味噌汁
味噌汁 しまった、寝坊したぞい!との大声が耳に入って、飛雄馬は苦笑すると味噌汁の鍋の火を止めた。
「おはよう、伴」
「な、なんじゃい……脅かすな星よう。おれはてっきり寮での朝連に寝坊したかと思ったわい」
慌てた様子でリビングに顔を出した伴に挨拶をし、ぶつくさと文句を口にした彼に、おれは何もしとらんぞと飛雄馬は再び微笑むと、朝飯にしようかと話題を変えた。
「朝飯ぃ?明子さんは?」
「ねえちゃんなら今日は人手が足りんとかで朝からアルバイトに出て行ったが、おれとふたりの朝飯は不満かい」
「そ、そんなことは言っとらんわい!」
「ふふ、まあ、顔でも洗ってこいよ」
言いつつ、飛雄馬は電気釜で炊いたばかりの白飯を冷えぬよう電気ジャーに移し替えながら伴にそんな言葉をかける。
「う、うむ……」
未だ寝惚けているのか伴が何度か首を傾げながら洗面所へと向かうのを見送りながら飛雄馬はコンロにフライパンを置くと、サラダ油をほんの少しそこへ垂らしてから卵をふたつ、割り入れた。
伴が身支度を整え、さっぱりしたわいと戻ってくる頃には目玉焼きが出来上がっている。
「はて、おれはまだ夢でも見とるんかのう」
「夢?何の話だ」
「なぜ明子さんがおらんのにテーブルの上には立派な朝食ができとるんじゃ?」
「おれが作ったからな」
えっ、と伴が目を丸くし、飛雄馬を見つめた。
その視線を受け、飛雄馬はおれの顔に何かついてるか?と訊いてから先に席に着くと、いただきますと手を合わせる。
「ほ、星がか?きっ、きさま料理ができるのかあ」
「上手じゃないが、小さい頃からねえちゃんの手伝いはしてきたからな。味噌汁くらいは作れるぞ」
「い、意外な一面を知ってしもうたわい……」
額に浮いたらしき汗を手で拭い、伴はぼやくと飛雄馬の対面の席へと腰を下ろす。
そうして、伴もまたいただきますと手を合わせると、箸を取り、豆腐とわかめ味噌汁に口を付けた。
果たして、うまいと言ってくれるだろうかと飛雄馬は伴の顔をちらりと見遣りつつ自分もまた、味噌汁を啜る。
「…………」
「うまい。うん、星、うまいぞい。明子さんが作る味噌汁と同じじゃい」
「それはよかった」
ホッと胸を撫で下ろしながら、ねえちゃんと同じ、ねえ、と内心がっかりもしつつ飛雄馬はおかわりもあるからなと茶碗を手に白飯を口へ運ぶ。
伴は昨日から飛雄馬と明子の住むマンションに寮から外泊許可をもらい、泊まりに来ている。
飛雄馬が寮を出てからというもの、共に過ごす時間は多少減りはしたが、休日にはこうしてマンションを訪ねたり、駅で待ち合わせをし、食事に出歩いたりとチームメイト以上の親交は継続している。
とは言え、休日らしい休日を過ごすことはあまりなく、練習が休みでも飛雄馬は伴を多摩川練習場へと連れ出し、連日特訓を重ねているのだが。
姉の明子が早くから家を空けていることもあり、日々の礼を兼ねて、と言っては何だが、朝飯くらい作ってやろう、と思い立ったのが事の発端であった。
「野球以外にも得意なことがあったんじゃのう」
目玉焼きの黄身部分を箸で潰しながら伴が呟く。
「野球以外は余計だぞ」
茶碗をくれ、と飛雄馬は席を立つと伴から空になった茶碗を受け取ると、そこに山盛りの白飯をよそい、彼へと返す。
「おれの取り柄といえば身体の丈夫さと柔道くらいじゃからのう。羨ましいくらいじゃい」
「なに、友達思いで優しいところもあるじゃないか」
伴の椀に味噌汁を注ぎ、テーブルの上へと置いた。
「そ、そうかのう。星にそういってもらえると嬉しいわい……」
でへへと照れながら、伴は山盛りの白米を半分ほど味噌汁と共に平らげてから、嵩の減った飯の上に黄身を潰した目玉焼きを乗せる。
「しかし朝からよく食べるな」
「星の作ってくれた飯がうまいからのう。いくらでも入るわい」
「また太るぞ」
「うっ」
「ふふ、冗談……そう言ってもらえてこちらも嬉しいさ。ありがとう」
太るぞ、の言葉に動きを止めた伴を笑って飛雄馬は一足先に朝食を食べ終え、ごちそうさまと食器類を流しへと持っていく。
「星こそそれだけでいいのかあ。おれは球を受けるだけじゃが、投げる星の方が体力を使うじゃろうに」
「食べすぎると体が重くなるからな。それに元々多くは食べられんでな」
「ふむ……難儀なことじゃわい」
結局、伴はそれからもう一杯ずつおかわりをし、多めに炊いた白飯と味噌汁をすべて胃の中に収めた。
もう食べられんわいとリビングのソファーの上に横になった伴を横目に、飛雄馬はキッチンで朝食の後片付けをすると、しばらく休んでから街に出るかと尋ねた。
「う、うむ……そうさせてもらうわい。うっぷ。食いすぎて一歩も動けんぞい」
「無理して詰め込まんでもよかったのに」
「今度は、うっぷ……いつ食えるかわからんからのう。食えるときに食っとかんとな」
「…………」
言うと、うーんと呻き、目を閉じた伴の傍らに歩み寄り、飛雄馬は、あんなものでよければいつでも作ってやるぞと囁きながらテレビのチャンネルを回す。
「…………」
伴からの返事がない代わりに、テレビの画面からはニュースが流れ出す。
さて、今日は何をして過ごそうか、と飛雄馬はニュースをぼんやりと聞きながら、カーテンの開けられたリビングの窓の向こうに視線を遣る。
目の前にはいつもと変わらぬ風景、朝日を浴び、眩しく輝く東京タワーがそびえている。
平穏とはとても言えぬ日常を過ごしているおれたちだが、たまにはこんな日があってもいいのかもしれんな、と飛雄馬はそんなことを考えつつ、どうやら眠ってしまったらしい親友に布団をかけてやるべく立ち上がった。そうして、自室から掛け布団を手に戻ってくると、伴の体の上へと乗せた。
「ううん……星よう。もう食えんわい……」
まだ言ってる、と苦笑いを浮かべ、飛雄馬は伴の傍らの床に腰を下ろすと、彼の高いびきをかく間の抜けた寝顔を前に再びくすりと微笑んだ。まだ今日という一日は始まったばかりだ。