呪い
呪い 飛雄馬は試合ののち、宿舎に帰る伴と球場で別れてからどんよりとした空を神妙な面持ちで見上げる。
こんなことなら傘を持って行けと言ったねえちゃんの言うことを聞くんだった、と今更になって後悔するが、考えても仕方がないとばかりに足早に駆け出す。
「おや、星くん。今帰りかね」
ふいに声をかけられ、飛雄馬は歩みを止めると背後を振り返った。
花形さん、と飛雄馬は声の主を呼び、今日は家に帰られるのですか?とも尋ねる。
「父に野球にばかりかまけていないでたまには顔を出せと怒られたばかりでね。気は乗らんがそのつもりさ」
言いつつ、花形はスラックスのポケットから車の鍵を取り出すと、乗っていかないかい?と続けた。
「えっ?」
「雨が、降りそうだろう。見たところ傘も持っていないようだ。迷っている暇があるならついてきたまえ」
「あっ、と……」
なんと答えようかと迷っているうちに花形が先を歩き始めてしまい、飛雄馬はしばらくどうしたものかと立ちすくんでいたものの、ええいままよ、とばかりにその後を追った。
「ふふ、ぼくの誘いに乗るとはよほど濡れたくないと見えた。まあ、肩を冷やすよりはいいだろう」
運転席に座り、鍵を回しエンジンをかけつつ花形が苦笑する。
「早く、行きましょう。あなたがおれを誘ったのも大方姉に合う口実作りのためでしょうから」
花形の隣、助手席に座った飛雄馬は淡々とそんな言葉を紡ぐとじっと前を見据えた。
「…………」
無言のまま、花形は車を走らせると夜の国道を風を切って走る。
空気がいつもより湿っているように感じられ、飛雄馬は雨が近いなと肌を撫でる空気の違和感に目を細めた。
「え?」
何やら花形に話しかけられたような気がして、じっと行く先を見つめていた飛雄馬は何事かとばかりに聞き返す。
「きみは、ぼくと明子さんの仲をどう思う」
花形のまさかの質問に聞き返さなければ良かったと思ったものの、飛雄馬はしばし考えたのち、「花形さんならねえちゃんをきっと幸せにしてくれると思っています」と、そう、答えた。
「…………呪いだな、それは」
「呪い、ですか?」
「きみはさっき、明子さんに会う口実がどうとか言っていたが、それは星くんの勘違いだ、完全に」
「と、言うと?」
飛雄馬が尋ねたとき、進行方向に立つ信号が赤を示し、花形は車を停めると真っ直ぐに助手席に座る彼をその瞳に映した。
「きみが、明子さんを幸せにしろというのならぼくは彼女を必ず、世界中の誰よりも幸せにしてみせよう」
「……へ、変な花形さんだな、そんな改まって……」
「……」
見つめられ、頬を染め何やら口籠った飛雄馬だったが、花形はいつものように笑うでもなく、黙ったきり信号が変わったと同時にアクセルを踏み込んだ。
程なく、花形の運転する車はクラウンマンションに到着し、飛雄馬は礼を言うと地面に足をつく。
そのままてっきり花形は部屋を訪ね、姉に会うものだろうと思っていた飛雄馬だったが、彼はそのまま車を走らせ、その場を去った。
瞬間、ポツリと空から落ちた雨粒が頬に触れる。
雨が降ってきましたから家で雨宿りして行きませんか、と言おうにも既に花形の姿はそこになく、飛雄馬にはただただ先程彼が口にした言葉の意味を考えながら、車の走り去った方角を見つめることしかできなかった。