孤立
孤立 どうやら、寝ていたようだ、と飛雄馬は横になっていたソファーの座面から体を起こすと、妙な体制で横になっていたために痛む肩や腰をさすってから立ち上がる。
すると、それを見計らったかのように、来客を告げる玄関先のチャイムがけたたましく室内に鳴り響いて、飛雄馬は部屋の明かりが消えていることが幸いとばかりに一瞬、居留守を使おうかとも考えたが、そのまま扉を開けるに至った。
「はい」
共用の廊下を煌々と照らす蛍光灯の眩しさに目を細めながら顔を出した飛雄馬だったが、まさか扉を開けた先に立っていたのが、今は中日ドラゴンズ本拠地、愛知県にいる伴宙太とは夢にも思わず、あっ!と声を上げるなり後退る。
「……近くまで、来たもんでのう」
「…………実家には帰らんでいいのか」
「帰ったところで、お小言が始まるだけじゃい」
「まあ、上がれよ」
促しつつ、飛雄馬は伴の出方を見る。
もしかしたら、今は敵同士となった身、それには及ばんと言われるかもしれない。
でも、もしかしたら、なんてことを、おれは考えてしまっている。
「……おう」
背後から聞こえたその声に、飛雄馬はその場に立ちすくむ。
ああ、伴よ、おまえはなぜ────。
飛雄馬は喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、伴が付けてくれた部屋の明かりにまた、目を細めながら、後ろをついてくる伴に対し、そこに座ってくれとそう、言い放った。
伴がテレビの前の、先程まで自分が体を横たえていたソファーに腰かけるのを見届けてから、飛雄馬はコーヒーを入れるために、やかんに水道の水を注ぐと、それをコンロの火にかける。
元気でやっているのか?
とうちゃんとは仲良くやっているか?
もう愛知には慣れたか?
色んな言葉が頭の中を巡っては消えていく。
あんなに、顔を突き合わせて会話をしたことがまるで嘘のような沈黙。
見た目は、何も変わっていないのに。
ああ、早く水よ沸いてくれ。
でなければ、この間に耐えられん。
飛雄馬はなるべく、伴の方を見ないようにして、やかんの底をちろちろと舐める青い炎を見つめる。
と、その内にやかんの注ぎ口から水蒸気が上がり、中の水が沸騰したことを飛雄馬に知らせてくれた。
飛雄馬はそこでコンロの火を止めると、揃いのカップにインスタントコーヒーの粉を掬ってから湯を注ぎ入れる。
コーヒーの香ばしい香りが部屋全体に漂って、ほんの少し、このひりついた緊張した空気を和らげてくれたようにも飛雄馬は感じた。
伴が好んだ通りにミルクと砂糖を投入したコーヒーを彼の座るソファーの前、テーブルの上に置くと飛雄馬は敢えてその隣ではなく、対面する形で絨毯敷きの床へと腰を下ろす。
伴が、何も言わずに口をつけているところを見ると、おれの記憶は間違っていなかったのだなと飛雄馬はホッと胸を撫で下ろしながら自分もまた、カップの中身を啜る。
以前の伴なら、うまいうまいとニコニコ微笑みながら飲んでくれたというのに……そんなことを思い返しつつ、飛雄馬は瞳に滲んだ涙をコーヒーと共に喉奥に追いやった。
このコーヒーだって、伴が好きだというから買ったのに。このお揃いのカップだって、一緒に買いに行ったのに。
このテレビも、ソファーも、全部きみが額に汗をかきながら設置してくれたものなのに。
ねえちゃんよりも、今となってはきみの私物が多いというのに。
どうして、伴はこれらを愛知に持っていってくれなかったんだ?
飛雄馬は感極まって、瞳から涙を頬に一筋、滴らせてから、しまったと顔を背ける。
「星?」
「す、すまん。コーヒーが苦くて」
「……星」
「おかしいな、分量通り作ったはずなんだが」
「星」
いつの間にかソファーから立ち上がり、近くまで来ていた伴に腕を取られ、飛雄馬は半ば無理矢理に彼の顔を見上げる格好を取る羽目になった。
「…………!」
涙に濡れた顔で伴を仰いでから、飛雄馬は今更自分の現状に気づくと、見ないでくれと震える声で呟いてから腕で表情を隠す。
いつも、なんどきでも、おれを支え、励ましてくれた腕。大丈夫だと安心をくれた声。
どうして、会いに来たんだ。
どうして、おれの誘いに乗ったんだ、伴!
「泣くな、星よ。まるでおれが泣かせたみたいじゃないかあ」
「泣いてなんかっ、泣い……っ、っ」
ふいに、近付いてきた伴の顔に飛雄馬は目を閉じ、顎を上向ける。
涙に濡れた唇を触れ合わせて、吐息混じりに互いの名を呼び合う。
ああ、もうきっと、これが最後なんだ。
もうこうして、名を呼びあうことも、肌を合わせることも金輪際、ないのだ。
きっと伴もそのつもりでここを訪ねたのだろうし、おれもそうだ。
次に会うときには、お互いに敵なんだ。
「う、っ……ん、む……ふ」
一度、呼吸の小休止を挟んでから、互いに再び唇を重ね合う。
何度ここでねえちゃんのいない間にこんなことをしただろうか。朝から晩までずっとこんなことをしていた日もあったように思う。
かと思えば……ああ、どうして、こんなことを思い出す。もう、すべて、過去のことなのに。
「星、星よう……」
なぜ、そんな声でおれを呼ぶ?
飛雄馬は伴に押し倒されるがままに絨毯敷きの床に背中を預け、首元に触れた唇の熱さに喘ぐ。
荒い呼吸を繰り返す伴の指が、飛雄馬のシャツの中に滑り込むと、そのままやや汗ばんだ肌を撫でた。
「う、ぅっ……!」
ビク!と背中を反らして、飛雄馬は首筋に吸い付く唇から顔を背け、奥歯を噛む。
「見えるところに痕はつけんから」
「…………!」
たくし上げられ、露わになった胸や腹を強く吸われ、そこから走る鈍い痛みに飛雄馬は眉間に皺を寄せる。
普段なら、こんなことは絶対許さなかった。
いくらユニフォームで隠れる位置とはいえ、球場の更衣室で着替える際、どうしても服を脱ぐ必要があるからだ。
しかして、今日に限って飛雄馬はそれを咎めない。 最後なら、もう会えないのなら、今まで禁じてきたことは全部、許してやろう、とそう思ったからだ。
腹に舌を這わせ、唇を押し当てながら伴がスラックスを脱がせようとしていることを察して、飛雄馬は腰を浮かせると、彼の手助けをしてやる。
伴は飛雄馬の足からそのまま、下着とスラックスを抜き取ると、現れた男根に手を這わせた。
「…………」
ぬるっ、と滲む先走りを指に纏わせ、伴は飛雄馬のそれを根元までしごくと、一旦、手を頂上まで戻してからカリ首と裏筋にかけてを撫でさする。
「あ……っ、ぁ、あ」
「ひとりでこうして慰めた夜もあるじゃろう」
「ん、んっ」
「おれはないと言えば嘘になるわい。星……」
擦る速度を速め、伴は飛雄馬を射精へと導く。
「ふ、ぅっ……っ、」
「出すと楽になるぞい。我慢せんでもええ」
「伴っ……ば、ん……!」
下腹に、むず痒いような、そんな感覚を覚えつつ、飛雄馬は徐々に高まる射精の欲を堪えきれず、伴の手の中にそれをぶち撒けた。
すると伴は、それを使い尻を慣らしにかかって、飛雄馬は再び、下腹が疼くのを感じる。
伴の指が、ゆっくりと躊躇いがちに腹の中を探ってくる。
その懐かしさと、もどかしさに飛雄馬は身をよじって、立てられた両膝をもじもじと揺らした。
「星、っ、やめるなら今じゃぞい」
「……それは、こっちの、台詞っ……」
飛雄馬は言うと、指を抜き、一度膝立ちになってから穿いているスラックスの前をはだけ、腰の位置を合わせた伴の顔を仰いだ。
そうしてそのまま、解したそこにあてがわれた伴の熱さに喉を鳴らして、飛雄馬は内壁を押し広げてくる圧に打ち震える。
腹の奥が、胸がきゅんと切なく疼いて、意思とは関係なく、瞳には涙が滲む。
腹の中に、己をすべて埋めてから伴は飛雄馬を労うような言葉をかけ、顔に笑みを浮かべた。
飛雄馬はその表情に再び泣きそうになって、鼻を啜ると顔を手で覆う。
そんな、そんな顔で笑うな伴。
いっそ、きみを嫌いになるくらい、乱暴にしてくれたらいいのに。
そうしたら、おれは情も思い出も何もかも捨ててきみに立ち向かえるだろう。優しくしないでくれ。
「動くぞい。辛かったら、言うんじゃぞ」
「っ、ばか……それで、っ、おれと戦えるのか?」
「……!」
「もう、巨人の伴宙太じゃない、っ、だろ……ふふ、おれを殺すつもり、ぃっ────!」
腰を限界まで引き抜いた伴が、体重をかけ飛雄馬の中へと己の男根を突き込む。
骨盤を派手に叩かれ、その衝撃がまともに脳を揺らして、飛雄馬は体を大きく反らした。
逃げる腰を捕まえられ、力強く腰を叩きつけられて飛雄馬は喉を嗄らして声を上げる。
今まではゆっくりと時間をかけて慣らしてくれた奥を激しく突かれ、嬲られて飛雄馬は程なく、一度目の絶頂を迎えた。
「は、ぁっ……あ、ぁ」
突かれた位置から全身に広がる快楽の波に酔う飛雄馬だったが、休憩する間も与えられぬままに腹の中を探られ、掻き回されて、身をよじる。
ああそうだ、これでいい。これで……伴、いっそ、おれを壊してくれ。
「手をどけろ、星。顔を見せい」
「っ……!」
顔を両掌で覆ったまま、唇を引き結んだ飛雄馬だが、ふいにその手を掴まれ、頭の上でひとつに纏められる。
伴が身を屈めたことで、擦られる位置が変わって、はたまた体重が結合部にかかる分、更に奥を責められる結果になって、飛雄馬はビクビクと身を震わせ、再び気を遣った。
伴が自分の顔を、体を、全身を見下ろす様が涙に濡れた瞳に朧気ながら映って、飛雄馬は目を閉じる。 「星、見ろ。おれの顔から目を背けるな。ずっと、ずっと覚えておいてくれ」
「ふっ……ゔ、ぅっ──!」
刺すような視線が痛い。
吸われ、痕になっているであろう肌がにわかに熱を持ち、胸の突起も痛みを覚えるほどに立ち上がっている。
もう、腰や足の感覚などなく、あるのは腹の中をぐずぐずに掻き乱される、気が遠くなるほどの凄まじい快楽だけだ。
「星、いくぞ。受け取れ……全部」
「ひ、あァっ……」
飛雄馬は腰の速度を速められたことで、強い快感を得、またしても絶頂を迎えたところに腹の中にて達した伴の脈動を感じつつ、虚ろに開けていた目を閉じた。
「…………」
ふと、近づいてきた伴の顔を震える手で押さえ、飛雄馬はいけない、と掠れた声で彼を拒む。
優しくされたら、きっとおれはだめになる。
だからこそ、このまま別れるべきだろう。
飛雄馬は自分の力で伴の下から這い出すと、顔を拭い、さよなら、と一言だけ発した。
「……冷たいのう、星は」
「…………」
「コーヒー、美味しかったぞい」
伴は身支度を整え、そのまま玄関先で靴を穿くと部屋を出ていく。
飛雄馬はただ黙って、その後ろ姿を、彼が出ていった後に扉が閉まるまでを見つめていたが、ふいに唇を強く噛む。
伴、おれはきみのことが…………。
じわりと下唇に滲んだ血の味に、飛雄馬はこれ以上泣かないように大きく息を吸ってから、コーヒーカップを片付けるために立ち上がる。
夜明けまではまだしばらくある。
おれはこの、ひとり暮らしには不相応な広い部屋で姉と親友の思い出から目を背けながら一日一日を過ごすのだ、今までも、これからも。
飛雄馬は飲み残しのぬるいコーヒーを口に含むと、それをゆっくりと喉奥に追いやりながら、カーテンの向こうに朧気ながら浮かび上がる東京タワーの明かりにまたしても、泣きそうになった。