未来
未来 目を輝かせ、うんうんと頷く飛雄馬に思わず隣を行く日高美奈はクスッと吹き出し、それから、ごめんなさい、と謝罪の言葉を続けた。
「あ、いや……こちらこそ。九州に来たのはこれが初めてで……色々教えてもらえるのが嬉しくて、つい……」
照れ臭そうに頭を掻きつつ、飛雄馬は頬を染める。
宮崎キャンプで出会った彼女と、数日ぶりの逢瀬に飛雄馬は浮足立っていた。
あのとき、伴の投げた球を捕り損ねたせいで怪我をしてしまった少女も、だいぶ回復したとの話で、ほっと飛雄馬が胸を撫で下ろしたのもついさっきのこと。
「いいえ、私の方こそ笑ったりなんかしてごめんなさい。星さん、野球のことはとてもお詳しいのにそれ以外はからっきしなんだもの……ふふ」
「め、面目ない……ジャイアンツの先輩方からもよく言われるんです。星は野球に関しては天才だが世の中のことについては疎すぎるって……ああ、またこんな話。すみません」
「もっと、知りたいわ。星さんのこと」
しまった、と慌てて口を噤み、様子を伺うようにして見遣った彼女は柔らかな笑みを浮かべており、飛雄馬はその神々しさに目を奪われる。
彼女──日高美奈は、それほどまでに美しかった。
変に驕ることもなくおれの質問に丁寧に答えてくれる彼女の姿はそれこそ天使のようだった。
両親に愛され、慈しまれ、大事に育てられると人間、こうも優しく清らかになるのだろうか。
果たして、おれはどうだろう。
野球のことしか知らずにこれまで生きてきて、女性に対しこんなに自分をさらけ出したことなどなかった。
「おれは、美奈さんといるとこう、なんだか、心が洗われるような気がするんです。きっと、あの診療所に来る患者さんたちも同じ気持ちを抱いてるんじゃないかな。あなたがそばいるだけで、場がパッと明るくなるような気がする」
「…………」
「おれも、もっと美奈さんのことを知りたい。たくさん、話がしたい」
言いながら、飛雄馬はハッ、と自分がひとり、先を歩いていることに気付いて背後を振り返る。
すると、少し後ろの方でこちらを真っ直ぐ見つめたまま黙っている美奈の姿が目に入って、飛雄馬は全速力でそこまで駆けた。
「…………」
「み、美奈さん!ごめんなさい。おれひとり先に行ってしまって……おれはいつもそうだ。ひとりで突っ走ってしまう」
「星さん、私、あなたに出会えてよかった。毎日が、とても楽しいの」
「え?」
ふいに冷たい風が吹き、美奈の黒髪をなびかせる。
そのまま、頬に張り付く髪を指で避け、耳にかける彼女に飛雄馬は、どういう意味ですか?と聞き返す。
「最初はあなたのこと……気分を悪くさせたらごめんなさい。なんて世間知らずな人なんだろうと思ったの。でも、違うの。星さん、あなたは純粋すぎるんだわ。世の中の悪意から身を守る術を知らないのよ」
「え?ど、どういう意味です?」
「…………私はあなたの行く先が心配でならない。怖いの、とても」
「…………?」
急に、どうしたんだろう、と飛雄馬は目を何度も瞬かせ、行きましょう、と先を急かす。
「星さん、人は変わることができるわ。考え方ひとつよ」
「……現に、おれはあなたに出会えて、変わることができましたから」
飛雄馬は、日が沈む前に診療所に戻りましょうと言うなり、美奈の隣に寄り添い、歩幅を合わせるようにして歩み始める。
美奈さんはたまに、こうしてすべてを見通したようなことを言う。
おれはそれがなんだか怖くて、思わず口を閉してしまう。
おれの行く先は一体、どこなんだろう。
その先に、美奈さんはいないんだろうか。
美奈さんには、何が見えているんだろうか。
飛雄馬は再び吹いた肌を刺す、冷たい風に眉をひそめ、隣を歩く美奈に寒くはないですか?タクシーを拾いましょうか?と訊いた。
「私は大丈夫。星さんこそ体を冷やすとよくないわ。早めにホテルに戻るべきよ」
「……それなら、歩きましょう。おれがついていますから暗くなっても大丈夫ですよ」
「…………」
「宮崎のことも、美奈さんのことももっとたくさんのことを教えてください」
「ええ」
微笑み、顔を上げた美奈に合わせ、飛雄馬もまた笑顔を浮かべると沈み行く夕日に逆らうよう、ふたり、歩調を合わせ、宮崎の街を歩いた。