お昼ご飯
お昼ご飯 「伴、そういえば……」
昼食の準備中、ソファーに座りテレビを眺めていた親友へ声をかけた飛雄馬だったが、いつの間にか彼が座面へ横になり眠っていることに気付く。
練習のない完全オフ日。
朝から親友・伴は飛雄馬姉弟の住まいであるクラウンマンションを訪ねていた。
姉の明子は買い物に行くと二時間程前に部屋を出ていき、昼飯はどうすると尋ねた伴に対し、自分が作ろうと飛雄馬が申し出てからおよそ十分程度の間に、親友はぐうぐうと寝入ってしまったらしい。
まったく、自分の家と勘違いしていないかと飛雄馬は苦笑しながら料理の手を止め、己の寝室に取りに行った毛布を伴の大きな体の上にかけてやる。
むにゃむにゃと何やら口を動かしながら伴は星と飛雄馬の名を口にし、投げてこーい!と大きな寝言を口走った。
態度も図体も声も何もかもが大きいな、伴はと半ば嫌味のような冗談をぼやいて、飛雄馬は昼食の準備を中断し、親友の眠るソファーの傍ら、床へと腰を下ろす。
昨日は遅くまで練習に付き合わせたからな、無理もないと気持ち良さそうに眠る彼の寝顔を見遣って、未だ映し出されたままのテレビの画面を眺める。
しかし、疲れているのならうちをわざわざ訪れずとも、寮で、あるいは実家で休んでいればよかっただろうに、と飛雄馬は思う。
確かに、こうして事毎に部屋を訪ねてくれるのは嬉しいが、自分の時間も大事にするべきであろうに。
「…………」
くだらぬバラエティ番組を映すテレビのスイッチを切りに立ち上がり、飛雄馬はそれにしてもねえちゃん、遅いなと部屋の壁に設置した時計を見上げる。
気にせずともそのうちに帰ってくるだろうとは思うが、買い物の途中で何かあったんじゃないだろうか、迎えに行ってやろうか、しかし、入れ違いになってしまっても困る。
一度考え始めると、嫌な方向にばかり思考が向いてしまうもので伴に書き置きを残し、探しに出ようかと飛雄馬が手頃なメモ紙を探しに歩み始めたところで、玄関にて物音が響いた。
「ただいま。あちこち歩いてたら遅くなってしまって……」
扉を開け、顔を出した明子がごめんなさい、と続けつつ、両手いっぱいに買い込んだ荷物を床に置きながら玄関先で靴を脱いだ。
「よ、よかった……何かあったんじゃないかと、探しに出ようかと思っていたところだった」
買い物袋を取りに玄関先へと向かい、飛雄馬は明子に笑顔を見せる。
「ふふ、心配性ね、飛雄馬ったら。子供じゃないんだから」
「うん……」
袋から野菜や肉などを取り出し、冷蔵庫に詰めつつ飛雄馬は苦笑する。
とうちゃんが中日のコーチに就任してからというもの、どうやら神経質になっているらしい。
ねえちゃんももしかしたら、ふらりとどこかに消えてしまうんじゃないか、と、そんな嫌な考えがふとしたときに頭をよぎるのだ。
「あら、伴さん、眠ってらっしゃるの?」
「うん、いつの間にか、ね」
「昨日も遅くまで練習してたんでしょう。体を壊したら元も子もないわよ」
「…………」
そんなことは、言われなくてもわかっている。
闇雲に投球練習を重ねたところで、とうちゃんが擁するオズマには勝てはしない、と。それでも、マンションでぬくぬくと過ごすよりは気が紛れる。
「お昼は食べたの?」
「作る最中に伴が眠ってさ、まだ食べてないよ」
「伴さんの分は少し残しておけば大丈夫よ。飛雄馬もお腹が減ったでしょう」
「それは、そうだけど……」
休日の貴重な時間を割き、訪ねてきてくれているのだからせっかくなら一緒に食べたいのだが、と飛雄馬は思ったものの、ねえちゃんも空腹だろうし伴もいつ起きるかわからないし、とこの際、姉とともに先に昼食を済ますこととした。
インスタントラーメンを茹でようと湯を沸かす最中に止めていたコンロの火を着け、明子は購入してきたらしきモヤシやキャベツ、豚肉などをまな板の上で刻み始める。そのうちに野菜を炒める良い匂いが漂い始め、ラーメンも出来上がりつつあるのか、味噌の香りが鼻腔をくすぐった。
そうして、明子と飛雄馬はダイニングテーブルに着き、できたての肉野菜炒めがたっぷりと盛られた味噌ラーメンを啜る。
「うん、やっぱりねえちゃんが作るラーメンはおいしい」
「誰が作っても同じよ。ふふ……」
懐かしい、と飛雄馬は照れ臭そうに微笑みながらラーメンを啜る姉の姿を見、長屋時代のことを思い出す。
休日の昼はとうちゃんとの投球練習のあと、こうしてラーメンを三人で食べたっけ。
あの頃は肉なんて入っていなくて、モヤシばかりだった気がするが、それでもとてもおいしかった。
もう、あの頃には戻れないんだろうか。
あの頃みたいに三人で…………。
「ん、なんじゃい……おれはいつの間に、眠って……」
目を覚ました伴がソファーから起き上がり、目を擦りつつ飛雄馬と明子が座るダイニングテーブルへと歩み寄ってきた。
「伴もラーメン、食べるか」
「いや、星が食べてからで大丈夫ぞい。ラーメンが伸びてしまうわい」
さすがに食べかけのものを食えとも言えず、飛雄馬は急ぎ、ラーメンと肉野菜炒めを口に流し込むと、ろくに咀嚼もせぬままに伴の分を作るために台所へと立つ。肉野菜炒めの残りはフライパンに入ったままで、飛雄馬はそれらを温めるために火を着け、麺を茹でるべく、鍋で湯を沸かす。
数分も経たぬうちにラーメンは茹で上がり、どんぶりに移し替えてから温めておいた肉野菜炒めを乗せ、伴の元へと持ち寄った。
「いただきます」
丁寧に両手を合わせてから伴はラーメンを啜る。
「一杯で足りるかしら」
「だいじょうぶですわい。ここのところ太りぎみで節制しちょるんです」
嘘ばっかり、昨日は定食屋でラーメンのカレーライスセットを食べていたくせにと飛雄馬は昨夜の夕食時のことを脳裏に思い描くが、親友の面目を潰さぬために黙っておいた。
それから、伴の完食を待ち、後片付けを終えてから、飛雄馬はそろそろ帰るわいと椅子から立ち上がった親友を見上げる。
「もう帰るのか」
「せっかくの休みに長居しても迷惑じゃろうしのう。明子さん、ラーメンごちそうさまでした」
「いえいえ、なんのお構いもできませんで……これからも飛雄馬をよろしくお願いしますね」
「なんのなんの、よろしくお願いするのはこちらですわい……いつも星、いや、弟さんには世話になってばかりで……」
玄関先まで明子とともに伴を見送りに出て、飛雄馬はまた明日、と扉を開けた彼に手を振る。
「……おう、また、明日」
どこか寂しげな伴の顔をまともに見られず、飛雄馬は一瞬、視線を外してから閉まった扉へと目線を向ける。どうせあと数十時間後には会えるというのに。
「…………」
「洗濯物、乾いたかしら」
朝、洗濯機を回し、ベランダへと干した衣類が気になるのか、ぽつりと漏らした明子に飛雄馬は見てくるよと言い、リビングの窓を開け外に出る。
洗濯物を確認しながら、飛雄馬はベランダの手すりから下を眺め、マンションを出て歩道を行く伴の姿を見つめる。
どうやらあちらは見下されているなどとは夢にも思っていないようで、大股で歩くその姿がどうにもおかしく、飛雄馬は吹き出してから乾いているタオルや下着を開け放ったままの窓からリビングへと放り投げた。
「乾いてたみたいね」
「今日は天気がいいからね」
ユニフォームや靴下、普段着なども取り込んで、飛雄馬はリビングに戻ると窓を閉め、明子とともに洗濯物を畳む。
「夕飯は何がいいかしら」
「もう夕飯の話かい」
「まあ、ねえさん、飛雄馬の体のことを思っていつも献立を考えているのに」
「ふふ、感謝してるよ。いつもありがとう、ねえちゃん」
「こちらこそ。こんな素敵なマンションに住まわせてもらえてありがとう、飛雄馬……」
ふたり、顔を見合わせ笑い合ってから飛雄馬は、夕飯はオムライスがいいなと呟く。
ちょうど卵を買ってきたのよ、よかったわと明子は嬉しそうに目を細めた。
その表情を目の当たりにしながら飛雄馬は、伴も一緒に夕飯を食べられたらもっとよかったのだけれど、とそんな身勝手なことを思った、休日の昼下がり。