雨の日
雨の日 今日も雨か、と飛雄馬は自室の窓から下がる、伴が作った不細工なてるてる坊主を見つめる。
雨でも寮内にて自主トレをしたり、ミーティングを行ったりと暇ということもないが、やはり試合がない日がこうも続くと体が鈍ってしまうような気がしてしまう。ラジオの天気予報では明日も雨と言っていたか。
早く、晴れてくれないものだろうか。
「おうい、星よ。どうしたんじゃい、元気がないぞい」
まったく、伴のやつは能天気でいい。
言っちゃ悪いが万年二軍でくすぶる彼にしてみれば、晴れであろうと雨だろうと関係ないと言ったところだろう。いつも練習に付き合ってくれる優しい彼だが、もう少し気が利くといいのだが、と思ってしまう自分がいる。
「うん。雨続きでな。気分も上がらないんだ」
「そりゃあ、そうじゃろう。おれも他球団の打者たちが星の投球できりきり舞いする様が見たいわい」
「おれはきみが打者として活躍する様が見たいがな」
そ、そりゃ耳が痛いわい……としょんぼり肩を落とす伴を横目に見遣ってから、飛雄馬は外に出るか、と部屋の出入口である扉の前まで歩くと、ノブに手を掛ける。
「ど、どこに行くんじゃ星よ……」
「ちょっと外に出てくる」
「おれもい……」
伴の言葉を最後まで聞くことなく、飛雄馬は廊下を少し進み、玄関先で靴を履く。寮長も出ているのか姿はない。傘立てにある自分の傘を手に、飛雄馬は外に出ると、その場で傘を開く。
雨粒が表面を打つ音がひどく陰気臭く、気分転換に外に出たものの、なんだか逆効果な気もしてくる始末で、飛雄馬は溜息をひとつ吐くと、当てもなく歩き始める。寮の敷地を出て、人通りのある大通りに出てみても人の姿は疎らで、物悲しささえ感じる。
伴は珍しく追っては来ない。
無視をしてひとり、外に出たのが余程堪えたのだろうか。喫茶店にでも入り、温かいコーヒーで喉を潤すとするか、と飛雄馬は歩道にうっすらと溜まった雨水を踏みしめながら歩く。
道行く人の表情もどこか暗い。こう雨が続けば、誰だってそんな顔をしてしまうであろう。
「いらっしゃいませえ」
それでも、足を踏み入れた喫茶店内の店員の声は明るい。飛雄馬は席を案内してくれた若い女店員にコーヒーをひとつ、と告げてからソファーに座る。
ひとりで、喫茶店に来たのは初めてかもしれない。
さっきはあんなことを言ったが、やはり親友、伴の姿がないというのは寂しい。
まったく、自分勝手にも程があるな、と飛雄馬は苦笑し、冷水入りのグラスとおしぼりを持ち寄った店員に会釈を返してからふと、店内を見回す。
ちらほらと店内には客の姿があり、それぞれが好みの飲み物や料理を楽しんでいる。
おしゃべりに精を出す婦人の姿もあれば、己のようにひとり、コーヒーを嗜むスーツ姿の男性も見受けられた。飛雄馬は温かなおしぼりで手を拭うと、グラスに口を着ける。
そういえば、昼飯がまだだったな。
こんなことなら伴も連れてくればよかった。
帰りに何か買って行ってやろうか。
この期に及んで親友のことを気にかける自分のお人好し加減に飛雄馬は再び苦笑いを浮かべると、テーブルの端に置かれているメニュー表に手を伸ばす。
腹が減っている今は何を見ても美味しそうで、飛雄馬はしばらくメニュー表の食事のページを眺めていたが、コーヒーを持ち寄った店員にナポリタンを、と注文した。確かここはナポリタンが美味しい店だった。
それも伴が教えてくれたんだったか……。
飛雄馬はコーヒーカップにミルクと角砂糖を入れ、スプーンでそれを掻き混ぜる。
コーヒーの色が黒から焦茶へと変わり、飛雄馬は適度なところでスプーンを取ると、カップに口を着ける。
普段であればそう気にならないコーヒーの苦味が、今日はなんだかきつく感じられて、飛雄馬は角砂糖をもうひとつ、投入した。
伴は今頃、何をしているだろうか。部屋で昼寝でもしているだろうか。ミットの手入れ、あるいは漫画でも読んでいるだろうか。雨はひどくなる一方で、店内まで雨音は聞こえてくる。
と、来客を告げる出入口の扉に設置されたベルが鳴り、飛雄馬はふと、そちらに視線を遣った。
すると、出迎えた店員に愛想よく返事をする伴の姿が目に入って、飛雄馬は思わず、彼の名を呼んだ。
伴の耳に飛雄馬の声は届いていないようで、しばらく彼は店内を見回していたが、ようやく気付いたらしく、険しかった表情をふにゃりと緩めて、こちらに歩み寄ってきた。
「星、ここにいたのか。ずいぶん探したぞい」
「…………」
行き先も告げず、黙って寮を出たのが心苦しく、飛雄馬は伴の顔から視線を逸らす。
「お、怒っとるのか?ひとりがいいと言うのならおれは帰るが、遅くならんようにするんじゃぞい」
「いや、そうじゃない……まあ、座れよ」
「?」
はて、と首を傾げた伴を対面の席に座るよう促し、飛雄馬はメニュー表を彼に手渡す。
それと時同じくして、飛雄馬が注文したナポリタンが運ばれてきたために、伴もまた、同じものをと店員に告げた。
「その、まさか追ってきてくれるとは思わず……勝手にひとりで出歩いたりしてすまない」
「なんじゃ、それで歯切れが悪かったのか。なぁに、気にすることじゃないわい。星だっておれのような能天気と一緒だと息が詰まるじゃろう。こっちこそ追っかけてきてすまん」
「いや、正直に言うと、その、嬉しかった。伴が来てくれて……」
ナポリタンの麺をフォークで巻き取りつつ飛雄馬は言葉を濁す。伴は今、どんな顔をしているだろう。
予想外の言葉にぽかんと惚けているだろうか。それとも何を言ってるんだと笑い飛ばすだろうか。
それなら一言言っていけばいいのにと呆れているだろうか。
「あ、う、え、っと。そ、そりゃよかった。おれはてっきり怒られるかと思ったんじゃが……」
ぱくりと頬張ったナポリタンの味はなんだかいつもよりしょっぱい気がして、飛雄馬は小さく鼻を啜る。
照れたように笑う伴の顔が、滲んで見えるのは気のせいだろうか。
やっぱり、ここのナポリタンは伴と一緒でないと美味しくない。
「伴、きみってやつは本当に……」
「う、その、おれ、星に迷惑はかけんようにするつもりじゃから、嫌いにならんでくれえ……」
ふふっ、と飛雄馬は笑みを溢し、二口目を口に運ぶ。
程なく、伴が注文したナポリタンも席へと運ばれてきて、ふたり仲良く舌鼓を打つ。
薄切りのウインナーと細切りのピーマン、それと玉ねぎが少し。伴ときたら上に粉チーズをどっさりかけ、見ているだけで胃にもたれそうだが、それでも美味い美味いと豪快に食べ進めている。
「相変わらず、よく食べるな」
「星の顔を見たら安心して腹が減ったんじゃい」
二度目のおかわり分まであっという間に平らげた伴の満足気な顔を見つつ、飛雄馬もまたコーヒーを飲み干す。
「食後にコーヒーでもどうだ」
「いや、生憎じゃがもう入らんわい」
「少し、きみの腹具合がよくなってから帰るとするか」
「おう……すまんのう」
いつもの光景、いつもの会話。
やはりひとつでも欠けるとしっくり来ない。
伴がいてくれなければ、今のおれはないのだ。
末永くよろしく頼むぜ、伴。
飛雄馬は太鼓腹を撫でる伴を見つめ、胸中でそんな言葉を彼にかける。
そうして、伴がもう大丈夫と言うので、今日はおれが奢ると飛雄馬は伝票を手に支払いを済ませると、店外へと出た。
雨は相変わらず降り続いているものの、どこか気分は晴れていて、飛雄馬は顔を綻ばせたまま傘を開く。
「いいのか、奢ってもらっても」
「たまには、な。ここまで追っても来てくれたことだし……」
同じく傘を差し、隣を行く伴に小さく、ありがとう、と囁いてから飛雄馬は歩く速度をほんの少し速めた。
「お、おうい。待ってくれえ」
「…………」
ばしゃばしゃと背後で水を跳ね上げつつ駆けてくる伴の足音を聞きながら、飛雄馬は雨の日も、そう悪いものではないかもしれないな、とそんなことを思った。