真夜中
真夜中 深夜、板張りの廊下を踏み鳴らす足音が耳に入り、飛雄馬はハッと目を覚ますや否や布団の中で寝返りを打つ。
いつもより音が大きい。
恐らく、酔っているな、と飛雄馬は目を閉じ、床を軋ませながらこちらにやってくる彼の足音に耳を澄ませる。
飛雄馬がこの屋敷──伴宙太が住まう大きな日本家屋に身を寄せてからどれくらいになるだろうか。
放浪中は何かしらの縁があって、寝食の場を提供してくれた心優しい人々の手を借りながら、はたまた日雇いで得た金で銭湯に通い、安いホテルに身を寄せながら暮らしていた飛雄馬だったが、関東に戻ってきてからはこうして伴宙太の屋敷に居候という形を取っている。
それもそのはず、星飛雄馬は親友・伴の手を借り、再び巨人軍に返り咲こうとしているのだから。
彼が遠いアメリカから呼び寄せてくれた飛雄馬の打撃コーチを務めるビッグ・ビル・サンダーも同じ屋根の下、今は隣の部屋でぐっすりと寝入っている。
飛雄馬は部屋の出入り口の襖がすうっと開けられる音を背後に聞きつつ息を殺す。
すると、伴が開けた襖を閉めたか、僅かに乾いた音が部屋に響いて、今度は畳が軋む。
「星、起きちょるか」
「…………」
「星」
「……また、飲んできたのか」
ぼそり、と呟く伴にこれまた小さな声で返答をし、飛雄馬は体を起こすと彼の座る方へと向き直る。
「仕事の付き合いじゃい。わしだって好きで飲んどるんじゃないわい」
「フフ、何も別に咎めているわけじゃないさ。明日も仕事だろう。早く寝るに越したことはない」
「…………」
明かりもついていない暗い部屋の中、次第に目が慣れてきたところで伴は突然飛雄馬の体をぎゅうとその腕の中に抱き締めた。
「伴?」
「辞めてやるんじゃあ。あんなわからず屋の親父の会社なんて今日限りで辞めてやるわい」
またおれのことで親父さんとやり合ったな──と飛雄馬は伴の腕に抱かれつつ、表情を曇らせる。
きっと、こうなるであろうことは端からわかっていたからできれば会いたくなどなかったのに。
伴はおれの話を聞いたらもしかすると、力になってくれるのではないか、と、そんな淡い期待を抱いていなかったかと言えば嘘になる。
その期待は実体を持ち、事実、外国からコーチを呼び寄せ、打撃の特訓を受けるという結果として現れている。
見様見真似で、自己流とはいえ不得意だった打撃の練習を冷たい機械相手にしてきたお陰で草野球では本塁打を打てるまでになったが、プロの球などこれでは到底打てはしないだろう。
もしかしたら、ひょっとしたら、見つけてくれるのではないか、そんな期待も込めて、関東近郊の草野球の代打を買って出ていたのだが、その期待は見事に打ち砕かれ──まさか、よりよって花形に見つかることになろうとは──。
「星、どうした。体が妙に冷えとるぞい」
「あ、……!」
伴に言われ、飛雄馬はそこでハッと我に返ると、大きく深呼吸をしてから、「おまえ、親父さんから期待されているからやかましく言われるんだ。そんなふうに言われるのも会社を安心して任せられるようになってほしい一念からだろうに」とそんな当たり障りのない言葉を紡いだ。
「フン、親父のやつとっとと隠居でもすればええんじゃあ。人が何をしようと勝手じゃろうて」
「……おれのせいだろう」
ぶつぶつと口元で文句を言っていた伴だが、飛雄馬が吐いた台詞を耳にするなり抱き締めていた腕の力を緩め、暗がりの中彼の顔を覗き込む。
「ち、違うわい。わしがあまりに遅刻ばかりするからそのことを親父は言うて来たんじゃあ。星のことなど何も」
「嘘をつかなくてもいい。むしろそうして庇われる方が余計惨めだ」
「惨め?星、きさま、なぜそんなことを言う」
「ふふ、誰だって思うだろうさ。投げるしか能のなかったおれが再び代打要員として球界に返り咲こうとしているなんて、普通の神経をしていれば珍妙に映るさ。ただ、それでもおれはやる。誰に何と言われようと」
「おうともよ。そんな星じゃからこそきさまの糟糠の妻であるわしも応援したく──」
「それが余計だと言うんだ、伴。もういい、きみの迷惑にはなりたくない」
「迷惑?何がじゃ?わしが?」
飛雄馬の言葉を繰り返す伴の声が心なしか震えている。
飛雄馬は眉根を寄せ、泣くのを堪えるような表情を浮かべたまま、おれは明日、ここを発つ、とやっとのことで短くそれだけを口にした。
「星!」
僅かに視線を逸らしていた飛雄馬の体を抱き留めるようにして伴は鋭く名を呼ぶと、その体をどどっと布団の上に押し倒す。
「…………!」
視界がぐるりと回って、暗闇の中で己の置かれた状況もよく分からなくなってしまっている飛雄馬の唇へと酒臭い口を押し付け、伴は彼の体を組み敷いた。
冷えた飛雄馬の体に触れ合う唇から伴の体温が染み渡っていく。
抵抗むなしく、飛雄馬の両の手は彼の顔の横、布団の上へと手首を掴まれ押し付けられている。
元より、飛雄馬が伴に力では敵うはずがないのだ。
「………っ、伴、やめ……」
呼吸のために一旦は唇を離した伴だったが、再び2度目の口付けを飛雄馬へと与え、その上の前歯を舌先でなぞった。
ゾクッ、と飛雄馬の肌が粟立ち、体の芯が火照る。
身をよじるも、体を組み敷かれ両手を握られているために身動きが取れない。
「星、きさま、どうしてそんなことを言う」
唇を少し離して、伴がそう、問いかけた。
「……………」
ようやくまともに呼吸することを許され、飛雄馬は腹を上下させ涙を浮かべた瞳で伴を仰ぐ。
「わしが、一言でも、そう、言うたか?」
「言わずとも……っ、それくらい察しがつ……ぅっ」
話し終わるのを待とうともせず、伴は飛雄馬の呼吸を奪いにかかる。
開いた唇、上下の歯列の隙間から舌を差し入れ、伴は飛雄馬の舌へと己のそれを触れ合わせた。
再び、ビクッ!と飛雄馬の体が大きく跳ね、布団から外れ、畳の上に投げ出された両足をすり合わせる。
「は…………っ、ん、んっ」
飛雄馬の舌を緩く吸って、伴は唇を離すとそのまま下唇を優しく食んでから彼の首筋へと顔を埋める。
「わしは星のことを迷惑だとかそんなふうに思ったことは一度もないぞい。なぜまたわしの前からいなくなろうとするんじゃあ」
「伴っ……」
名を紡いだ飛雄馬の唇へ伴は口を押し当てながら彼の手首を掴む指の力を緩め、そのまま指を絡ませるようにして手を握る。
「絶対、もう2度と星をひとりにはせんから覚悟しとけい」
「…………」
信じてしまって、いいのだろうかその言葉を。
この手を握る指の力強さを信じきってしまっていいのだろうか。
忘れよう、忘れようと思ったこの熱さを、おれはついぞ振り解けなかった。
「……星はもうひとりじゃないぞい。そりゃ人間扇風機だなんだと言われたきさまが代打専門として返り咲きたいと言うたときには驚いたが──それでもこうして再会できたことが何より嬉しいんじゃい」
伴は昔と変わらぬ照れたような、はにかんだ笑みを浮かべそんな台詞を飛雄馬へと投げかける。
おれは、きっとまたこうして彼に肯定してほしかったのだろう、と飛雄馬は伴の手を握り返しつつ瞳を涙の雫で濡らす。
「伴、おまえと言うやつは……」
「な、なんじゃ。また妙なことを、わしは」
「フフ、いや……とても、嬉しい、の方だ、伴」
ニッ、と飛雄馬が目を細め、微笑むとその目尻から涙がこめかみへと滑った。
「…………う、いかん。わしは星の涙を見るとどうも胸に来るものがあるわい」
「お互い、あの頃は泣いてばかりいたからな」
「…………」
唇を伴がそっと啄むのに合わせ飛雄馬は口を開け、そこから舌を覗かせる。
すると伴は己のそれを絡ませるようにしながら飛雄馬から指を離すと、そのまま彼の穿く寝間着代わりのジャージのズボンへと手を滑らせた。
すでにその下では幾度なく与えられた口付けのせいで、興奮しきり膨らんだ男根がズボンの前部を持ち上げている。
伴は一瞬、触れるのをためらったが、すぐにその中に手を入れ、直に下着の奥にあった飛雄馬のそれを握るとゆっくり上下にさすってやった。
「ァ………っ、ッ!」
声を上げた飛雄馬の唇が離れ、伴はゆるゆると男根をしごいてやりながら、これまた寝間着として着用している彼の半袖のシャツの上からほんの少し存在を主張している突起に口付け、指を絡めていた手を離した。
きつく吸われ、膨らみ、尖りきった突起の先をシャツごと口に含んだまま舌先でくすぐってやりながら、伴は先走りを溢れさせる飛雄馬の男根、その鈴口を親指の腹でくりくりと弄ってやる。
「うっ……!く………っ、」
背中を反らし、飛雄馬は素直に与えられた刺激に反応を返す。
と、それから伴は1度、飛雄馬の胸から顔を離してから男根への責めもそこそこに彼の穿くジャージのズボンへと手をかける。
ひと息にそれをずり下げ、腰を浮かせた飛雄馬の脚からそれらを抜くとそのまま立たせた膝を左右に割り、伴は彼の両足を己の脇に抱え込むような格好を取った。
「嫌だったら、早めに言うてくれい……」
「ふふ……こんなところでやめられたら眠るに眠れんのはお互い様だろう」
「わしは、無理強いはせんぞ」
「強引な伴も嫌いではないがな」
飛雄馬は冗談を口にし、伴が何やら着ているジャケットのポケットから取り出したのを見遣ってから、身に纏うシャツの腹の位置をぎゅっと握った。
「わしは星に嫌われたら生きてはいけんぞい」
「またそんなことを言って……おれが死ねと言ったら伴は死ぬのか」
「星が望むのならそうしよう。士は己を知る者のために死すと言うぞ」
「ふふ……じゃあおれもきっとそうだ」
言うと伴は表情をふにゃっと歪め──それは今にも泣きそうな顔にも見えたし、はたまた照れ臭そうに笑ったようにも暗がりの中、飛雄馬からはどちらとも取れるように見えた。
しかして、それを飛雄馬が尋ねるには至らず、それどころかはしたなく鼻がかった甘い声を上げることになる。
伴が潤滑剤の代わりらしきものを塗布した指で、飛雄馬の腹の中を探ったからだ。
ぬるっ、と伴の太い指が腹の中を掻き乱して、飛雄馬は腹の上に置いた手に力を込める。
やや萎えかけつつあった男根が再び首をもたげ、飛雄馬の下腹へとその身を乗せた。
「はっ──あ、う、ぅっ」
1度は抜きかけた指を根元まで挿入してから伴は関節を曲げると、飛雄馬の体内を指先でそろそろと叩く。
するとその揺れに合わせるように男根がビク、ビクと震え、鈴口からは先走りが溢れ出た。
指の本数を増やし、飛雄馬の入り口を丹念に慣らしてやると伴はスラックスのファスナーを下げたそこから逸物を取り出し、膝立ちになると彼の尻へと己を押し当てる。
「星、行くぞい」
飛雄馬は頷き、伴の男根が当たるそこに意識を集中させ、ゆっくり腹の中を進んでくる熱に身震いした。
粘膜を押し広げ、奥へ奥へと伴が進んでくるのに対し飛雄馬はそれから逃れるように体を反らす。
白い首筋には汗が浮き、長く伸ばした髪がそこに貼りつく。
「あ、ァっ……伴、っ」
飛雄馬が切なく名を呼ぶと、その都度彼は伴の男根を締め付け、口からは吐息を漏らす。
伴は飛雄馬の体が馴染むのを待ってからゆっくり、短く腰を叩く。
「ひ……ぅ、うっ!」
体を戦慄かせ、飛雄馬は伴から顔を逸らすと身を置く布団のシーツを掌に握り込んだ。
シャツのめくれた裾から覗く腹筋が呼吸をする度に震えている。
「星、静かにせい。サンダーさんが起きてしまうぞい」
「腰、っ……止め、ぇ……んあ、あっ」
腰を叩きつけ、中を抉るように掻き回しながら伴は腰を振るスピードをやや速めた。
いっ!と飛雄馬は悲鳴にも似た声を上げてから奥歯を噛み締め、伴に体を揺さぶられるがままに快楽に酔いしれる。
汗をかいた肌に布団のシーツが貼り付き熱を持つ。
飛雄馬の閉じたまぶたの、目尻に浮いた涙を伴は唇で掬い取ってからその頬へと口付ける。
と、飛雄馬はシーツを握っていた手を伴のそれぞれ左右の腕へと回し、微かに目を開けると己を組み敷く彼の顔を濡れた瞳へと映した。
伴はそっとその唇に顔を寄せ、互いの唇を触れ合わせながら飛雄馬の体の奥底を己のそれで穿つ。
「っ、あ、………ん、むっ」
ぎゅうっ、と飛雄馬は縋る伴の腕に爪を立て絶頂の余韻に浸る。
伴もまた、飛雄馬の中へとめいっぱいの己の欲を吐き出し、どく、どくと射精し脈動する男根が治まるまで組み敷く彼と口付けを交わし合った。
そうして、伴は飛雄馬から己を抜くとティッシュを探ししばし部屋の中をきょろきょろと見渡してから、見つけた箱の中身から数枚抜き出すと男根を拭いスラックスの中に仕舞い込む。
手首にはめた腕時計の短針が夜中の2時を指しているのを確認してから伴は目を閉じ、呼吸を整えている飛雄馬のそばへと寝転がる。
「伴?」
「き、気付いちょったのか」
「毎度無茶をしてくれる……懲りんやつだな、きみも」
「……頭に血が昇るとどうもだめじゃい。面目ない」
「ふふ……」
飛雄馬は汗の浮いた額に手を遣り目を閉じた。
と、傍らに横たわる伴が飛雄馬の長い髪に指を通すようにして彼の頭をゆっくりと撫でる。
その程よい力加減と掌の大きさとぬくもりが心地よく、飛雄馬はそのまま意識を手放すこととなり、伴は寝入ってしまった彼の寝顔を見つめながら何を言うでもなく柔和な笑みを浮かべた。