目覚め
目覚め 暑い、と飛雄馬は閉じていた目をうっすらと開ける。おれは確かねえちゃんに呼ばれて……いや、ねえちゃんと話をしたのは夢だったか?
額に手をやり、飛雄馬は天井をぼんやりと仰いでから、少しずつ記憶の糸を手繰り寄せていく。
見上げる天井は、宿舎のものではない。
身を置くベッドもやたらに固い、使い古されたものではない。
「目が覚めたかね」
「────!」
目と鼻の先、と形容するのが適当か。
そんな距離から声がかかって、飛雄馬は体を跳ね起こした。すると、体に掛けられていたらしき布団が肌の上を滑り落ちて、飛雄馬は自分が何ひとつ身に着けていないことを知る。
そこで一瞬にして血の気が引き、飛雄馬はわけを尋ねるべく、声のした方に視線を遣った。
「なに、まだきみが寝入ってから一時間ほどしか経っていないさ。安心したまえ」
「…………」
ニッ、といつもの、彼特有の笑みを口元に湛えた彼──花形もまた、ベッドに一糸纏わぬ姿で体を横たえているらしかった。
なぜ──と飛雄馬は弾かれたように花形から目線を外し、ベッドから抜け出ようとマットレス内のスプリングを再び軋ませた。
理解が追いつかない。おれはこんな格好をして花形さんと?なぜ?
夢じゃなかったのか?とんでもなく悪趣味な……。
飛雄馬は全身が総毛立つような感覚を覚え、ベッドから抜け出そうと床に足をついた。
一旦、整理しなければ、この状況を。
そう、思ったのも束の間、音もなく伸びてきた花形の腕によって、飛雄馬はまたしてもベッドに仰向けの格好で縫い留められる結果を迎えた。
じわり、と一度は冷えたはずの飛雄馬の背中は、また、熱を持つ。
「まだ宿舎の門限には早いだろう」
握られ、顔の横でそれぞれ固定された手首が鈍く痛み始める。ふと、睨むようにして仰いだ花形の唇の傷に目が留まり、飛雄馬はハッ!とそこで一瞬、体の緊張を解いた。
すると、間近に花形の顔が迫ってきて、飛雄馬は鋭く、寄るな!と喚く。
「静かにしたまえよ。もう明子は帰ってきているはずだ。あまり大きな声を出すとぼくたちの関係が彼女にバレてしまうよ」
「…………!」
花形の言葉に、飛雄馬の顔が紅潮する。
そうして、姉の、親父に怒鳴られ、長屋の一間の隅で震えながら嗚咽を漏らすあの姿が目に浮かんで、飛雄馬は眉間に皺を寄せ、花形を睨み据えた。
おれさえ、黙っていれば、ねえちゃんは、幸せなんだ。おれのせいで、ねえちゃんの幸せを、壊すようなことがあってはならない。
「こんなところに傷を作ってくれて、フフッ、明子はきっと心配するだろうね」
「それは、っ、花形さんが……」
花形が言うのは、飛雄馬が驚いた唇の傷のことだ。
飛雄馬にはその傷に見覚えがあった。
そしてそれは、先程のことを、夢でないと物語る証拠に他ならない。
飛雄馬はやるせなさに花形から視線を外す。
その刹那、ふいに口元に花形の唇が掠めて、飛雄馬はあっ!と声を上げる。
「いっそのこと、話してしまおうか。ぼくたちのことを」
「馬鹿な、ことを、っ……!」
今度はまともに唇から呼吸を奪われ、飛雄馬は花形に掴まれた手で拳を握った。
「口を開けて、飛雄馬くん」
「まずは手を、離してからだっ……」
「外したらきみはぼくを殴るだろう。まあ、飛雄馬くんがそんなことをするとも思えんが」
フフ、と花形は再び例の笑みを浮かべると、飛雄馬の手首を掴む手の力を緩めた。
まさか、花形が、こうも簡単におれの言葉を聞き入れてくれるとは──。
安堵したのもほんの一瞬のことで、次の瞬間には花形の手は両の頬にそれぞれ添えられており、全く身動きの取れぬ状態のまま、飛雄馬は彼からの口付けを受けることとなった。
「う、っ……く、」
花形の手を外そうと、は飛雄馬は彼の手に己の手を遣るが、口内を蹂躙する舌の感触に、思考が回らない。
添えられていた花形の両手は、いつの間にか飛雄馬の後頭部へと回ってその頭が動かぬよう固定している。
「呼吸の仕方は教えたじゃないか。もう忘れたのかい」
「ふっ……っ、ん」
呼吸の、仕方だと?
僅かに唾液に混ざる鉄錆の味──花形の唇から滲む血液のそれが、飛雄馬の喉奥を滑り落ちる。
「………」
ぬるっ、と不快な音を立て、触れ合っていた花形の唇が離れていって、固定されていた頭も解放され、飛雄馬はようやくそこでまともに呼吸をする。
酸欠状態に陥ってしまった頭は僅かに頭痛の症状を飛雄馬に認めさせ、ぼんやりとした虚ろな表情を浮かべさせた。
先程、散々に弄ばれたであろう、肌の表面や突起が熱を持ち、疼き始めたのがわかる。
飛雄馬は、ふと浮かんだ姉の顔にぎゅっと唇を噛んで、首筋に触れてきた花形の吐息に声を殺す。
「っ、──!」
「また、明子のことを考えていただろう、飛雄馬くん。ぼくはきみとの最中に他人のことを考えたことはないのだが」
尖った胸の突起を、抓んだ指で押しつぶされて、飛雄馬は短く呻いた。
そうでなくとも、頭はじんじんと痛み、口付けられた首筋は熱を持つ。
指の腹で突起を捏ねられ、首筋から胸元にかけてを強く吸い上げられて、飛雄馬は声を押し殺すべく口元に腕を遣った。
先程、擦られた際の名残か──下腹が妙に疼く。
あんなに、腹の中をめちゃくちゃに掻き乱されたと言うのに。
「…………っ、ぅ……!」
「足を開いて。今更恥ずかしがることもあるまい」
言いながらも、花形は飛雄馬の胸から腹へと唇を滑らせつつ、組み敷く彼の片足の腿に手を添え、そこに指先を滑らせながら膝を曲げさせ、足を押し開いていく。
「……、……──!」
あえて、首をもたげている下腹部のそれ、を外すようにして、花形は飛雄馬の腿から膝へと唇を押し付けながら、もう一方の足も同じく膝を曲げ、大きく足を開かせてから体を起こした。
両脇に、飛雄馬の両足をそれぞれ抱えてから花形は腰の位置を調整すると、つい先刻、犯したばかりのそこに男根をあてがう。
飛雄馬の瞳から涙が溢れ、その紅潮した頬を滑り落ちた。
ああ、おれは、おれと、花形さんは……。
ほんの少し、腹の中へ入り込んできた存在、に飛雄馬は喉を引き攣らせる。
覚えている、おれの体は、この熱を。
いいや、無理やりに刻み込まれたと言うべきか。
触れ合う、飛雄馬の腿の裏と花形の腰が汗ばんで、火照り始める。
根元まで完全に挿入しきってから花形は、飛雄馬の体の脇、ベッドにそれぞれ手を着くと、それからゆっくり、組み敷く彼の体を揺らしにかかった。
「ひ、っ……、ぐ、ぅっ」
「いいね、さっきより馴染んでいるよ」
こちらを見下ろしつつ、そんな台詞を吐いた花形の顔を見上げて、飛雄馬は掌に爪が食い込むほど強く、指を握り込む。
けれども、花形が腰を動かすたびに、僅かな快楽の刺激がじりじりと飛雄馬の脳を焼き、全身を戦慄かせる。 二度目だからか、こんなに、すぐ……。
「は、っ──、う、ぅっ!」
飛雄馬はじわじわと迫る絶頂の予感に備えようとした瞬間、強く腰を叩き込まれ、為す術なく達してしまう。花形の体の脇で揺れる足の爪先はピンと伸び、全身は粟立った。
「早いね。フフッ……」
「いっ、て、な、ァ……!」
反論しようと口を開いた刹那に、腰を回され、中を掻き回されて飛雄馬は体を弓なりに反らす。
これで、二度目。
こんな、こんなことが……。
「ぼくは早いねと言っただけだが。いったと馬鹿正直に答えてくれたのはきみだよ、飛雄馬くん」
「は……、は……っ、っ」
開きっぱなしの口から飛雄馬は酸素を取り込み、少しでも達してままならぬ体を回復させようと躍起になる。しかして、尖りきった胸の突起は、呼吸のたびに切なく疼いて、腹の中にいる花形を締め上げた。
「フフ……」
ぐっ、と奥に己を押し込むようにしながら花形は飛雄馬の顔を見下ろし、その開いた口に自分の二本の指を咥えさせる。
「っ……!」
そのまま、口の中に侵入してきた花形の指に、僅かに歯を立てた。ガリ、と皮膚が嫌な音を立てたのを耳にした瞬間、奥を深く突かれて、飛雄馬は嬌声を上げる羽目になった。
口の中を指が這いずり回って、飛雄馬は腰を震わせる。奥歯を指先で撫でられ、頬の粘膜をくすぐられて飛雄馬はとろんと蕩けた顔を花形へと晒した。
「舌を出して」
言われるがままに舌を出して、飛雄馬は花形の口付けを受け入れる。
舌をゆるく吸われて、吐息とともに声が漏れた。
「どこに出してほしい?言ってみたまえ」
「ひ、ァ、──っ、」
中を突き上げられ、奥を叩かれて飛雄馬の声は裏返り、そして次第に掠れていく。
互いの汗で肌は濡れすべり、溶け落ちてしまいそうな錯覚を覚える。
「きみの口から言いたまえ」
「っ、ふ……ぅ、っ、なかは、いやだっ、なかは……うっ、──!!」
飛雄馬の、腹側のとある箇所を花形は執拗に突き上げ、全身に汗を吹き出し、声を上げる唇に口付けるとそのまま腹の中で射精に至った。
精を吐く脈動を腹の中で感じながら飛雄馬は花形の舌に自分のそれを絡ませ、流し込まれた唾液を飲み込む。 すると、花形は中に出した精液を掻き出しつつ離れていって、飛雄馬は顔を上げ、暴かれた足の間で情けなく精を溢している男根を見つめた。
「何か飲むかね。用意しよう」
「…………」
下着を穿き、口に咥えた煙草に火を灯しつつ花形が尋ねる。
飛雄馬はベッドの上に横たわったまま答えない。
「事が終わるときみは途端に冷たくなるね」
「花形さんと馴れ合う気はない。それに、おれにとってあなたは義理の兄でしかない」
ムッとし、飛雄馬は掠れた声で勢いのままに反論の言葉を述べた。
都合のいいことばかり並べて──。
おれのことを何だと思っているんだ花形さんは。
「それは、きみ自身に言い聞かせているとぼくは見る。明子のためを思えばこそ、ね」
「……ねえちゃんは関係ない」
「ぼくはもう飛雄馬くん以外は抱かんよ」
「またそんなことを」
「事実、ぼくと彼女との間に子がいないことが何よりの証拠だし、その証明だと思うがね」
「…………」
飛雄馬は震える足に鞭打ち、体を起こすとベッドの下に散乱していた下着を拾い上げ、それに身を包む。
もう、花形は手を伸ばしては来ない。
「宿舎までぼくが送ろう」
「いらん。タクシーを捕まえる」
スラックスに足を通し、シャツをかぶりつつ飛雄馬は花形の申し出を跳ね除ける。
「明日の試合、きみは出るかね」
「…………」
「神宮球場で会えるのを楽しみにしているよ」
飛雄馬は花形に目もくれず、部屋を出ると真っ直ぐ玄関へと向かい、そこで靴を履く。
すると、ちょうど帰宅したらしき明子が玄関の戸を開けたために、飛雄馬は、ねえちゃん!と呼んでから、ふと、彼女から視線を外す。
ねえちゃんが帰っていると言ったのは、完全なハッタリだったとは──。
ねえちゃんの顔が、まともに見られない。
「あら、飛雄馬。お久しぶりね。花形と何か話してたの?」
「そう、義理の兄弟、水入らずの話をね」
「………!」
背後に気配があって、飛雄馬はさあっ、と頭の先から引いた熱が足元を滑り落ち、そしてそれが鉛のように足を縫い留め、身動きが取れなくなったことに気付く。 なぜ、現れた?
おれはこのまま、何食わぬ顔をしてここを出るはずだったのに。
「うふふ。羨ましい。妬けちゃうわ」
「飛雄馬くんを送ってくる。すぐ帰るよ」
「い、っ……」
いらん、と言いかけ、飛雄馬はきょとんとこちらを見上げている明子の視線に気付く。
「飛雄馬?」
「……ねえちゃん、ごめん」
ぽつりと呟いて、飛雄馬は屋敷の外へと出る。
と、花形もまた顔を出したか、少し遅れて扉が閉まる音が聞こえ、飛雄馬はそのまま歩き始めた。
「待ちたまえ飛雄馬くん」
「ついてこないでくれ!花形さんは、ねえちゃんのそばにいるべきだ」
「…………」
足早に立ち去ろうとする飛雄馬を追いかけ、花形はそのまま彼の腕を取ると自分の方を振り向かせ、その顔を覗き込んだ。
「いくら義理の兄と言え────、っ、」
キッ!と花形を睨んだ飛雄馬だったが、またしても唇を奪われ、その場に呆然となる。
しかして、花形はたった数秒、触れるだけのそれを飛雄馬に与え、何も言わず屋敷へと帰っていった。
もう、頼まれたって二度と来るものか──。
飛雄馬は唇を拭くと、花形邸の広い庭を突っ切り、公道へ出るべくただ無心で、何も考えず、ここから帰ることだけを念頭に置き、ただひたすらに歩いた。