どこかで飯でも食うて帰るかのう、と伴はお抱えの運転手付きのベンツに乗り込みつつ、隣に座る飛雄馬にそう、話を振った。
ああ、と飛雄馬は返事をしつつ後部座席のドアへと体を預け、頭を窓ガラスへと寄せる。 伴重工業が所有するグラウンドでアメリカから呼び寄せたビル・サンダーのコーチを受けつつ飛雄馬が打撃練習を始めてもう1週間ほどになるだろうか。
かのニューヨーク・ヤンキースでも活躍していた彼の指導の腕は確かなもので、独学で機械相手に日々練習を重ねていた飛雄馬の体に染み付いていた妙な癖も矯正され、生きた球相手に見違えるような成長を遂げていた。
度重なる打撃練習のせいで飛雄馬の掌にはマメが出来、それが潰れ血が滲むことを毎日のように繰り返している。次第にそれは固くなり、タコのようになる。
飛雄馬は窓に頭を傾けたまま、掌に出来たタコを見下ろし、数回拳を握りそれを開くことを反覆した。
痛むか?とその様子を眺めていた伴が不安げに尋ねてきて、飛雄馬はいや、と否定の文句を口にしつつ、見た目ほど痛くないと続ける。
「ご自宅でよろしいのですか?」
「あ、いや、うむ、馴染みのすき焼き屋にせい」
行き先を訊いてきた運転手にそう答えた伴に、またすき焼きか?と飛雄馬は苦笑した。
「スタミナをつけるには肉が一番だと思うんじゃが……飽きたか?」
「そうじゃない。伴の帰りをいつもおばさんが待っていてくれるんじゃないか?」
「…………」
「おれにばかり構ってないでたまには家で待ってくれているおばさんのことも考えろ。いつも伴のことを思って食事の献立、考えてくれてるんだろう」
「う、うむ……そう、じゃのう。それもそうだ」
伴は唸りながらも飛雄馬の言葉に腕組みしつつ聞き入る。
「それではご自宅に?」
今の会話を聞いていた運転手が再び行き先を尋ねてきたもので、伴は、頼む、と短く言い放つ。
「しかし、今からでは遅くならんか?今日は外で食べてくると言って出てきたもんで……」
ちら、と伴は飛雄馬に視線を送りつつ、色んなことを話したいしのうとも続けたところで、彼が目を閉じ寝入っていることに気付く。
車のドアにもたれ掛かるようにしながら眠る飛雄馬の横顔が目に入って、伴は思わずドキッとする。
再会したときからやたらと大人びて見えたが、寝顔は変わっとらんのう、と伴は微笑んで、運転手にすまんがしばらく辺りをドライブしてくれと告げた。
「はっ、はい」
運転手はハンドルを握りつつ、ウインカーを左に出し、車線変更するとそのまま車を走らせる。
それにしても、と伴は座席に背を預け、自身もまた車窓から外の景色を眺める。
たった5年でこうも社会は変わってしまうものだろうかとも思う。自分も花形も実業界入りし、プロ野球選手として飯を食っていたことももう昔の話だ。
大企業の次期社長としての教育を受け、世間に揉まれる内に酒の味も煙草の味も覚えた。
けれど、再び自分の前に現れた星という男はあの頃のまま何も変わっていない。
互いに若き熱い血を燃やした青春を思い出させてくれる。
「ん………」
車体が揺れ、そのせいでそのせいで目を覚ましたらしき飛雄馬が吐息を漏らし、寝ていたか、と目を瞬かせた。
「あ!?いや、大丈夫じゃい」
「ふふ、伴と共に大リーグボールの開発をしている夢を見ていた。もう、左腕は使い物にならんと言うのに」
「星」
「伴には支えてもらってばかりだな」
言うと飛雄馬はハンドルを回し、車の窓をほんの少し開いた。むっとするような暑い風が車内に入り込んで、飛雄馬は夏だな、と呟く。
「………そうじゃのう」
ぽつり、と伴は独り言のように呟いて窓の向こうを見遣る飛雄馬の姿を瞳に映す。
「明日もよろしくな」
「明日どころか明後日もその後もずっと一緒じゃい」
飛雄馬は答えず、ただ黙って肌に触れる夏の訪れに身を委ねつつ、ぎゅっと左手で拳を握った。