夏祭り
夏祭り ふらりと立ち寄った商店に掲示されていた夏祭りのチラシが目に留まり、飛雄馬は足を止めた。
開催は今日の午後7時。
屋台の出店や協賛する商店街の野菜や商品が当たる福引きも開催される旨が1枚のチラシに達筆な文字で書かれている。
少し、覗いてみるかと苦笑し、一先ず購入した品を置きに飛雄馬は本日宿を取った簡易宿所へと戻ることとした。その道中にも商店街では提灯の飾り付けやテント張りなどが行われており、皆汗にまみれた赤い顔をして支度に勤しんでいる様子が伺える。
夏祭りなど、何年ぶりだろうか、いや、もう何十年ぶりになるだろうか。
幼い頃、そう、お袋がまだ存命だった時分に姉と一緒に手を引かれ、人混みの中を歩いた覚えがある。
懐かしいな、と行き交う浴衣姿の人々とすれ違いつつ、飛雄馬は幼少期の記憶に思いを馳せながら次第に日が沈みゆく空を眺めた。
そのうちに宿へと到着し、飛雄馬は部屋へと戻ると購入した日用品をすでに敷いていた布団の枕元に置き、再び宿所を後にする。
たった数分の間にも祭りの準備は着々と進んでいるようで、行き交う人々の数も徐々に増えつつあった。
もう開店している屋台もあるのか、かき氷やたこ焼きなどを手に歩いている人の姿もあり、辺りからは良い匂いが漂ってきている。
焼きそばでも買って帰ろうか、と飛雄馬が鉄板の上でコテを振るう屋台に向かおうとしたところ、道の向こうから不安げな表情を浮かべ、すれ違う人の顔を見上げる浴衣姿の男児が歩いてくるのが目に入った。
迷子だろうか、親とはぐれたのだろうか、考えはしたが、これだけ人がいるのだから誰かが声をかけ、保護してくれるだろう。
顔を背け、知らぬふりをしやり過ごそうとしたが、飛雄馬は背後でついに泣き出してしまった男児を放ってはおけず、ついに彼を追いかけるに至った。
「ねえ、きみ、大丈夫かい」
「ひっく……うぅ、ぼくのこと?」
何と声をかけようか迷った挙句、何とも気の利かない一言を発してしまったなと飛雄馬は思ったものの、男児がすぐに気づいてくれたためにその不安は払拭される。代わりに、早いところ彼の保護者を見つけてやらねばという焦燥感に駆られた。
飛雄馬は男児の目線まで屈んでやると、名前は?誰と来たんだい?と尋ねてから、そういえば、と掛けていたサングラスを外す。このような出で立ちでは子供は怖がってしまうと考えてのことだ。
少し、おどおどと怯えていた男児だったが、飛雄馬がサングラスを外したことで安心したか、名前と年齢を答えた。
「ケンイチ。おかあさんとおねえちゃんときたんだけどいないの」
「ケンイチくん、か。どこではぐれたか……ええと、どこでお母さんたちがいなくなったか覚えているかい」
「うん。わたがしのところ。わたがしをつくるのをみてたらおかあさんとおねえちゃんがいなくなってたの」
綿菓子、と飛雄馬は男児から視線を外し、辺りを見回すが周辺に綿菓子の屋台らしきものは見えない。
だいぶ遠くから歩いてきたらしかった。
「綿菓子のところに行こうか。お母さんたちがそこにいるかもしれない」
「うん」
男児は飛雄馬と会ったことで安心したのか泣くのをやめ、目元を手で拭うと歩き始めた。
「…………」
外したサングラスをシャツの首元にかけ、飛雄馬もまた男児の後を着いていく。
と、途中で男児がピタリと足を止めたため、飛雄馬は見つかったかい?と訊いた。
「ううん。おなかがへったの。たこやきがたべたい」
「…………」
いくら大人と出会って安心したとは言え、一人で歩き出すとは勇気のある子供だと思った飛雄馬だったが、男児が発した台詞から腹が減っていただけだったのかと苦笑し、わかったと言うなり屋台でたこ焼きのパックをひとつ購入した。
「ありがとう、おにいちゃん」
「食べたらちゃんと探すんだぞ」
「うん」
やれやれ、と飛雄馬は飲食用に張られたテントの中にある簡素なテーブルに着き、椅子に腰掛けると男児が美味しそうにたこ焼きを頬張る姿を眺める。
しかし、こうも人が多いと男児の母親探しは難航しそうだ。早いところ見つかってくれるといいが。
「おにいちゃんはたべないの」
口の周りにソースとマヨネーズをべったりとつけた男児が尋ねた。
「いや、おれは腹が減っていない。大丈夫だ。ありがとう」
「おにいちゃんはちかくにすんでるの?きょじんがすきなの?」
巨人?ああ、帽子を見たのか、と飛雄馬はくすりと微笑んでから、ああ、巨人が好きなんだと答える。
「そうなんだ!ぼくもね、きょじんがすきなんだ。こんどね、しあいをみにいくの。おとうさんがつれていってくれるんだ」
「…………」
試合、か。
男児は、ケンイチは5歳と話してくれたか。おれが活躍していたのもちょうど5年前になるだろうか。彼におれの正体を打ち明けたところで、ぽかんとされるのが落ちだろう。むろん、話す気もないが。
「おにいちゃん、それならほしひゅうまってせんしゅをしってる?おとうさんがね、すごいとうしゅだったっていつもいうんだ。ぼくはまだあかちゃんだったからぜんぜんしらないんだけど」
飛雄馬はたこ焼きの最後のひとつを口に入れた男児の顔を見つめ、思わず自分の名を発してしまいそうになって、慌てて口を噤む。
そうか、ケンイチの父は、おれのことを知っていてくれるのか、覚えてくれているのか。
泣き出しそうになるのを堪え、飛雄馬は知っているさ、と答える。
「そうなんだ!どんなひとだったの?かわかみかんとくのせばんごうをもらったんでしょう?」
「ああ、そうだ。あの偉大な──」
言いかけたところで、ケンイチ!と叫ぶ声がし、飛雄馬は弾かれるように声のした方向を見た。
ワンピースを身に纏った若い女性と、彼女に手を引かれた髪をふたつに結んだ浴衣姿の女児がテントの前には立っており、恐らく男児の母親と姉であることを伺わせた。
「おかあさん!おねえちゃん!」
男児は椅子から立ち上がり、弾かれたようにふたりの傍へと駆け出す。
どこにいたのと男児を叱る母親と、ごめんなさいと緊張の糸が切れたか泣き出す男児の姿を飛雄馬はしばらく見つめていたが、ふいに立ち上がると人混みに紛れるように歩き出す。
おにいちゃん!と背後から男児が呼ぶのがわかったが、飛雄馬は振り返らず、宿所へ続く道を引き返した。思いの外、早く見つかってよかったなケンイチくん。そう、男児に胸中で声をかけ、飛雄馬は先程買いそびれた焼きそばを購入すると、宿へと戻る。
いつの間にか日はとっぷりと暮れている。
部屋の明かりをつけ、受け取ったばかりでまだ温かい焼きそばを狭い部屋でひとり啜っていると、花火が上がったか轟音とともに人々の歓声が飛雄馬にまで届いた。
ああ、お袋と姉と夏祭りに出向いたときも花火が上がっていたな、色とりどりの花火が何発も夜空を染めていた。
もう、あの日々は戻ってはこないのだ。
母も父も、姉や親友は、もういないのだ。
何もかもを、おれはあの日あの場に置いてきたのだから。
体の奥にまで響く花火の打ち上げる音を感じながら、飛雄馬は夏祭り前に買って、冷蔵庫に入れ忘れていたぬるい缶ビールを袋から取り出すと、窓に映る花火の光を目に留めつつ焼きそばの濃い味を苦い炭酸で飲み下した。