口論
口論 はあ、と大きな溜息を吐いて、伴は食器の乗せられた盆へと箸を置く。ここのところ、食欲もほとんどなく、食事がまともに喉を通らない。東海地方の味付けに慣れぬせいもあるだろうが、一番の理由は、彼と、親友星と…………。
ふいに肩を叩かれ、驚いた伴は誰じゃいとばかりに背後を振り返る。ゆっくり飯を食う時間も与えてくれんのか、中日ドラゴンズという球団はと嫌味のひとつでも吐いてやろうと思った伴だったが、肩を叩いた人物が、他でもない中日のコーチ──そして、親友の父である星一徹、その人であったために喉元まで出掛かった文句を飲み下した。
「…………」
「痩せたようじゃな、伴。ふふ、名古屋の水は性に合わんか」
辺りを見回せば、選手や関係者で溢れ返らんばかりであった球場食堂に伴と一徹以外の姿はない。
いつの間に、と伴はぞくりと肌を粟立たせたが、それを一徹に悟られぬよう努めつつ無言を貫いた。
「…………」
「星、飛雄馬のことが気懸かりか」
一徹の口から飛び出した星飛雄馬の名に、伴の全身はかあっと熱を持つ。どの口がそれを言うのかと罵りたいのを堪え、星なら大丈夫ですわい、とここに来てようやく言葉を発する。
「なに、あの男はそこまで柔ではないわい。育ての親のわしが言うんじゃから間違いはない」
笑い声を交え、あっけらかんと言ってのける一徹に伴はとうとう席を立つと、彼へと食って掛かる。
「親父さん、いや、星コーチはなぜ星に、息子に対してそう非情でいられるのか理解に苦しむ。星コーチは息子のことを何にもわかっとらんわい!」
自分の背丈よりやや背の低い一徹を見下ろし、伴はそう言ってのけると、星コーチは今まで星の何を見てきたんじゃいと続けた。
「星と離れることを選んだのは他でもない自分じゃろう。今更わしに八つ当たりをしたところで巨人に戻れるわけでなし。自分で選択した道なら文句を言わず突き進むのが道理じゃろうて」
怯むことなく一徹は伴を真っ直ぐに見つめる。
その力強い視線に気圧されつつも、伴は、いいや、言わんと気が済まんわいと強情を張った。
「星は星コーチの、明子さんのために野球をやっとったんじゃぞい。とうちゃんとねえちゃんの夢だからと、自分がふたりを幸せにしてやるんじゃと、そう……」
言いかけ、伴は星が青雲高校時代に自分が野球をやる理由を語ってくれた際の、どこなく寂しげな表情を思い出し、涙ぐむ。
「そこまで言うのなら今すぐ逃げ出したらどうじゃ。愛しの星飛雄馬のところに行き、手を引き一緒に駆け落ちでもすればいいじゃろう」
「っ、それができたら、どんなにっ……!」
「ふん、あの男はそれはせんじゃろうて。いや、それができぬのは伴の……」
「こ、のっ…………」
思わず、掴みかかりそうになったところで、食堂の出入口から待ったの声が掛かり、伴は慌てて一徹の首元まで伸ばした腕を下ろした。
声の主は水原監督で、伴は一番見られたくない人物に見られてしまったわいと悔しさから奥歯を噛み締める。
「…………」
「星くん、皆が待っている。話の途中だろうが、そちらに顔を出してやってくれんか」
「頼みましたぞ、監督」
言うと、一徹はスパイクの金属音を掻き鳴らし、食堂を出て行く。監督とふたり、食堂に残ることとなった伴は項垂れたまま口を開くこともできない。
「伴、気持ちはわかる。だが、彼に、星コーチに当たったところで何も解決はしないぞ。ここはおれの顔に免じて、怒りを収めてはくれんだろうか」
「監督さん……」
「彼も鬼ではないはずだ。きっと何か考えがあってここにいるんだろう。何はともあれ、おれは伴が中日に来てくれたことは嬉しい。これからの活躍を大いに期待している」
「…………」
星コーチとの一件を咎められるとばかり思っていた伴だが、水原監督に優しく諭され、堪えていた涙をぼろぼろと溢す。
「伴、辛かろうが、自分の選んだ道だ。あとは前を向いていくしかない」
「わかっちょる……わかっちょりますわい。ただっ……一言、言わんと気が済まんで……」
「星くんが、巨人の星選手が優しい子なのは見ていればわかるさ。投手に向いていないであろうことも。しかし、それも彼が自分で選んだ道だ。おれたちはそれを見守ることしかできんのだよ」
「監督……そこまで星のこと……」
「なんて、他球団の選手だから言えることだが……彼がうちに来てくれていたらこんなに優しいことは言えんさ」
「……おれは、こんなことを言うのもなんじゃが、星コーチは殺したいほど憎いが、水原監督の下で野球ができるのを光栄に思いますわい」
「はは、今の発言、おれは聞かなかったことにするぞ。さあ、落ち着いたらミーティングに行くんだな」
腕で涙を拭い、伴は水原監督に深々と頭を下げると、そのまま食堂を出て、星コーチ主催のミーティングが行われている一室へと向かう。
いつまでも、悲しんでばかりはいられない。
しかし、おれが星の手を握って、駆け出していたら、その勇気があったなら、未来は変わっていただろうか。星はきっと、とうちゃんを置いてはいけないとおれの手を振り解いただろう。
そんな星だからおれは彼を好きになったんじゃい……。
遅れましたわい、と部屋の扉を開け、伴は空いている席へと腰を下ろす。周りはざわつき、遅刻とはいいご身分だ、何様のつもりだと陰口を叩いたが、一切聞こえないふりをして、伴はこちらを見つめている星一徹の顔を真っ直ぐに見据える。
彼から遅れたことを咎める言葉はなく、淡々と伴が訪れたことで中断されたであろう今後の試合展開についての話が続けられる。
「…………」
過去のことを考えても仕方がない。
おれはこれからどうすべきか、それを考えねば。
伴は星、と口元で小さく囁いてから、今は遠い、関東にいるかつての親友の彼を思った。