未練
未練 日雇いの給金が思った以上に多く、飛雄馬はこの日、駅前のビジネスホテルに泊まることに決めた。
久しぶりのひとりの空間、簡素ではあるが寝具と日用品の揃った部屋。低価なホテルとは言え、ドヤ街の湿気た薄い煎餅布団とはやはり雲泥の差がある。
ひとまず、汗を流し、ひと眠りするとしようと飛雄馬はクロゼット中の浴衣を手に取ると、浴室へと続く部屋中の扉を開け、そこで汗と泥にまみれた衣服を脱ぎ捨てた。贅沢はあまりしたくないが、たまにはいいだろうと選んだ一室。先日、訪れた海沿いの町は住人たちも皆優しく、部外者である自分を何の隔たりもなく受け入れてくれたことを思い出し、顔を綻ばせながら飛雄馬はシャワーの熱い湯を頭からかぶった。
夏が終われば3年生が受験のために部を抜けるという部員数ギリギリの野球部。
グラウンドで土と汗にまみれながらも、キラキラと顔を輝かせながら白球を追いかける少年たちにいつの日かの己を重ね見て、思わずコーチ役を買って出た。
一度も甲子園の土を踏んだことがないと言っていた彼らの、力になれたらとそう思ってのこと。
かけていたサングラスを外し、素性を明かしてからおれに会ったと誰にも口外しない約束でみっちり鍛え抜いてやった彼らは今頃、どうしているだろうか。
浴室に備えられていたお世辞にも上等とは言い難いシャンプーで髪を洗い、液体石鹸で体の垢を落としてから飛雄馬はふと、部屋の出入口の扉がノックされたような音を聞き、耳を済ます。
すると、シャワーヘッドから放出される水音に混ざり、再び扉がノックされる音が浴室まで響いて、飛雄馬は湯を止めると、しばしその場に立ちすくむ。
一体、誰が訪ねてきたというのだ。居留守を使うか。
しかし、外で何か急を要する事件等が起き、慌てて知らせにきてくれたのかもしれない。
体もろくに拭かぬまま浴衣を羽織って、飛雄馬は部屋の扉を開ける。そうして、訪問者の顔を目の当たりにし、うっ、と小さく呻くと固まった。
ニッ、と扉一枚隔てた向こうで訪問者の男が微笑み、飛雄馬の額から鼻の脇にかけて、濡れた髪から垂れたものとは違う、汗が一筋、伝い落ちる。
「は……花形さん」
やや飛雄馬が見上げる背丈の、花形さんと呼ばれた訪問者──は、入ってもいいかね?と一言、発してから握っているであろうドアノブをぐるりと回した。
「なぜ、ここに?」
「詳しいことは中で話そうじゃないか。ドアを開けてくれたまえ」
「…………」
開けてしまって、部屋に招き入れてしまっていいのか?花形さんひとりか?ねえちゃんは?親父は?伴は?左門さんは?
懐かしい顔触れが脳裏をよぎり、飛雄馬は花形の──顔を見つめたまま言葉を発することもできなかった。
緊張しているのか、それとも不安からか心臓だけがやたらと速く鼓動し、飛雄馬の体を火照らせる。
「入らせてもらうよ」
「っ、……」
入らないでくれ、と大声を出せば、何事かとそれこそ人が集まってくるに違いない。しかし、このまま彼を立ち入らせるわけにはいかない。
なぜ、どうして、花形さんがここに?
「顔色がよくない。具合でも悪いのかね」
「ひっ、人違いだ。おれはあんたなんか知らない。部屋を間違えていないか」
やっとのことで飛雄馬は言葉を紡ぎ、花形を睨みつける。引いてくれ、頼む。このまま立ち去ってくれ。
「…………きみは星飛雄馬くんだろう。誰が人違いなどするものか」
一瞬の沈黙のあと、花形はそう、淡々と言葉を紡いで、内開きの扉を押し開けるなり、為す術なく固まる飛雄馬の前に立ちはだかった。彼の背後では無情にも音を立てて扉が閉まり、中は完全な密室となった。
「だっ、誰が入っていいと言った?出ていってくれ」
「おお、こわ……久しぶりの再会だと言うのにずいぶんご挨拶だ」
あっけらかんとした様子で花形は戯け、服を着替えたらどうだね、と続ける。
「そ、んなことどうだっていいだろう。どういうつもりでここに……」
「濡れたままでは風邪をひく。ぼくはきみのためを思って言っているんだがね」
「…………」
言われてみれば、まともに水気も取らぬまま羽織った浴衣は濡れていて、嫌な汗をかいたせいもあるのか肌の表面は冷たくなってしまっている。
しかし、着替えなどあとは汚れたシャツとスラックス類しか残っていない。
「もう一度、体を温めてきたまえ。着替えは持ってこさせよう」
「…………」
「体調を崩しては元も子もないだろう」
元はといえば、花形さんが突然訪ねてきたからだろう、の言葉を飛雄馬は飲み込み、促されるままに浴室へと舞い戻った。湿った浴衣を脱ぎ捨て、再びかぶったシャワーの湯が、先程より心地よく感じられるのは体が冷えているせいか。
花形さんは一体、何の目的でおれの部屋を?
東京から遠く離れたこの土地で、なぜあろうことか彼に出会わねばならないのか。飛雄馬は目を閉じた顔に湯を浴びせかけ、額へと垂れた前髪を掻き上げる。
「着替えを」
「…………!」
「置いておくよ」
「…………」
シャワーの音に混じって耳に届いた花形の声に、飛雄馬はぎゅっと唇を引き結ぶと、体をきちんと拭き上げ、浴衣を纏って浴室から出た。
「新聞に、出ていたよ」
「…………」
「そう、睨まないでくれたまえ。ここは球場ではないし、それに今、ぼくと飛雄馬くんは球団所属の選手でもない」
「いくら昔からの知り合いとはいえ、急に現れたかと思えば許可も得ず、部屋に押し入ってくるような人とおれは友好関係は結べない」
「フフッ、それについては謝ろう。すまない」
まったく悪びれる様子なく言ってのける花形に、飛雄馬は些かの不審感を抱きつつも、彼が手にしている新聞を目に留め、出ていた、とは?と尋ねた。
「きみがコーチ役を買って出た高校がね、甲子園出場が決まったと地元の新聞に出ている」
「……そう、ですか」
飛雄馬は花形の言葉を聞くなり、ふっと表情を緩め、それはよかった、と髪を拭いていたタオルを肩に下ろし、目を細める。
「野球に未練が?」
しかし、花形が続けざまに吐いた言葉に、再び飛雄馬は眉間に皺を寄せて彼を睨むも、力なく微笑すると、おれにできるのはそれくらいですから、と呟いた。
「…………」
「花形さんは未練があるんですか?」
「野球に、未練はないがね」
「野球、に?」
首を傾げ、飛雄馬は目の前の花形を仰ぐ。
と、花形が急に距離を詰めるように歩み寄ってきて、飛雄馬はやや後退った。
球界を引退し、父親の会社を引き継いだとは聞いていたが、三つ揃えのスーツをすらりと着こなす花形さんは数年前の彼とは別人のようだ、と飛雄馬は自分の格好に心許なさを感じつつ、目の前の男を見つめる。
「ぼくに未練があるとしたら、飛雄馬くん、きみに対してだろうね」
「おれ、に?」
真っ直ぐにこちらを見つめ、絨毯敷きの床を踏みしめ、一歩一歩歩み寄って来る花形から飛雄馬は視線を逸らせず、彼の動向を見守る。
そうして、差し伸べられた腕に、ぎくりと身を強張らせたものの、髪をきちんと拭きたまえ、の言葉に、花形の指が触れかけた、己の両肩に下ろしたままのタオルに目線を合わせた。
すると、そのタオルの両端を握られたが早いか、力任せに引き寄せられて、飛雄馬はわけもわからぬままに花形の胸へと飛び込んだ。
「う、ぐっ……」
抱き留められた先、花形の腕の中に己の体があることはもちろんだが、その顔が耳元にあることで、飛雄馬の全身がひりつく。力を目一杯かけられたうなじがひりひりと痛みはしたものの、背中を撫でた掌の熱さに肌が粟立った。
「興信所の人間からきみを見つけたと連絡が入ってね。それでここにいることを知ったのさ」
「こう、しんじょ……?」
何を言っている?何をするつもりだ、花形さん。
耳元で囁かれる声に、肌が妙に火照る。この状況のせいだろうか、それともさっき体が冷えたせいで風邪をひきかけてしまっているのか。
足元に落ちたらしきタオルが足先を冷やす。
背中を撫でていた花形の手が飛雄馬の腰を抱き、唇が耳に触れた。飛雄馬は顔をしかめ、小さく声を上げると、よせ、と拒絶の言葉を吐き、身をよじる。
「断る。もう離さないと言ったら?」
「っ……!」
まさかの言葉に、飛雄馬は動揺し、花形を見上げた。
と、花形が顔を寄せてきたために、やめろ、と頭を振った刹那に、床に浴衣の帯がするりと解け落ちて、飛雄馬はハッ、と花形の顔を見つめた。
それを待ち構えていたかのごとく、花形の唇で口を塞がされて、飛雄馬は驚きのあまり目を閉じる。
腰を抱く腕の力が強くなって、飛雄馬はそれを引き離そうと花形の腕を掴んだ。
閉じた唇を舌先で撫でられて、声を漏らしたところに舌が滑り込む。強引にこじ開けられた口内を弄ばれながら、ただ羽織るだけとなっていた浴衣が床に落ちる音を飛雄馬は聞いた。
「う、あ…………、っ、」
目を開けたくない。目を開ければ、自分の無様な格好を目の当たりにしてしまうことになる。
換えの下着もないままに、浴衣一枚を羽織っていたことが運の尽き──いや、花形さんの興信所の人間が近くにいるとも知らず、あの高校球児たちに出会ってしまったことが、そもそもの──。
「目を開けて、飛雄馬くん。見たまえよ」
言うと、花形は飛雄馬の臍付近まで反り返った男根を指先でそっと撫で上げ、それを掌に握り込んだ。
「っ、く……」
いつの間に、と飛雄馬は花形がゆっくりと刺激を与えてくる自身のものが、無意識のうちに反応していたことに歯噛みする。
「スーツを汚さないでほしいがね」
「てっ、手を……はなし……っ、」
「ベッドに行こうか、飛雄馬くん。ここではきみも辛いだろう」
嫌だ、と飛雄馬は首を振り、掴んだ花形の腕に爪を立てた。
「それは残念だな」
さも愉快そうに花形は言うと、男根から手を離し、飛雄馬は弾みでよろよろと床に崩れ落ちる。
この状況が夢か現かも判別のつかぬまま、飛雄馬は花形の綺麗に磨かれた革靴を潤み、霞んだ瞳で見つめる。夢なら早く、覚めてくれ、と思う。
きっと夢だ、おれは疲れ果てて、シャワーを浴びもせず眠ってしまったのだ、きっとそうだ。
そこで飛雄馬はふと、何やら金属が擦れ合う音を耳にし、ハッと顔を上げる。
すると、目の前には花形の──目を背けたくなるものがあって──飛雄馬は視線を逸らした。
咥えて、と頭上から声が降ってきて、飛雄馬は、奥歯を噛み締める。夢ではない、現実なのだ、これは。
「っ、それで、終わるんだな」
「…………」
ごくり、と喉を鳴らし、飛雄馬は花形の男根に手を伸ばすと、一息にそれを口に咥えた。
先が喉を突いて、嘔吐きそうになるのを堪えつつ、飛雄馬は根元まで咥えたそれをすぼめた唇でしごく。
形容し難い味が舌の上に乗って、飛雄馬の瞳はまたしても涙で潤んだ。
フフッ、と花形が笑い声を上げたか、そんな声が耳に届いて、飛雄馬は固く目を閉じる。
花形の男根を咥えたまま、口内に唾液を溜め、上顎と舌とで微妙に力加減を調整しながら、飛雄馬は早くこの悪夢が覚めてくれと、そればかりを願う。
「そろそろ出すよ」
「あっ、ぐ……、!」
言われ、慌てて口を離しかけた飛雄馬だが、上から頭を押さえつけられ、そのまま喉奥に花形の放出を受けた。口内で花形が脈動するのを感じつつ、飛雄馬は何の遠慮もなしにぶちまけられた精液が、喉を焼く感覚に戦慄く。口から溢れた体液がどろりと唇の端から顎を伝い、首筋へと流れた。
ようやく、花形が離れていってくれたと同時に、飛雄馬は激しく噎せ込み、口元に当てた掌に放出された彼の精液をほとんど吐き出す。
「…………」
そうして、何を思ったか花形が差し出してきたハンカチを手で払い落として、飛雄馬は数回、咳き込んでから、潤んだ瞳で彼を睨み据えた。
「こんなことっ……なんでっ、おれがっ……行方をくらませたのがそんなに、っ、気に食わなかったのか?だからこんなっ……」
「…………毎日、ぼくはきみの夢を見るよ、飛雄馬くん。寝ても覚めてもきみのことばかり考える」
衣服の乱れを正してから床に落ちたハンカチを拾い上げ、花形は飛雄馬の顔を拭いてやるべく手を伸ばす。
「ふ、ふふ……大リーグボール3号を打てなかったことが心残りか?あいにくだが、おれはもう球は投げられ、っ──」
嘲るように声を上げ、笑った飛雄馬だったが、次の瞬間、花形に腕を掴まれ、そのまま床の上に引き倒された。いくら絨毯敷きの床の上とはいえ、頭をぶつければそれなりの痛みは伴う。飛雄馬は受け身も取れぬままに床にしたたか後頭部をぶつけ、痛みに喘いだ。
「飛雄馬くんはこの花形が、いつまでも過去のことを引きずる男だと思うのかね」
「い、っ……っ、ふ、ふ。現に図星を突かれたからだろう、力に物を言わせて人を組み敷いて……っ、離してくれ、おれはあなたとっ、争いたいわけじゃない」
飛雄馬の体に馬乗りになり、左手首を掴んでいた花形が、手を離すや否や、ふいに跨がっていた両足に手をかけた。何を、と問いかけた飛雄馬だったが、膝を立て、左右に広げさせられた足の間に花形が身を置いたのを見て、体を強張らせる。そうして、花形が指を咥え、唾液を纏わせる様を見つめた。
「きみはいいだろう。腕を壊し、行方をくらませたまま不便ながらも自由な生活を送る。しかし、残された方はどうなると思う?ずっときみに、飛雄馬くんに囚われたままさ」
唾液で濡らした花形の指が、飛雄馬の尻の中心を撫で、そこからゆっくりと腹の中を探っていく。
「う、うっ……」
「力を抜いて、そう……」
萎えかけていた飛雄馬の男根が、腹の中を探られたことで再び首をもたげていく。ゆっくりと中を指先で撫でられ、飛雄馬の体はひくひくと戦慄いた。
そうして、花形が指を曲げ、触れた箇所を中からとんとんと緩やかに叩かれて、飛雄馬は肌が粟立つのを感じる。
「──、っ、……」
「いいならいいと言ってみたまえ。その通りにしてあげようじゃないか」
「よく、なっ……」
答えた飛雄馬だが、次の瞬間、体の中からふと、花形が離れていくのがわかって、閉じていた目を開け、己の足の間にいる彼を見上げた。
すると、花形がクラックスの前を開け、中から男根を取り出したのが見えて、よせ!と叫んだ。
「よしても構わないが、飛雄馬くんはいいのかね。このまま眠れるかい?」
「そっちがっ、始めたことじゃないか……!」
花形を睨み、そう言った飛雄馬だったが、指先が触れた箇所が物足りなさにぐずぐずと疼くのがわかる。
立ち上がりつつある男根は、鈴口から先走りを垂らし、飛雄馬の腹を濡らしている。
「もっと足を開いて」
「いい加減に、っ……」
足を更に大きく押し広げられて、充てがわれたそれ、から飛雄馬は目が離せない。だめだ、受け入れてしまったら……。
ぬるっ、と花形の男根が飛雄馬の入り口を押し広げて、腹の中へと強引に割り入ってくる。
あっ、と一声、呻いてから、飛雄馬は中を彼の形に作り変えながら奥へと突き進んでくる熱に耐えかね、顔を腕で覆った。
「痛い?」
「痛いに、決まってるだろっ……」
「…………」
ぎっちりと根元までを埋め込んでから、花形は飛雄馬の腰を引き寄せ、その体の上に覆いかぶさるようにして脇に手を置く。
「くぅ、うっ……」
「動いてもいいかい」
「っ、好きにしたらいい、いまさらっ、」
吐き捨てるように言うと、花形が腰を引き、腹の中が引きずられて、飛雄馬は背中を弓なりにしならせる。
「腕をどけて」
「…………」
首を振り、唇を引き結ぶと、花形が腰を叩きつけてきて、あまりの衝撃に飛雄馬は喘いだ。
と、上ずらせた顎先に花形が口付け、その首筋にゆるりと唇を押し当てた。
かと思えば、引いた腰を再び打ち付けてきて、飛雄馬の肌の表面にはじわりと汗が滲む。
花形の唇が触れた箇所が熱を持ち、甘く疼いた。
「はやくっ、はやくおわれっ……っ、あ」
体を揺さぶられ、腹の中を犯されて、飛雄馬は次第に自分の体が絶頂を迎えようとしていることを知る。
なんて様だ、無理矢理体を暴かれ、いいように弄ばれて、不覚にも快楽に身を委ねようとしているなんて。
くる、だめだ、花形さん、とまれ、止まってくれ──そう、願った飛雄馬の声が花形に届いたか、彼はピタリと動くのをやめた。
えっ、と声こそ出さなかったものの、飛雄馬は顔を覆っていた腕をずらし、花形を見上げる。
「どうしたの。不満かね、もう少しでいけそうだったのに、とでも言いたげだ」
「卑怯だぞっ、花形さん……っ」
「卑怯と来るかね。きみには言われたくないな、飛雄馬くん」
フフッ、と笑みを浮かべた花形が唇を寄せてきて、飛雄馬はされるがままにそれを受け入れる。
「ふ……っ、あ……」
何度も唇を啄まれて、絡められた舌に再び、あの感覚が蘇ってくるのを飛雄馬は感じる。びくん、と大きく体が跳ねて、中にいる花形を飛雄馬は締め付け、全身を戦慄かせる。
「…………」
「あぁっ……っ、ん、ぅう……」
「フフッ……」
止めていた腰の動きを、花形が再開させ、飛雄馬は、彼の腕にすがりつく。動かないでくれ、頼むと震える声でそう言ったが、花形はそれを聞き入れてはくれなかった。絶頂を迎え、敏感になってしまっている飛雄馬の体に更に揺さぶりをかけ、腹の中を擦る。
「いやだっ、いや……あ、っ……」
「ひとりだけいっておいて嫌だはないだろう」
「ん、あ、あっ……」
寄せられた唇に自分から唇を押し付けて、飛雄馬は花形の腕の中で二度、絶頂を迎える。
そうして、三度目の絶頂を貪ったとき、ようやく花形も動きを止め、飛雄馬は床へと腕をだらりと伸ばした。中から花形が抜け出て、一度口付けてから離れていったのを飛雄馬は視線だけを動かし、その動向を追った。
「しばらく、ここに留まるのかね」
「…………」
「気が向いたら連絡をくれるといい」
誰が連絡などしようというのだろう。できればもう、二度と会いたくない。
「…………」
何やら、花形が胸ポケットから取り出したらしきペンで書き記しているのが見えたが、飛雄馬はそのまま目を閉じる。また会おう、飛雄馬くん、そう、言い残して花形は部屋を出ていく。
扉が閉まる音を聞きながら、飛雄馬は腕で目元を拭い、ゆっくりと体を起こしてから胸元に残る花形の跡を見つめると、大きく息を吐いた。
早いところここを発たなければ。彼の目の届かないところに行かなければ。
ふらつく体を懸命に突き動かし、飛雄馬は汚れた我が身を清めようと浴室の扉を開け、シャワーのコックをひねる。体にかかるぬるい湯が、次第に熱を持ち、肌を刺す。至るところに、花形の感触が残っている。
一体、なんのつもりであの男は、おれにあんなことを。考えたところで答えに行き着くはずもなく、飛雄馬はしばし呆然と立ち尽くす。
そうして、濡れた体のままで外に出て、花形が置いていったらしき名刺が置かれている部屋のテーブル付近まで歩いてみれば、そこには綺麗にクリーニングされた衣服一式が揃えてあり、飛雄馬は、じっとそれを見つめる。彼が体を温めておいでと言ったとき、ホテルマンに言付けでもしたのだろうか。
床に落ちたままになっていたタオルで体を拭いて、飛雄馬はベッドに横になると目を閉じる。
今はただ、眠りたい。その後のことは、起きてから考えよう…………そのうちに、意識が薄れていき飛雄馬はベッドの上で、小さく寝息を立てた。