万年筆
万年筆 ふと、ベンツの後部座席に座って何やら手帳に書き込んでいる伴宙太が手にする万年筆。
それが彼の父の興した伴自動車工業から、今や伴重工業とまで呼ばれる大企業になった会社の常務職に就く人物にしては不釣り合いな半ば壊れかけたものであったために、隣に座る飛雄馬は不思議そうな目を伴に向けた。
「う〜む、あまりゆっくりする時間はないのう。せっかく星と久しぶりに食事でもと思ったのに」
「………だいぶ、年季の入った万年筆を使っているんだな」
手帳から顔を上げ、頭を掻いた伴に対し、飛雄馬はそんな言葉を投げかける。
すると伴は手にした万年筆に一度視線を落としてから、再び飛雄馬の顔を見てにこっと笑ってみせた。
「大事な人から貰ったものじゃからのう。大事に大事に使っとるんじゃい」
「……親父さんか?」
目を細め、飛雄馬は訊く。
伴は見た目通りに筆圧が強いようで、書き込む際に力を入れすぎるせいか若干万年筆の本体自体も歪んでいるように見えるし、そこにビニールテープまで巻かれている始末だ。いくら父親から送られたものとは言え、大企業の重役がこれでは様にならんだろうに。
それこそ大事そうにうっとりとした目つきで万年筆を見つめる伴に、飛雄馬が同じものを贈ろうか?と尋ねるべく口を開いたところで、「これは星が初給料で贈ってくれた万年筆じゃい」と先に伴が言葉を紡いだ。
「…………!」
そう言われたところで、伴の手にした万年筆を購入した当時の記憶が鮮明に飛雄馬の脳裏に蘇る。
初めての給料は球団の罰金制度のおかげでほとんど手元には残ることはなかったが、それでもとうちゃんにジャンパーを、ねえちゃんにはハンドバッグを贈ったし、親友である伴には万年筆を渡したのだ。
デパートに行って買い物をする、なんてことがそれこそ初めてで右も左も分からぬまま店員の勧めるままに、とうちゃんやねえちゃん、伴が喜んでくれるといいな、と、日頃のお礼に、なんて言ってしまうと仰々しいが、皆の喜ぶ顔を想像しながら購入したということは間違いなかった。
「星の行方が分からんようになってしまったときもずっとこの万年筆を星だと思って辛いときも、苦しいときも耐えたんじゃい。きっと星もこの広い世界のどこか頑張っちょる、なんて……ちと柄じゃないのう。ハハハ」
ベンツを揺らすほどに豪快に笑いながら伴は万年筆と手帳をスーツの胸ポケットに仕舞った。
「それにしても、もう壊れかけていたじゃないか。新しいものを贈ろう。伴のおかげでおれはまた、巨人に返り咲くことが出来たからな」
「なに、初心忘れるべからずじゃあ。わしは星と出会ってからずっとこの万年筆と共に過ごしてきた。星と分かち合った苦しみも悲しみも楽しかったことも、すべて。だから今更買い換えようとも思わん。壊れたら修理してずっと使い続けるつもりじゃい」
「………伴」
「着きましたよ」
伴お抱えの運転手にそう言われ、飛雄馬は自身が身を寄せる巨人軍宿舎の前でベンツから降りた。伴の車に乗ったのも、ちょうど宿舎から出て、一人街を歩いていたところに声をかけられた、という顛末であった。
「ええい、口惜しいのう。本音を言うならわしも星と一緒にまた野球がしたいわい」
「フフ……互いに場所も違うし立場も違うが、それぞれの道で全力を尽くそうじゃないか。それに、共に野球は出来ずともこうして力になってくれたから、今のおれがある。グラウンドに立つとき、おれはいつも伴のことを思っているさ」
「ほ、星……」
鼻声混じりに飛雄馬の名を呼んだ伴だったが、バックミラーに映る運転手の顔が次の約束に遅れますよ、とばかりに険しい表情を浮かべていたもので、ハッと気を取り直し、一言、応援しとるぞい、とだけ呟いた。
「……試合のラジオを聞いたり中継を観てくれるのは嬉しいが、まずは仕事を優先しろよ」
「い、言われんでも分かっちょるわい!」
「フフ………」
「ま、また連絡するぞい!」
窓を開け、そんな台詞を吐いた伴の乗るベンツが遠ざかっていくのを飛雄馬はしばらく見ていた。
そうして、伴が高校選抜でハワイに遠征したときの土産を、おれ自身、放浪紛いのことをしたときも肌身離さず持っていたな、おれもまた、伴のことを思いながら日々を過ごしていたな、とそんなことを思い返しながら、今日のナイター戦に向けて調整しておかねば、と頭を過去の思い出から現在へと切り替えつつ、飛雄馬は宿舎の扉を押し開いた。