旧友
旧友 星くん、星くんじゃないか、と街中で声をかけられ、飛雄馬は振り返る。
すると、行き交う人々を掻き分け掻き分け、こちらに走り寄って来る人物が目に留まり、飛雄馬は彼を牧場さん、と呼んだ。
「あ、っ!覚えてて、くれたんだね!」
肩で息をしつつも、牧場と呼ばれた青年は人混みに揉まれたせいで真っ赤になった顔をぱあっと輝かせる。
飛雄馬はくすっ、と小さく笑みを溢してから、忘れるわけないじゃないですか、と答え、牧場さんは買い物の途中ですか?とも続けた。
「あ、うん、そんな、ところかな。気分転換にね、ちょっと」
「………牧場さんの漫画、読ませてもらってますよ」
ヘヘ、と何やらごまかすような笑いを漏らした牧場だったが、飛雄馬の言葉に、ええっ!と大きな声を上げ、通行人たちを驚かせた。
これには飛雄馬も面食らってしまい、大きく目を見開き、息を飲んだが、すぐに笑顔を作ると、牧場さんは変わりませんね、と先の言葉を紡ぐ。
「そ、そうかな?」
また、ヘラヘラと取り繕うような笑みを見せてから、牧場は変わらないのは星くんの方だろう──の一文を飲み込む。
ぼくが教室でひとり、絵を描いているときにふと視線を遣ったグラウンドで、白のユニフォームを身に纏い、一際きらきらと輝いていた彼。
名は体を表すとはよく言ったもので、スポーツ全般はどうにも苦手で、勉学面にしても大して周りより秀でているわけでもなく、ただ、絵を描くのが好きで、漫画家になりたいなあ、なんて漠然とした夢を抱えつつ高校3年生になった春、星飛雄馬と言う、明星をぼくは見つけたのだ。
一見、中学生とも見間違うような小柄な彼が左腕より放つ球は、柔道で鍛えたPTA会長の息子の伴でさえまともに捕ることができず、あまりの威力に何度も彼の体躯を弾き飛ばした。
見る専門ではあったが、試合の中継はいつも家で欠かさず観戦するほど野球は好きであったし、まるで熱血野球漫画の中から抜け出てきたような星飛雄馬のキャラクターとその豪速球の虜になってしまった。
その姿をもっと近くで眺めていたい、と思う内に美術室からグラウンドの見える渡り廊下、そうして野球場の近くの草むらとぼくは星飛雄馬との距離を半ば強引に縮め、あわよくば、友達になんて、なれないだろうか、と思っていたところに、監督として招かれた星くんのお父さんに声をかけられて、と言うのがあの日の真相だった。
星飛雄馬は何ら変わらない。瞳の奥に宿る炎は一向に衰えてなどいやしない。
いつだってぼくの頭上高くに輝く憧れの人だ。
「星、くん、今度、よかったら食事でも一緒にどうかな。話したいこと、たくさん、あるから」
「ええ、ぜひ。おれも漫画の話、色々聞きたいですから」
「い、いいのかい!?本気にするよ!」
牧場は声を上ずらせ、思わず飛雄馬の左手を握る。 そうして、ハッと我に返り、すまない、と握った手を離した。
「興奮すると行き過ぎた行動を取ってしまうのはぼくの悪い癖だ」
「……だからこそ、今をときめく売れっ子漫画家になれたんだとおれは思いますよ」
「星くん……」
項垂れていた顔を上げ、牧場は少し自分より背の高い飛雄馬を仰ぎ見る。
星くんは、またこうしてぼくを救うんだね、と牧場は鼻の奥がツンと熱くなり、瞳に涙が浮かびそうになるのを深呼吸をすることで堪えた。
「牧場さん、申し訳ないが、そろそろ失礼させてもらいます」
「あ、あ、ごめんよ。星くんこそ何か用事があったろうに引き止めてしまって……あ、これ、ぼくの家の、電話番号」
牧場は着ているコートのポケットから取り出したメモ帳にペンで仕事用に借りている部屋に繋いでいる電話の番号を走り書くと、それを1枚千切って、飛雄馬に手渡した。
「ありがとうございます。近く、電話します」
「時間とか、気にしなくていいから!いつでも、かけてきてほしい」
叫ぶ牧場に軽く会釈をし、飛雄馬は人混みに紛れ、目的地までの道のりを歩み出す。
牧場さんの漫画の感想、今度、電話した際にでも伝えてやろう、とそんなことを考え、飛雄馬は懐かしい知人との偶然の邂逅に妙に嬉しくなって、ふふ、と小さく笑った。