今帰りかい、と花形は青雲高校での練習を終え、家路を急ぐ飛雄馬に声を掛けた。
「花形、さん」
顔の映りそうなくらいピカピカに磨き上げられたスポーツカーをふいと見遣ってから、飛雄馬はその運転席に座る彼を呼んだ。
「送るよ。乗るといい」
「きみが?おれを?なぜ」
至極当然の質問だ。なぜ神奈川の紅洋高校に通う花形満が東京になど来ているのか。しかも車に乗れだなんて。
「近くまで来たからさ。嫌かい」
「……」
しばらく飛雄馬は考えたものの、どうせすぐだしと花形操るスポーツカーの助手席に乗り込んだ。
「食事でもどうだい」
「食事?いや、姉ちゃんが作って待っていてくれるから……それに遅くなるととうちゃんが心配する」
「とうちゃんが、ねえ」
ふぅん、と花形は含蓄有りげに呟いてから車をすうっと発進させた。
「わあ、すごいや。初めて乗った」
「初めて?へえ」
嬉しさからか声を上ずらせる飛雄馬にぷっと吹き出して、花形は学生鞄を腕に抱き、これまた学生帽が飛ばないように頭を押さえている彼を横目で見た。
「別に、きみさえ望めばいつでも乗せてあげるさ」
「え?何?聞こえない」
「……」
オープンカーゆえに車を走らせていると風をものすごい勢いで切るために並の声量ではろくに聞こえないのだ。ゆえに飛雄馬は花形の言葉を聞き返した。
「なに?すまんがもう一度言ってくれないか」
「帰りはいつもこの時間なのかい」
「帰り?そうだね、いつもこれくらいだ」
「ふぅん」
「花形さんはなぜ東京に?」
「きみにあいにきた」
「え?」
「……用事さ、父のね」
「用事」
飛雄馬は何やら納得がいかないようであったが、花形が前を向いたまま車を運転しているために話しかけるのは堪えた。
東京に用があった、というのは分かるがわざわざ青雲高校の近くまで来た理由がピンとこない。この辺に用があったと言えばそれまでだが、わざわざ声を掛けてくるなんて、と。
「今日はあの男はいないのか」
「あの男?伴か。あいつも何やら父の用事とかで早々に帰ったさ。ふふ、いつもは一緒に帰るんだが」
花形があの男、と言ったのは以前花形の通う紅洋高校と飛雄馬が身を置く青雲高校の対抗試合を行った際、花形の打撃妨害をし、その後の青雲高二点ビハインドでランナー一塁の最終回、バッターボックスに立ち顔面にデッドボールを受けた伴宙太のことであった。
「いつも?一緒に?」
「……?」
聞き返した花形に飛雄馬は怪訝な顔を向ける。おれはそんなに変なことを言っただろうか、とそんな目だ。
「伴自動車工場はきみの家とは反対方向だろう」
「ああ、そうなんだが伴が送ると聞かないんだ」
ぎゅうっと花形はハンドルを握る手に力を込める。
「……きみとあの男はどういう、いや、忘れてくれ」
「あの男とはずいぶんだな。彼にも伴宙太という名前があるのに」
「では単刀直入にきくがその伴ときみは、どういう間柄なんだ?」
「どうって、縁あってバッテリーを組むことになった、それだけさ」
それだけ、ね、と花形は飛雄馬の言葉を頭の中で反芻し、目の前の信号の灯す赤に倣い、ブレーキを踏んだ。
「じゃあ、花形。信号も赤になったことだしおれはここで」
「もう少しじゃないか。遠慮することはない」
「……」
その言葉に飛雄馬は目をぱちくりと数回瞬かせ、車のドアに掛けた手を引っ込める。
「そうかい。しかしきみも今から神奈川に帰るのなら遅くなるんじゃないか」
「ははは、よしてくれそんな冗談。きみの心配には及ばないよ」
「む……」
馬鹿にされたような気がして飛雄馬は眉を寄せる。発言通り、車を走らせればすぐなのではあろうが、そんな言い方はないんじゃないか、と、そう思ったのだ。
「花形、停めろ、停めてくれ」
信号が変わり、走り始めた車を飛雄馬は停めろと喚く。何事かと花形はウインカーを出して車を路肩へと停めた。
「もういい、たくさんだ。ここで降ろさせてもらうよ。ありがとう」
「……星くん?」
「さっきからおれの親友である伴をあの男呼ばわりしたりと今日のきみは少し変だ。どうしたんだ」
車から降りつつ飛雄馬はそんなことを尋ねる。変、ぼくが?と花形は不思議そうに飛雄馬を仰いだ。
「いつものきみらしくない」
「いつもの、ぼく?」
その言葉に花形は首を傾げ、飛雄馬は深く頷く。
「とにかく、礼は言ったからね!」
「星くん!」
飛雄馬は言うと、鞄を手に駆け出していく。その背に手を伸ばして、花形は行き場のなくなったその開いた掌をぎゅっと握る。いつものきみ、だなんて星くん、きみはぼくの何を知っていると言うんだ。
しかして、ぼくはきみのことを考えるとどうにも調子が狂ってしまうらしい――と花形は次第に遠く、小さくなる飛雄馬の姿を見つめていたが、ふいに前を向きギアを入れ替えるとアクセルを強く踏み込んだ。エンジンが音を立て、スピードが出るにつれ花形の体にも強い加速度が掛かる。
右へ左へ車線変更しながら近くを走る車を避け前へと進む。
「くそっ……」
ドン!とハンドルのホーンパッドを叩き、花形は呻いた。花形の興奮し熱くなった肌を初夏というのに夜風が冷たく撫ぜ、ギリッと彼は奥歯を噛む。ぼくの方が先に星くんに出会ったと言うのに、とそこまで考えてから花形はプッと吹き出す。
一体どうしたと言うのだ。これじゃあ恋みたいじゃないか、と苦笑してから花形は目を細め、ハンドルを握る指の力を強める。 そうだ、これは恋なのかもしれないな、と胸にチクリとした妙な痛みを堪えつつ、花形は一人車を走らせた。