気遣い
気遣い 星のやつ、広報部長に呼ばれたはいいがまだ帰ってこんのかのう、と伴はベッドの上に寝転んだまま机上に置かれている目覚まし時計にちらと視線を投げた。
もう、1時間前ほどになるか。
いつものようにふたりは練習を終え、風呂に入ってからめしにするかと思っていた矢先に訪ねてきた球団広報に呼ばれ、飛雄馬は伴を寮の部屋に残し、ひとり出て行ってしまったのだった。
部屋の外から風呂の後始末のことについて怒鳴られ、伴はもう行きますう、と幾度目かになる心苦しい言い訳をして、はあと溜息を吐く。
すると、その声と入れ違いのような形で飛雄馬が顔を出したもので、伴は彼の顔を見るなり体を跳ね起こした。
「星ぃ!待っとったぞい」
声を弾ませた伴の台詞にかぶさるように彼の腹の虫がぐうと鳴り、飛雄馬は帽子を取りつつ、まだ食べていなかったのか、と眉をひそめた。
「星をひとり残しておれだけめしを食うなど言語道断じゃい。おれがジャイアンツの一員としてこうしてめしを食えているのも星のおかげなんじゃから」
伴はドンと己の胸を叩いて、得意の大笑いをしてみせる。
しかして飛雄馬は口を噤んだまま、着ていたグラウンドジャケットを脱ぐと、それをハンガーに掛けるなり、自分のベッドに腰を下ろした。
「大リーグボールのことで新聞記者やらテレビ番組のプロデューサーからインタビューの申込みがあったそうだ」
「ん、さっき広報部長さんに呼ばれたのはその件かのう。新聞やテレビ番組からお声がかかるとはすごいもんじゃのう」
にやにやと顔を綻ばせる伴に対して飛雄馬はどこか浮かない表情を浮かべている。
伴は飛雄馬のその態度に気付くなり、ああ、おれの悪い癖だ──と左右の頬をピシャンとそれぞれ両手で叩いた。
いつもひとり浮かれて星の様子に気付くのが遅れてしまう。
そんなんだから星の正捕手の座はいつまで経っても森さんのままなのだ。
星の些細な変化や微妙な違いにも気付いてやれんようではおれはいつまでもベンチの保温係だ。
「ふふ、大リーグボール一号は伴の協力があってこそだというのに、どこの関係者たちもインタビューを受けるのはおれひとりでいいと言うんだ」
「……そ、それは、そうじゃろう。おれはただ星の言うとおりに目隠しをしてバットを振り回していただけで大したことはしとらん。何も話すことはないじゃろうて」
「だから、伴を呼んでくれんのならインタビューを受けるつもりはないと伝えた。おれひとり持て囃されるのはおかしい」
「星!」
飛雄馬は、ふっ、と口元に笑みを浮かべ、もうこの話は終わりにしよう、と言うなり腰を上げる。
「きみはいつもおれの陰に隠れてばかりだ。本来なら今頃親父さんの会社を継ぐために大学にでも通っている頃だろうに」
「ばっ、馬鹿を言うな星!きさまの今の言葉はおれを侮辱しとるも同然だぞい!」
「…………!」
「おれは星の力になれるのが何よりも嬉しいんじゃい!男心に男が惚れて、その惚れた男のためにこの体を張れるちゅうことが嬉しくないわけがなかろう!何をそんな気弱なことを言うとるんじゃ星!」
一息に、まくし立てるように言い切った伴の顔を飛雄馬は驚いたように目を見開き、じっと見据えていたが、ふと視線を逸らすと震える唇を強く噛み結ぶ。
「……伴」
「じゃから星、インタビューを受けるんじゃい。きっと親父さんも喜んでくれると思うぞい。巨人の星になるのが星と親父さんの夢だったんじゃろう。川上監督から譲り受けたその背番号を背に、巨人の星として新聞に載るなんて願ってもないことじゃろうて」
「インタビューできみの名を出しても、構わないか」
「おれの名を?ワハハ!そういうのはやめてくれい。おけつがこそばゆいわい。おれは縁の下の力持ちでええ。星が活躍してくれることこそおれの誉れよ」
伴は立ち上がると飛雄馬の背中をドンと大きな掌で叩いてから部屋の扉を開ける。
背中をやられたことで飛雄馬はつんのめったが、すんでのところで転ぶの堪え、めしにしようぜと食堂を指さす伴の顔を僅かに微笑みを浮かべながら見上げた。
「はようせんとめしが片付けられるぞい」
「ああ、おれのせいできみまで夕飯が遅れてしまってすまんな」
「ええ、ええ。気にするな。それより、日が明けたら広報部長にインタビューの件、受けるように伝えるんじゃぞい」
飛雄馬は頷き、伴の笑顔に釣られるようにしてまた微笑を浮かべる。
まったく星のやつは繊細すぎるぞい、と伴は内心苦笑しながらも、この心優しき親友の支えになれるようこれからも精進せねばな、と決意を新たに、隣を行く彼の凛々しくもどこかあどけなさを残す横顔をそっと見遣った。