見舞い
見舞い コツコツと病室の扉をノックされ、花形はベッドの上に足を投げ出すようにして座って読んでいた本から顔を上げると、どうぞ、と応えた。大方病室付きの看護婦だろう、と思ったがそうではなかった。
なんと開いた扉の向こうから顔を出したのは、先日甲子園球場で互いに死闘を繰り広げた巨人の星飛雄馬であったために、花形ははっとあからさまに驚いた表情を浮かべた。
「星くん」
「……」
カチャリ、と後ろ手に扉を閉めて飛雄馬は無言のまま花形の座っているベッドへと歩み寄ってくる。珍しく花束なぞ手にして、その柄でもない所持品を携えているのがよほど恥ずかしいのか彼の頬にはほんのり赤みが差しているようにも思えた。
その様がおかしいやら微笑ましいやらで花形はふふと笑んでみせたが、すぐに表情険しく、「何をしに来た?」と尋ねた。
「……」
「巨人軍のエースともあろう星くんが敵である阪神の、ぼくの病室に見舞いなんてどうかしている」
「……それ以前に、きみはおれの友達でもある。ひとたび、マウンドを降りれば一人の人間同士だ」
「ふふ、実に星くんらしい……」
花形は笑って、座りたまえ、と病室に置いてある丸椅子に視線を遣った。これ、と飛雄馬はそこでようやく手にしていた花束を花形に渡してから、丸椅子を手繰り寄せそこに腰掛ける。
「きみが選んだのか」
「まさか。花屋の店員さんだよ……友達のお見舞いに行くと言ったら見繕ってくれた」
「いつもの従者はいないのかね」
受け取った花束を一先ず花形は床頭台の上に置いてから訊く。従者?と飛雄馬は一度怪訝な顔をしてから、合点がいったか吹き出した。
「別に、いつも伴と一緒な訳じゃないさ。それに、目立つだろう。彼は」
「目立つ?」
体も大きいし、声もでかいし、と飛雄馬は肩を震わせ、クスクスと笑みを漏らす。
どちらかと言えば目立つのはきみだろう、と花形は目を細める。巨人の星飛雄馬といえば今や知らぬものはいない。
小柄な体から放たれる速球で皆の度肝を抜いたかと思えば今度は大リーグボールなどと言う魔球を巧みに操り、打者をきりきり舞いさせる――野球一筋に生きてきた星という男は他人にどう見られているか、なんてことは気にしたことなどないのだろう。
「ああ、それにしても安心した。きみが元気そうで」
目尻に浮いた涙を拭って飛雄馬はニコッと笑顔を浮かべた。そうだ、この男だから打ち勝ちたいと思う。
人の悲しみ、苦しみを自分のものとし、自分のことのように思ってくれる彼だからこそ。マウンドを降りれば敵ではなく友達だ、と彼は言ったが、星と言う男はひとたびユニフォームに身を包み、左手にボールを構えた途端、一縷の隙も見せぬ野球の鬼となる。しかして、そこから降りれば少し浮世離れしたところはあるが年相応の青年の顔になる。
球団の先輩らに星、星と可愛がられ、照れている様子を時折目にしたことがあった。そうして、あの伴とかいう男が傍らにいるときのきみと言ったらなんて幸せそうな――そこまで考え、花形は首を振る。
「花形?」
「いや、何でもない。ふふ、お陰でもうだいぶいいさ」
「それはよかった。早く、きみが活躍する姿をおれは見たい」
言って、飛雄馬は花形が己の足に掛けている布団の上に置かれた彼の手に視線を落とす。速水が球場で医者に伝えていた鉄バットと鉄球の訓練の痛々しい跡がまざまざと見て取れた。急に表情の曇った飛雄馬の視線に気付いた花形ははっと掌の中に指を握り込むようにして拳を作った。
「……」
「おれは改めてきみを尊敬するよ、花形。鉄のバットで鉄球を叩くなんてそんなこと」
「ふふ、きみに勝つためなら何でもするさ。どんなことでも……」
握った拳を胸の高さまで上げ、花形は目の前の飛雄馬を睨み据える。たった今まで和やかに会話をしていたというのに、花形の瞳には闘志の炎が燃えている。そんな花形を見つめながら飛雄馬はそうっと彼の拳を己の掌で包み込んだかと思うと、そのまま膝の上に掛けられた布団の上へと下ろした。
「それはおれとて同じさ花形。お互いにこのままじゃ終わらない」
そんな台詞を吐いた飛雄馬の瞳にも赤い炎が宿る。二人はしばし見つめ合っていたがふいに飛雄馬が手を離す。
「……」
「それじゃあ、花形。また球場で」
言いつつ立ち上がった飛雄馬の腕を花形はぐっと掴んで己の方に抱き寄せる。ふいに腕を引かれた飛雄馬はつんのめるようにして花形の胸へと飛び込む形で着地した。
「花形?」
声を上ずらせた飛雄馬の背に回る花形の腕の力が強まって、飛雄馬は小さく呻く。
「花形さん」
突如として扉を叩かれ、花形は手を離す。すると飛雄馬はこれ幸いとばかりに彼から距離を取って戸を叩いた看護婦が入ってくるのと入れ替わりで部屋を出た。
「花形さん、お変わりないですか……あら?今の方どこかで見た顔ね」
検温に来たらしき看護婦が首を傾げつつ目を瞬かせるのを見やってから、花形は、「ぼくの親友がわざわざ来てくれたんですよ」と笑みを見せる。
「そうなんですか。ふふ、花形さんの親友だなんて私も是非会ってみたかったわあ」
看護婦は答え、花束の包みを解いていく。 胸に抱いた飛雄馬のほのかに残った肌の温みを抱き締めつつ、花形は看護婦が花瓶に花を活けてくれるのをじっと物言わず眺めた。