「花形さん?」
「着いたよ。降りたまえ」
いつの間にか車は飛雄馬の住むクラウンマンションの前まで来ており、飛雄馬は納得がいかないままではあったが、ドアを開けると舗装された歩道に足を下ろす。
「…………ねえちゃん、呼んできます」
「ああ、星くん。すまない、試合のあと自宅に帰ってくるように父に言われていたことを思い出した。ぼくはこのまま帰るとするよ」
「え?」
「フフッ、星くん、また明日」
「…………」
呼び止める間もなく、花形はアクセルを踏み込み去っていく。
一人、その場に残された飛雄馬はぽかんと遠ざかる花形の車をしばらく眺めていたが、そのままマンションの中に入るとエレベーターを利用し、姉の待つ自分の部屋へと向かった。
「おかえりなさい飛雄馬。あら、今日は一人?伴さんは?」
「………花形のやつ、急用ができたから今日は会えないって」
「花形さん?ほほほ、いやね、飛雄馬。私は伴さんの話をしたのよ。花形さんなんて一言も」
出迎えた明子に花形がそのまま神奈川の実家に戻っていったことを告げると、彼女は狐に抓まれたような顔をした後、くすくすと笑う。
「え?花形と、約束があったんじゃ……」
「花形さんと約束なんてしてないわ。どうしたの?」
「…………」
いや、何でもない、と飛雄馬ははぐらかし、伴は用事があるとかで寮にそのまま帰ったよと答え、リビングを抜けベランダに出ると、そこに置いた椅子に腰掛ける。
「そうだ、飛雄馬。ねえさん、あなたに謝らなきゃ。ご飯のスイッチ入れ忘れてて、もう少しかかりそうなの。悪いんだけど花形さんからのお土産、食べててちょうだい」
飛雄馬の後を追うようにしてベランダに出た明子は、包装紙を剥がしたばかりの菓子の箱を彼へと差し出す。
「…………ねえちゃんのこと、よほど好きなんだな。花形のやつ」
「ま、まさか。そんなんじゃ……」
箱から包みにくるまれたままの饅頭を取り出して、飛雄馬はフィルムを剥くとかぷっとそれにかぶりついた。
黄色い満月が東京タワーの隣に並んでいる。
ふた口目を口に運びつつ、飛雄馬は自分の抱いた疑念が、杞憂だといいが、と明子宛に送られてきた花形からのメッセージカードを手に取りそれを指で弄びながら、そんなことを思った。