身代わり
身代わり また今日も、うなされている──。
丸目は宿舎の同室となった彼を、暗闇の中見つめながら眉間に皺を寄せる。
彼の名は星飛雄馬と言った。
星飛雄馬と言えば、青雲高校で知らぬものはいない。今は後援会長となっている伴宙太、その人の父へ暴行を加えたとかで学校を退学となったものの、入団テストを受け、見事巨人軍に入団を果たした巨人の星。
全くの無名であった青雲野球部を甲子園準決勝まで導いた剛速球投手。その左腕から繰り出される球は誰もバットに当てることはおろか、かすらせることもできなかったと聞く。
運良く振ったバットが当たった、としても、その速度と球の重みに負け、バットがへし折れ、打席にはその破片が舞ったとも言う。
野球なんか、子供のたま遊びじゃねえか──そんな風に考えていた丸目の野球観をまるっきり変えるに至った星飛雄馬という男の存在。野球に対する姿勢。
初めて、星飛雄馬の球を受けたときの衝撃。体への痛みもさることながら、野球のやの字も知らない丸目に対して一切手を抜かない男と男の真剣勝負。
左腕を壊し、代打として古巣巨人に現役時代の長島監督の背番号3を背に返り咲いた彼が再び右腕投手としてマウンドに立つということがどれだけのことか、それは丸目にも痛いほどわかる。
レスリングという競技に若き血を燃やしていたからこそ。
「投げられん…………おれには……大リーグボール……」
はっ、と丸目は飛雄馬の声に我に返る。
掛け布団を握り締め、もがく彼の元へと丸目は歩み寄り、センパイ、と一度呼んだ。
「うう………っ、」
「センパイ!!」
やや声量を抑えたものの、丸目は大声で再び飛雄馬を呼ぶ。
すると飛雄馬は閉じていた瞼を見開いて、それから瞳をゆっくりと動かし、「伴……いや、丸目か」と小さな声を発した。
「………チッ、またそれかよ。あんた、さっきからうわ言みてえに後援会長の名前呼んでたぜ」
「…………ああ、そうだったか。うるさくして悪かった」
額に手を遣り、飛雄馬は目を閉じる。
「あんたの、左腕時代の、大リーグボールとやらは、後援会長が捕手役で練習台になってくれたからこそ生まれたんだろう。そんな、夢に見るくらいなら頼み込んで捕手、やってもらえばいいじゃねえか」
飛雄馬の体にかかる布団が呼吸を整えているのかゆっくりと上下する。
「フフ……そうもいくまい。伴には伴の生活がある。丸目も名前くらいは聞いたことがあるだろう。ビル・サンダーと呼ばれる名コーチをアメリカから呼び寄せ、おれの現役復帰を手助けしてくれたのは他ならぬ伴宙太だ。そこまでしてもらって、捕手役までやれとは言えん」
「あのおっさん、あんたのためならなんだってやってくれるだろうよ。青雲高校じゃ有名だぜ。伴宙太っておっさんは星飛雄馬にゾッコンだってな」
飛雄馬は目を開け、丸目を仰ぐ。
「………伴はいい友人であり、よき理解者だ。あまり変な噂を立ててやるな。嫁の来てがなくなってしまう」
フフ、と飛雄馬は微笑んでから、起こしてすまない、明日も早い、寝よう、と言うなり丸目に背を向けるように寝返りを打った。
「後援会長さんによ、あんたの女房役になってくれって頼み込まれたんだ」
「…………」
「おれは、野球についてはまったくの初心者だ。いや、ルールくらいは何となく分かるけどよ、そ、そうじゃねえ。いや、だから、その、教えてほしい。あんたの球くらいはちゃんと捕ってやりてえ。あんたに見合うくらいの女房役にはなりてえんだ」
飛雄馬の丸目の言葉を背に受けつつ、唇を引き結ぶ。
同じことを言うのか。
あの男と。高校生の時分からいつも一緒で、何をするにも一緒だった親友と。左腕を壊したあの一戦、最後の打者は彼だった。
いつもおれの身を案じ、励まし、優しく受け留めてくれた伴宙太と。
あまりに似ていた。初めて見たときから。 野球に、おれに対して敵対心を燃やし、そんな球くらい捕ってやると豪語したその台詞まで。
正直なところ、大した成績を上げることのできなかった伴宙太を再び入団させてくれるほど巨人の球団事務所は甘くない。
おれもできることならそばにいて、星の球を捕ってやりたいと悲しそうに頭を掻きながら呟いたあの顔が今でも脳裏に焼き付いている。仮に入団できたとしても、彼には伴重工業の常務という立場が、地位がある。それを捨ててくれとは言えない。
「…………っ」
思わず声が漏れた。
いつの間にか飛雄馬の双眸は涙に濡れ、滴った雫が枕を濡らしている。
「泣いて、んのか」
弱々しく丸目が尋ねた。
「まさか。あくびをしただけだ」
「あんた、そうやって、一人でずっと泣いて来たんだろ。一人で悩んで、一人で抱え込んでよお……」
「…………からかうのはよせ。寝坊するとまた寮長の雷が落ちるぞ」
「はぐらかすんじゃねえよ。いい年こいてよ。別にここにはおれとあんたの二人しかいやしねえんだ。泣いたっていいだろう」
「丸目は、見かけや言動の割に気遣いが上手いんだな」
「ケッ、余計だぜ、そう言うの。妙なとこで弱いとこ見せると思えば急に先輩風吹かしやがる」
「………抱いてもらっても、いいか」
「えっ?」
ドキン、と丸目の心臓が跳ね、変に鼓動が速くなった。飛雄馬の濡れた瞳が丸目を見ている。
飛雄馬は仰向けになると、布団から両腕を出し手を差し出した。
「だ、だ、抱くって、な、なんだよ、ど、ど、どういう意味だよ」
「抱きしめて、ほしい」
「あ、あ、あ、な、なんだ。そういう……いや、そ、そうじゃねえ。なんでおれが野郎なんかと抱き合わなきゃなら、ならねえんだ」
「………無理強いはしないさ。昔から、誰かに抱きしめてもらうと安心するんだ」
「へっ、妙なご趣味をお持ちなこって。あんたの女房役も大変だな」
腹を据え、丸目は飛雄馬の横たわるベッドに膝をつくと、彼の体に馬乗りになってからそのままベッドと背の間に腕を差し込みぎゅうとその体を抱き締めた。
お世辞にも柔らかいとは言えない体だ。しかして、今まで丸目が触れたどんな男のそれより細く小柄であった。
飛雄馬の鼻腔から漏れる呼吸がタンクトップ一枚の丸目の肩をくすぐる。
雰囲気のせいか、泣いた顔を見てしまったせいかなんだか妙な気分になってくる。 背中に回る二本の腕が、それぞれの指がタンクトップ越しとは言え肌に触れてそこが熱を持つのがわかる。
なんでおれは、男に、星飛雄馬に対してこんなにドキドキしちまってるのか。
丸目はちらと視線を落とし、抱き締める飛雄馬の顔を見やった。
と、その閉じた目尻に涙が光ったのが見えて、泣かないでくださいよ、センパイ……と慰めるように囁く。
「おれと丸目しかこの部屋にはいないんだろう。泣いてもいい、と言ったじゃないか」
「う………」
「ありがとう。だいぶ落ち着いた。変なことを頼んで悪かったな」
「べ、別に。これくらい、いいってことよ」
へへへ、と丸目は笑って、飛雄馬から離れる。
「同じだな」
「は?」
「照れると、笑う顔がそっくりだ」
「………後援会長と?」
こくり、と飛雄馬は肯定するかのように頷く。
「あんた、悪い人だなあ。他の男に抱き締めてもらいながらよお、この期に及んで、別の男のこと考えてたって言うのかよ」
「…………それは」
「また言い訳か?続く言葉は違いますってか?嘘つくなよ。顔にしっかり書いてあるぜ。おれだって経験はねえけど、それくらい察しがつくぜ」
「………」
飛雄馬の顔にまた陰が差す。
その表情に丸目はハッとなり、すまねえ、と謝罪の言葉を口にした。
「いや、気にしてはいない。こちらこそすまないな。変なことを頼んだばかりに」
「………教えて、くれるのか」
沈黙。何を?と飛雄馬は尋ねてこなかった。先の言葉を待っているのか。それとも、わかりきっているからこそ敢えて訊かないのか。
「バッテリーってえのは、旦那の、投手の癖を、性格をすべて知っておかなきゃならねえと聞いたぜ」
「……………」
「あんた、さっきははぐらかしたけどよ、後援会長とそういう関係だったんだろ」
「それ以上、口にするとただじゃおかんぞ」
丸目を睨み、飛雄馬は低い声で牽制する。
「へっ、ムキになって否定する方がシンピョーセーが増すってもんだぜ」
「だったら?それを知ってどうする。言いふらすか」
先程の弱々しさから一変、飛雄馬の声色には怒りのそれが見て取れ、大きな目を細め、丸目を見据える。
「そ、そんなに大事か?後援会長が」
「大事とか、そういう話ではない。伴を馬鹿にするのはよせ」
「馬鹿にしてんのは、そっちだろっ!」
叫んで、丸目は横たわる飛雄馬の顔のそばにバシッ!と手をついた。弾みでスプリングが揺れる。飛雄馬の体に覆いかぶさるような形を取って、丸目は更に声を荒らげる。
「何なんだよ。伴に似てるとか、そんな、人の前でよお。おれは野球をやりに来たんだ!他の男の身代わりにされるためじゃねえんだよ!」
「………身代わり、か」
飛雄馬は手を伸ばし、丸目の頬を滑る涙を指先で拭う。
「さわるんじゃねえ!!クソッ!クソッ!なんだってよお、こんな……こんな」
ぽろぽろと丸目の瞳から涙がひとつ、ふたつと溢れ、飛雄馬の頬や首、タンクトップの上へと落ちる。
あの頃とおんなじだ。またおれは、伴のときと同じように、身代わりにしようとしている。あの頃はとうちゃんだった。
愛してほしかった、ぬくもりが欲しかった。伴はそれを知っていたんだろうか、知ってて知らぬふりを貫いていてくれたのだろうか。
「おれを見ろよ!星!星飛雄馬!」
「ああ、見ている。丸目、丸目太……」
涙に濡れた丸目の唇が飛雄馬の唇に触れた。ガツッ、と丸目の歯がぶつかり、飛雄馬の唇には血が滲む。
「っ………」
「構うな。いい、好きにしたらいい、丸目の、気が済むように」
滲んだ鮮血に一瞬、怯んだか丸目が体を起こした。けれども、飛雄馬は臆することなく真っ直ぐに彼を見た。
「おれ、すきだ。あんたが、ずっと。忘れられなかった。あの球を受けたときから」
「………丸目はまだ若い。これからいろんな経験をする。たくさんの人と出会う。だから」
「はぐらかすなって言ってんだろ!おれの人生はおれが決める!おれはあんたがすきだ。それでいい!」
ああ、どうして、どうして同じことを言うのか。なぜそれでいて重ねるなと言うのか。ならばいっそ、あのまま消えてくれたら良かったのに。
野球をやりたいと言ってくれなければよかったのに。
「また、泣いてやがる………」
「ふ、ふふ……」
微笑を漏らす飛雄馬の唇にそっと丸目は触れた。触れるだけの口付けであったが、飛雄馬は彼の太い首に両腕を回すと、固く閉じ合わされたままの唇を舌先でそろりと撫でる。
「わ、っ!?」
驚き、顔を離した丸目を飛雄馬は体重をかけ引き寄せると、今度は自分から口付けた。
「あっ、」
間抜けた声が丸目の口から上がる。飛雄馬は丸目の口内へと舌を滑らせ、彼の舌へと絡ませた。
「まっ、待って!息、息出来ねえよ」
「……こういうときは鼻でするんだ」
「は、はなァ、ッ」
息も絶え絶えに喚く丸目に忠告し、飛雄馬は彼の唇に吸い付く。丸目の荒い鼻息が顔にかかって、飛雄馬は思わず微笑する。
舌を出して、と飛雄馬が言うと、丸目は素直に従った。ちゅっ、と飛雄馬はそれを吸って、鼻がかった声を上げる。
かあっ、と丸目の全身が火照った。
なんてザマだ。組み敷いておきながら完全に星のペースじゃねえか。
初めてのキスでこんな、頭の芯が溶けそうなの受けちまったら。
「うっ、ああっ!クソッ!」
叫び、丸目は首に回る飛雄馬の腕を振り解くと、彼の首筋に口付ける。
経験はなくとも、そういう本を見たことは丸目にもあった。
しかして、事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもので──いざ自分が直面すると心臓ばっかりドキドキ言いやがって頭ん中真っ白だ。
「は、っ………う、」
飛雄馬の口から漏れる声にその都度、丸目はドキッとする。
加減がわからないのか、変に強く首筋を吸い上げられて飛雄馬はいたっ、と声を上げた。しかして、それが聞こえているのかいないのか、丸目は飛雄馬の身につけているタンクトップの裾へと指を差し入れる。
汗ばんだ指と掌が肌の上を滑って、飛雄馬は身震いした。
「な、なあ、合って、んのか?順番」
「ああ、合ってる。フフ……大丈夫だ」
馬鹿正直に尋ねてくる丸目に飛雄馬はこれまた馬鹿正直に返事をし、彼の指が肌の表面を滑る感覚に酔った。
腹を滑って上へと昇ってきた丸目の指が飛雄馬の胸へと触る。
「っ、あ……」
指先が突起を撫でて、飛雄馬は仰け反った。ごくんと丸目の喉が鳴る。
「い、痛かったか?」
「いや……そんなことはない」
「………」
こうして最中にこちらの心配をしてくれるところまでそっくりで、飛雄馬は目を閉じ強く唇を噛む。
「おい、星センパイよ。目開けて見なよ。おれは、丸目太だ」
さっきの刺激で膨らんだ突起を丸目の指が押しつぶす。かと思えば、それを抓み、指の腹同士ですり合わせた。
「ふ………」
口に手をやり、飛雄馬は声を殺す。
丸目の熱い吐息が胸元にかかって、飛雄馬の肌に跡を付ける。
「ああ、すきだ。おれ、あんたが……」
真っ直ぐで、混じりけのない綺麗な瞳が飛雄馬を見つめる。飛雄馬は目を細め、視線を逸らす。
「素直だな、丸目は」
「………またガキの戯言だとあんたは言うんだろ。なあ、大人のフリしやがって」
飛雄馬の穿くパジャマのズボンの中に手を差し入れ、丸目は下着とともにそれを脱がせようとする。しかして、手が震え、うまくいかない。
「別に、好きで大人になったわけじゃあ、ないんだがな……」
震える丸目の手に自分の手を添えてやり、飛雄馬はズボンと下着とを己の肌から離した。
「……綺麗だ、あんた、すごく」
「おだてるな……」
「おっ、おだててなんかねえよっ!」
吐き捨てるように叫んで、丸目は震える指をぎゅっと掌に握り締める。
「フフ、怖気づいたか」
「そっ、そんなんじゃっ、ねえ……」
飛雄馬は丸目の腕の下から体を起こすと、そっと彼の涙のあとの乾いた頬に口付けてやって、そこに横になれ、とそう、言った。
「え、で、でもよ」
「センパイに任せろ」
クスッと飛雄馬は唇を歪ませ、薄く笑うとベッドに横たわった丸目の腹の上に跨った。
「はっ!?」
まさかの事態に丸目は目を白黒させ、自分の上に跨る白い裸体に見惚れる。
そうしていると、飛雄馬の手が丸目の張り詰めたパジャマの前へと触れた。
「あ、ぐっ」
「初めてか」
「わ、わりぃかよ」
「いや、おれでいいのかと思ってな」
ズボンのゴムの通る部分に指を入れ、飛雄馬はそろりとそれを下げ、中から丸目の男根を取り出す。
「あんたが、いいんだ」
力強く、丸目は言い放つ。
そうか、と飛雄馬は目を伏せ、ひと呼吸置いてから丸目の男根の上へと移動し、膝立ちの状態からゆっくりとその亀頭の上へ腰を下ろす。
「っ、う………」
丸目が声を上げた。
奥歯を噛み締め、飛雄馬は体の中へ丸目を埋めていく。慣らしていないために痛みを伴うが、飛雄馬はそれを堪えた。
「星、星センパイ………」
叱られ、咽び泣く子供のように丸目は嗚咽する。飛雄馬の着ているタンクトップが汗をかいた肌に貼り付いた。
すべてを腹の中に挿入させてから、飛雄馬は、はあっ、と大きく息を吐く。
そうして、腰を動かす。最初は自分の体を慣らすためにもゆっくりと。
そうすると、丸目は大げさに体を跳ねさせた。
「あったけえ……ふふ、あんた、あったけえな」
「そりゃあ、人間だからな」
「そ、そうじゃねえよ……そういうことじゃ」
自分の腹の上に置かれた飛雄馬の手を丸目は握り、その指を絡ませる。球を長年握り続けたであろうその指、掌は固くなり、縫い目の触れる指はタコが出来ている。
「あっ!だめだっ、センパイっ……降りろっ!はやく」
絡めた指を振り解こうとする丸目の指を強く握り締め、飛雄馬は薄く笑う。
「でっ、出る……」
言うなり、丸目はぶるっ、と体を震わせ、飛雄馬の中へと欲を吐く。
「…………」
腹の中で脈動する男根の熱を感じつつ、飛雄馬は目を閉じる。そうして、治まったのを見計らうと、ぐったりとなってしまっている丸目から手を離し、腰を上げた。
男根を抜く際、中から丸目の出した体液が掻き出されどろりと彼の腹に垂れた。
飛雄馬はベッドから降り、デスクの上に置かれたティッシュを手に戻ってくると、丸目の下腹部にティッシュを数枚乗せてやってから自分の下半身を拭う。
それから、ベッドに横たわったままの丸目のそばに飛雄馬は座ってから、目を伏せる。
「なあ、センパイ……星センパイ」
「なんだ。話なら明日起きてからゆっくり聞こう。自分のベッドに戻れ……」
「おれ、あんたにさっきあったかいって言ったよな」
「…………」
「あんた、野球以外のことには興味がない冷たい人間だとどこかで思ってた。だけどよ、そうじゃねえ……他人のために腹を立てて、思い悩んで、血の通った人間なんだな」
ベッドの上に無造作に投げ出していた手を丸目が握る。
「どう、だろうな」
とぼけたように呟いて、飛雄馬は瞼を上げた。
「………あんたの、センパイの球はおれが捕る。だからよ、一緒に頑張ろうぜ」
そう言って、照れたように笑った丸目の顔が、親友のそれとダブって見えて、飛雄馬の視界は再びじわりと滲んだ。