降雪
降雪 ええい、親父のやつう!と伴は胸中で己の父に悪態を吐きつつ、乗り込んだタクシーが赤信号で停車したために、もっと急げんのかあ!と運転手に対し声を荒げた。
「い、いくらなんでも信号無視しろなんて無茶ですよ!」
伴のあまりの剣幕に運転手は怯え、バックミラーに視線を遣るなり体を縮こまらせる。
「…………」
タクシーの後部座席で伴は目を閉じ、頭を垂れると気を落ち着かせるために深呼吸をひとつしてから指定した駅で待っているであろう親友・星飛雄馬の顔を思い浮かべた。
午前中は実家に帰り、ちと用事を済ませてくるから昼は久しぶりに例の店でラーメンでも食べないか?と正午に駅前で落ち合おうと言ったのが仇になった。
親父がいつまでも解放してくれず、結局家を出たのは正午を1時間も過ぎた頃。
いつの間にか雪も振り始めており、道行く人の中には傘を指しているのもちらほらと見受けられる。
こんなことなら宿舎で待っていてくれと言えばよかった──と伴は閉じた目元に力を込め、眉間に深い皺を刻む。
すると車はようやく動き始め、伴は俯けていた顔を上げると、もっとスピードを上げろ!と怒鳴った。
「お客さぁん!雪も降ってるのにそりゃあんまりですよ」
「もういい!ここで降ろしてくれい!」
車を停めさせると伴は半ば無理矢理、運転手にメーターに表示された走行運賃以上の金を押し付け、そのまま雪の降り積もりつつある歩道を駆け出す。
駅まであと500メートルほどと言ったところか。
日頃のトレーニングのお陰で全力疾走すること自体は苦ではないにせよ、何より、親友を待たせていると言う罪悪感がじわじわと今更になり伴の体を蝕み始める。
この寒さの中、馬鹿正直に駅前で待っていることはあるまい。いや、でも星なら──しかしいくらなんでも──伴は頭の中でもやもやと色んなことを考えつつ、人を掻き分け掻き分け走った。
途中、人にぶつかり、すんません!と口先だけで謝罪の言葉を吐きつつも、それでも視線は前に向けたままであった。
すると駅舎が近くに見えてきて、伴は駅前に群がる人々の群れの中に親友を探す。
この寒さの中、大人しく待っているほど星も馬鹿じゃなかったようじゃわい──と、ホッと胸を撫で下ろした刹那、ふと視線を遣った先にその親友の姿を発見し、星!と大声で叫ぶなり伴は彼のもとに駆け寄った。
伴の声の大きさに道行く人は何事かと振り返ったが、今の彼にまわりは見えていない。
その大きな瞳が映すのは、今の今まで律儀に駅前で待っていてくれた親友の姿のみである。
「星ぃ〜!!待たせてすまんかったのう!」
「ば、伴!」
親友・星のもとに駆けつけるなり伴は彼の冷えきった体を力いっぱい抱き締めた。
「まったく馬鹿じゃい、大馬鹿じゃい星は。なんで馬鹿正直にこんなところで待っとるんじゃあ」
「……おれがいないと伴が困ると思ってな。いっそのこと掲示板に書いて、近くの喫茶店にでも入ろうかとも考えたが、結局ここまで来てしまった」
「風邪でもひいたらどうするんじゃ。巨人のエース様がこんなに肩を冷やしおって」
「これくらいで駄目になるほどヤワじゃないさ。ふふ、心配してくれるのはありがたいがな。ほら、早いとこ腹ごしらえしようぜ。寒さより空腹の方が堪える」
「おう。待たせた詫びに今日はおれが奢るわい」
伴は抱き締めた親友の体を離してやりつつ、彼のあまりの健気さと友人思いの優しさに触れ、思わず目元に浮かんでしまった涙をこっそりと拭う。
「最初からそのつもりだったさ」
「あ、こいつう!」
「ふふふ……」
顔に笑みを浮かべた親友の顔を目の当たりにし、伴はようやく緊張を解く。
嫌われたらどうしようかと思ったが、気にしすぎじゃったようじゃわい……とホッとしたのも束の間、雪の粒が次第に大きくなりつつあることを危惧し、伴は急ぐぞい!と己の歩調を速める。
「大げさだな。伴は」
「大げさくらいがちょうどええわい!ほら!」
「そうだな、トレーニングがてら走るか」
走り出した伴に合わせ、親友の彼もまた駆け出すと東京の街をゆっくりと白に染めていく雪の中、目当てのラーメン屋までの道のりをふたり、駆けた。