記憶
記憶 「すみませ〜ん、ボールを投げてもらってもいいですかあ」
飛雄馬は、偶然、通りがかった公園で小学生低学年くらいだろうか、声変わりもまだらしき幼い少年らが野球に勤しんでいるのを目の当たりにし、しばしその様子を眺めていた。
小さく、短い手足をちょこちょこと動かしながら一生懸命野球をする様は可愛らしく、はたまた可笑しくもあって飛雄馬は思わず、サングラスの下の目を細め、唇を笑みの形に歪める。
すると、野手を務めていたひとりの少年がフライボールを捕り損ね、近くにいた飛雄馬に対し、そんな言葉を投げ掛けてきた。
ちょうど足元付近に転がってきた白球。
それも軟式のもの。
飛雄馬はわかった、とばかりに手を挙げ、左右に振ってから左手で球を拾い上げると、ソフトボールの投球の要領で、下から少年に投げ返した。
茶色く、薄汚れた球は綺麗に放物線のアーチを描き、構えていた少年のミットの中に収まる。
ありがとうございます!という感謝の声を耳にし、飛雄馬は再び挙げた手を振った。
そうして、楽しそうに和気藹々とチームメイトらと白球を追い掛ける少年らを垣間見て、果たしておれにあんな時代はあっただろうか、とそんなことを考える。
親父から、野球の何たるかを物心つく前から体に叩き込まれ、面白い、楽しいもの、と感じる以前に、毎日必ず行わなければならないものであった。
地元少年野球チームに混ざりプレイしたところで皆技術は伴っていないし、ルールもろくに覚えていない始末で何も楽しくなかったことを覚えている。
ゆえに、彼らが心底、羨ましい、と思う。
本来、スポーツというものは、友人同士仲を深めるために、相手と円滑な交流を図る目的で行うもので、自分の実力を試すために他人を利用し、下に見て優越感を抱くためのものではないのだ。
今なら、おれに気を遣いおべっかを並べたてていたチームメイトたちの表情の意味、おれを扱いにくそうにしていた理由がわかる。
おれをそんな風に育てたのは他でもない親父であり、はたまた高校入学後にその鼻っ柱をへし折ってくれたのも親父なのだが。
できるなら、まだ幼いうちから友人関係を築かせてほしかった。それをすると、友人と遊び呆け、野球に身が入らぬという親父の考えなのだろうが。
飛雄馬は日が傾き、空が赤く染まり始めたことを察し、その場を離れるべく歩き始める。
少年たちの甲高い歓声が辺りに響き渡って、飛雄馬はまた微笑む。
嫌な思い出は、それこそ天上を浮かぶ星の数ほどあれど、おれは野球は嫌いではないのだ。
この腕では、野球はもう、やれそうにないが。
日が完全に落ちる前にどこか宿を探さなければ、と飛雄馬はふと、足を止め、空に浮かぶ真っ赤な夕日を見上げる。
親友と共に、巨人の入団テストを受けた日の夕暮れに今日の空は瓜ふたつだな、と飛雄馬は鼻の奥がツンと痛むのを感じながらも、唇を噛み締め泣くのを堪えた。