苦悩
苦悩 「っ………!」
ぶるっ、と全身を震わせ、飛雄馬は伴の背中にしがみつく。
と、飛雄馬もまた腹の中を犯していた伴を締め付け、彼の射精を促す。
「あ、いかん。星、手、離してくれい」
「…………」
ゆるゆると飛雄馬の指がゆっくり、しがみつく伴の背中から離れてベッドの上へと落ちる。間一髪、伴は組み敷く彼の中から自身を抜き取り、その腹の上へと白濁を飛ばす。互いにじっとりと汗をかいている。
「はあ、ふう。ちと早かったのう」
「ふ……そうか?そんな気はしなかったが……」
乱れた衣服を直しつつぼやく伴にそんな言葉を返し、飛雄馬はベッドに寝転がったまま白い腹を膨らませ、微かに開いた口から息を吐く。
二人は練習を終え、汗を拭い着替えるのもそこそこに肌を合わせあった。先輩方が汗を流し、浴場から廊下を引き返す声や足音が聞こえてくる。
「星は、見た目よりだいぶ細いんじゃのう」
「え?ふふ、何だ急に」
腹の上に撒かれた体液を拭いつつ飛雄馬は笑う。
「いや、あんなに速い球を投げるんじゃからよっぽど筋骨隆々の体を想像しとったんじゃが、その」
「………伴のそのでっかい体に比べたら誰だって小さく見えるだろうよ」
「あ、いや、そうでのうて」
しどろもどろになりつつ伴は取り繕うが、飛雄馬はとりあえず風呂に行こうぜと伴を急かす。伴も促されるままに入浴の準備をし、飛雄馬もまた衣服を着直して着替えを手に部屋を出た。
「それで、なんで急にあんなことを口にしたんだ?」
浴場に到着し、脱衣所で再び服を脱ぎつつ飛雄馬は尋ねる。先輩方は皆入ってしまった後なのか、二人以外の人影は見られない。
「………おれは高校時代からの星しか知らんが、この小さな体で色んなことを耐えてきたんじゃなあ、頑張ってきたんじゃなあ、と思うと無性に泣けてくるんじゃい」
「………………急に、何を言い出すかと思えば。質問の答えになってないだろう。それに、小さいとかそういう言葉を口にするのはよしてくれ」
沈黙ののち、飛雄馬は吹き出すと、先に入ってるぜと一人浴場の方へと向かう。
浴場の戸を開ければ湯気がもうっと全身に掛かって、飛雄馬は目を細めると後ろ手で戸を締め、一先ず体を洗うべく洗い場の椅子に座った。
色んなことに耐えてきた、だって?
そんなことを言ってくれたのは、伴だけだ。雨の日も風の日も、毎日、毎日、毎日。血を吐いて、指の皮が裂けて、膝をすりむいて、それが痛いと泣けば頬を平手で張られた。
掌が腫れて球が捕れないと言えばそんな弱音を吐くようなやつは星一徹の子ではないと言われて、テストで100点を取らなければ褒めても貰えなかった。
それでもいつだって、褒められるのはそんな教育をおれに施したとうちゃんで。
誰一人、お前はすごいやつだ、今まで頑張ったななんて言ってくれる人はいなかった。けれども、別に、褒めてほしくて、認めてほしかったわけじゃない。
それが当たり前で、おれの存在理由みたいなものだったから。
おれが速い球を放れるのもとうちゃんのおかげ。おれが勉強ができるのもとうちゃんが働いて稼いだお金で教科書やノート、鉛筆を買えるおかげ。
おれを作っているのはとうちゃんで、とうちゃんがいなければおれという男はどうしょうもない人間なんだと、そう思っていたのに。
洗い場の水道から洗面器に湯を溜め、飛雄馬はそれを頭からかぶると濡れた顔を掌で拭う。
「星はすごいのう」
「よしてくれ。なんだそれ。気味が悪い」
「いや、その、さっき、ふと思ったんじゃい」
「おれからしてみれば、伴の方がすごいと思うぜ。柔道からまったく畑違いの野球に転向し、はたまた入団テスト合格までしちまうんだから」
浴場にやってきて、隣の洗い場に座った伴に飛雄馬はそんな言葉を投げた。
「星の頑張っとる姿を見てたらのう、おれも自然と頑張ろうと思えてくるんじゃい」
「……………」
浴場備え付けのシャンプーを適量掌に出して、飛雄馬は髪を洗う。伴も湯を頭からかぶったか、水滴が少し飛雄馬の体に掛かった。
とうちゃんと共に目指した巨人の星、そのためにおれは自分を押し殺してきた。
人並みに学校の友達と遊びたかった。
人並みに自分の夢を持ちたかった。
それでも、これが星一徹の息子として生まれた運命だとそう、言い聞かせてきた。
伴との出会いだってそうだ。
とうちゃんが青雲にいけと言わなければ、彼とは出会わなかった。
伴は柔道を続けていただろうし、高校卒業後は大学に入り順調に親父さんの会社を継いでいただろう。
おれを初めて労ってくれた優しい伴を、おれととうちゃんの人生に組み込んでしまっていいのだろうか。
「しかし、プロの水はやはりそう甘くはないのう。星に着いていきたい一心でここまで来たが、バテそうじゃい」
「ふふ、一緒に脱落するのはごめんだぞ」
「おう。地獄の底まで着いていくから覚悟せい」
がはは、と伴は笑って手にした手拭いで自分の背中をこする。飛雄馬もシャンプーを洗面器に溜めた湯で数回流すと、今度は手拭いで石鹸を泡立てた。
初めて出来た親友と呼べる存在、彼は地獄の底まで着いていく、などと言ってくれたが、地獄に落ちるのはおれだけで、いや──おれと、とうちゃんだけでいい。
伴にも、伴のやりたいことがあって、思い描く夢がきっとあるはずで。
だからこそ、甘えてはいけないと固く誓うのに、伴のくれる体温や言葉はいつも優しい。失うのが怖い、なんて、そんな、女々しいことまで考えてしまう。
飛雄馬は体を洗い、これもまた洗面器の湯で流し去ると、伴を洗い場に残し広い風呂へと浸かった。
ぬるめの湯が妙に心地良く、飛雄馬はゆっくり目を閉じる。
「たっぷりめしを食ったら、ぐっすり眠ってまた明日に備えるぞい」
「……………」
目を開け、飛雄馬は体と頭を洗い終え、浴槽へと浸かる伴を見据える。
「今度の休み、街にでも出掛けんか。久しぶりにラーメンでも食べに行こう」
「ああ、おれも、そう思っていたところだ」
当たり障りのない返事をして、飛雄馬は再び目を閉じた。伴の心配そうに名を呼ぶ声が耳に入ったが、飛雄馬は応えない。
願わくば、別れの日がいつかずっと遠く、出来れば一生来なければいいのに、と飛雄馬はそんな自分本位の考えを抱いてしまった自分を嫌悪しつつ、伴を再び瞳に捉えた。
すると彼は、その視線に気付いたかはにかんだような、そんな柔和な笑顔を見せてきたために、飛雄馬は泣きそうになりつつもニッと無理に微笑んでみせた。