風邪
風邪 「こんばんは」
屋敷玄関の引き戸を開け、飛雄馬は声をかける。
すると、スリッパの音を僅かに響かせ、伴の屋敷で古くから家事や身の回りの世話をしている、飛雄馬が親しみを込め、おばさんと呼ぶ老女が顔を出した。
「すみませんねえ、星さん。急に呼んだりして」
「いえ、大丈夫です。そんなことより、伴は……」
飛雄馬が伴の屋敷を訪ねたのも、彼を出迎えてくれた老女が宿舎に1本の電話をかけてきたことに起因する。
坊っちゃんが熱を出してうなされていまして、しきりに星を呼べと唸っておるのです、と。
伴が熱?と寮長から電話を取り次いだ飛雄馬はおかしなこともあるものだと思いながらも、今日は試合もないのですぐ行きますとだけ告げ、電話を切った。
そばで聞いていた寮長もそういうことならと外出の許可をくれ、飛雄馬は宿舎を出ることと相成った。
「いつもの調子で接待だか飲み会だかで夜遅くに帰宅して玄関先で酔い潰れて眠ってらしたのがよくなかったようで、私が朝訪ねたときにはもう高い熱を出しておいででした」
「……まったく」
伴の代わりに老女に頭を下げ、飛雄馬は伴が布団で横になっているという和室の襖を開ける。
中では布団から首だけを出し、頭の下には水枕を敷き、額には氷水の入った氷嚢を乗せた伴が目を閉じ呼吸のたびに掛け布団の腹の位置を上下させていた。
「星さん、何かありましたら声をかけてください。すぐ参ります」
「ありがとうございます」
再び一礼し、飛雄馬は奥に引っ込む老女を見送ると伴の横たわる部屋に足を踏み入れ、後ろ手で襖を閉める。
その音で伴は気付いたか、目を開け体を起こすなり、星!と部屋に入ってきた飛雄馬の名を呼んだ。
「風邪を、ひいたそうじゃないか」
「あ、う、う。面目ない。昨日、飲みすぎて玄関で眠ってしまったのがいかんかったらしい」
寝間着代わりらしい浴衣の乱れを正しつつ伴はもごもごと言い訳をする。
「医者には行ったのか」
伴の布団の傍らに飛雄馬は腰を下ろし、淡々と質問を投げかける。
「医者は好かん。行かんでも治るわい」
「伴の好き嫌いじゃない。看病してくれるおばさんのことを第一に考えろ」
「星に言われると弱いのう……うう」
「……もういいから寝ておけ」
「しかし、せっかく来てくれたのに」
「いいから」
飛雄馬が言うと、伴は渋々と布団の中に潜り込み、ニカッと笑みをその顔に湛えた。
「星が来てくれて嬉しいぞい。元気100倍じゃあ」
「うなされて星を呼べと言っていたとおばさんが話してくれた」
「最近、会えんで寂しくてのう。ついつい酒に……」
「伴。会えんで寂しいのはおれも同じだが、人の迷惑に────」
言いかけ、飛雄馬はハッ!と口を押さえる。
飛雄馬の発言にしばらく呆けていた伴だったが、ようやくそこで理解したか、再びニンマリと微笑むと、「星も同じ気持ちだったとは嬉しいわい」と声を弾ませた。
「……球場で伴が声援を送ってくれている声は聞いている」
「聞こえちょるんなら反応してくれてもいいじゃろうに」
「試合中にそんなことはしない」
「わかっとるわかっとる。星のその真面目さがファンにも受けとるんじゃからな」
ウフフと伴は笑ってから、ゴホゴホと咳き込んだ。 痰が絡むのか少し咳も湿っぽく感じられる。
「伴」
「すまん。こんなところ見せたくはなかったんじゃが……熱を出しうなされて呼ぶのが星とはわしも大概じゃのう」
「………………」
と、部屋と廊下を仕切る襖が叩く音を耳にした飛雄馬が、はいと返事をすると先程奥に引っ込んだ老女が襖を開け、卵粥入りの器と小さめのレンゲ、急須とそれに湯呑がふたつ乗った盆を差し出してくれた。
ありがとうございますと飛雄馬は腰を上げてから盆を受け取り、また何かあったら声をかけますと彼女を下がらせ、伴に夕飯まだだったのかと尋ねた。
「ずっと寝とったからのう」
「食べてまた、ゆっくり休むといい」
伴の枕元に盆を置き、飛雄馬は気が済んだなら帰るぞと手首にはめた腕時計に視線を遣る。
「食べさせてくれんかのう」
「え?」
ボソッと伴が呟いた一言に、飛雄馬は時計から顔を上げ、布団に横たわったままこちらを見上げてくる男の顔を見つめた。
心なしか伴の頬が赤い。
これは照れによるものか、はたまた熱発のせいか。
「星に食べさせてもらったらすぐ治ると思うんじゃが」
「そんなわけないだろう。子供でもあるまいし自分で食べてくれ」
「星ぃ……」
「…………」
返事をせず、飛雄馬は器とレンゲを取るとひとくち分、それを掬ってから彼の口元へと遣る。
「ふーふーせんと熱いかも知れんじゃろ」
これがいわゆる、金持ちのボンボンと言うやつなのだろうかと飛雄馬はやや顔を引き攣らせながらも伴の言うとおり、レンゲに掬った卵粥に息を吹きかけ、再度彼の口元へとそれを差し出した。
「うむ。いつもより倍は美味いぞい」
「…………」
答えず、飛雄馬は掬った粥に息を吹きかけ、それを冷ますと伴の口元に運ぶことを何度か繰り返し、器をようやく空にした。
「起きてお茶でも飲むといい」
「おう。食べたらだいぶマシになった気がするわい。なんせ朝から何も食べとらんかったからのう」
「朝から?」
急須から湯呑みに茶を注ぐ飛雄馬が聞き返す。
「星が来んのならわしゃ飯なんぞ食わんと言うたんじゃい」
「…………おばさんを困らせるようなことはするな」
「反省しとるわい。しかし、きさまに会いたかったわしの気持ちも汲んでほしいぞい」
「……あとでおばさんにはちゃんと謝るんだぞ」
「星にもじゃい。呼びつけただけでなく妙な真似をさせてすまんのう」
体を起こし、伴は湯呑を受け取るとそれに口をつけた。
「いや、おれはいい。なんだかんだ言いつつ、伴には色々と世話になっとるからな……」
少し冷えた茶を啜ってから、飛雄馬が氷嚢の氷を変えようかと伴に尋ねるべく湯呑を盆に置いたところを突然、熱く大きな腕に抱き締められた。
「星、おまえというやつは、本当に……」
「なんのことだか、伴。こんなことをしている暇があったら早く横になれ」
飛雄馬がそう言うと、伴は抱き締める腕の力を緩め、おもむろに目を閉じ唇を尖らせる。
「…………」
「うつすつもりで呼んだのか」
「冗談じゃあ、っ!」
照れ隠しに、へらっと笑んでから距離を取った伴に飛雄馬はにじり寄ると、そっと彼の唇と自分のそれとを触れ合わせた。
「満足、したか」
「熱が上がったわい……」
ふふ、と笑んだ飛雄馬に対し、伴は低い声でそう答える。
「ほら見ろ。だから言っただろう。早く横になれ」 「星こそ相変わらずじゃのう」
「え?」
相変わらず、とは?とその言葉の真意を尋ねようとした刹那、伴は飛雄馬の背中に腕を回し、体を抱き寄せつつその唇に口付けた。
「……星っ、」
熱っぽい声で飛雄馬を呼び、その大きな手で彼の後頭部を包み込んで逃れられないようにしてからより深い口付けを伴は与える。
もちろん体もしっかり抱き留められており、飛雄馬は抵抗もままならないままに熱い舌の愛撫を受けることとなった。
「ば、ばかっ。調子に、乗るんじゃな……ぁ、っん」
思わず、鼻がかった声が漏れ、飛雄馬はかあっと顔を赤らめる。
おばさんがいつ訪ねてくるかもわからんというのに伴のやつ、いくら会うのが久しぶりとは言えこんな不意打ちのような形で事に及ぶのはあまりにも強引すぎないか──。
ああ、しかし、ここで伴を拒絶し、大きな声を出そうものならおばさんが何事かと飛んで来るだろう。
こんなことなら食器類を部屋の外に──いや、違う、そうじゃない。
この窮地を脱さなければ──。
「星、会いたかったぞい」
「っ……ふ、ぅ……」
伴の声がやたらに頭の中に響く。
会いたかったのはこっちも同じだ。
でも、こんな不本意な形で、おれは……。
絡む舌が離れたかと思うとすぐ、その唇は飛雄馬の下唇を食んで、顎を下り、首筋をなぞる。
肌がじわじわと粟立ち、喉を晒す飛雄馬の鼻を抜ける声が高くなっていく。
飛雄馬の体は布団の上に伴の腕に抱きかかえられたまま押し倒される。
そうして、彼の体の上には羽織る浴衣を乱れさせた伴が覆いかぶさるようにしてのしかかってきた。
両足を左右に割り、開かせた飛雄馬の足の間に伴は身を置いてから、彼の長い足で己の脇腹を挟ませた。
「星はお人好しがすぎるぞい……」
言って、伴は身を屈めると飛雄馬の首筋へと顔を埋める。
「あ、う……」
ピクン、と飛雄馬は体を震わせ、声を出さぬよう口元に手を遣る。
伴は飛雄馬の首筋に軽く吸い付き、その肌を吸い上げつつ組み敷く彼の穿くスラックス、そのベルトを外していく。
「ん、ンっ」
ベルトを緩めた伴はボタンを外し、ファスナーを下ろした飛雄馬のスラックスの中へと手を差し入れる。
やや膨らみつつあった飛雄馬の男根を伴ゆっくりと下着越しにさすると、それは少しずつ首をもたげ、その内、はっきりとその形を布地を介して伴の手指へと伝わらせる。
「ふ、ぅ、うっ……!」
飛雄馬は伴の与えてくる刺激に身をよじり、眉間に皺を寄せた。
腹の中が伴の到来を待ち侘び、疼くのがわかって、下着越しに触れられるそこはすでにはち切れんばかりに立ち上がっている。
「…………」
伴は下着を汚す前に、と考えたのか飛雄馬の穿く下着の中に指を滑らせると、その中から充血し、反り返った男根を取り出した。
そうして、それをおそるおそる握ると上下に擦り始める。
「っく……」
とろりと飛雄馬の亀頭を溢れた先走りが滑り落ち、伴の指を濡らした。
伴は飛雄馬の様子を見ながら握った手をゆるゆると動かし、彼を射精へと導いていく。
「出してもいいぞい……受け止めてやるからのう」
伴の手が男根の裏筋を滑るたび、飛雄馬の体はビクンと大きく跳ね、口元に遣った手、その指は切なげに震えた。
「い、っ……ば、んっ」
飛雄馬は伴の名を口走ったと同時に男根から白濁を放出し、ビクビクとその身を痙攣させる。
蛍光灯の煌々と光る室内で、飛雄馬の顔、その苦悶にうち震える悩ましげな表情ははっきりと伴の目に映った。
飛雄馬と久しぶりに会い、触れ合うのは伴とて同じである。
ファンから絶大な人気を誇り、彼が登板する際には老若男女を問わず大歓声が上がる星飛雄馬という男とこんな行為に耽る自分はなんと罪作りなのだろうか。
伴はゴクリと喉を鳴らしてから、布団の傍らに置いていたティッシュで飛雄馬の腹に飛んだ精液を拭ってやると、彼の下着とスラックスを脱がしにかかる。
一息にそれらを剥ぎ取り、畳の上に放ると伴は再び飛雄馬の両足をそれぞれ左右の脇に抱え、口付けを交わすべく彼の顔に自分の唇を寄せた。
飛雄馬もそれに気付いたか、口元に遣っていた手を離し伴の接近を許す。
「ん……」
ちゅっ、と唇同士を触れ合わせ、どちらともなく開いた唇の隙間から互いに舌を覗かせると、ふたりは唾液に濡れた柔らかな粘膜を絡め合った。
そうして、伴は一旦、唇を離すと辺りを見回してから畳の上に転がっていた整髪料の容器を手繰り寄せると、中身を指で掬い、飛雄馬の足の中心へとそれを塗り付ける。
くちゅ、くちゅと指の摩擦と体温で溶ける整髪料の卑猥な音に飛雄馬は腰を揺らし、上下の唇をすり合わせた。
と、しばらく飛雄馬の入り口を慣らしていた伴だったが、ゆっくり、その指を彼の腹の中へと飲み込ませると、そのまま2本目を滑り込ませる。
「うっ……」
「い、痛かったか?」
ぬるん、と伴は指を抜き、飛雄馬に尋ねた。
「いや……大丈夫。ふふ、久しぶりだと、互いに勝手がわからんな」
「会いたいのは山々じゃが、そうもいかんのが心苦しいところよ」
言いつつ、伴は再び、2本の指を飛雄馬の中に忍ばせるとそのまま根元までを飲み込ませ、関節を僅かに曲げる。
触れられた位置から、微かにじわじわと飛雄馬の全身には痺れが走る。
その先を期待して、飛雄馬は腕を置く布団のシーツを握り締めた。
そんな飛雄馬の緊張を知ってか知らずか、伴は指の腹で、触れた内壁をくすぐる。
「あ、ァっ!」
ぎゅうっと伴の指を締め付け、飛雄馬は驚きと快感の強さに思わず声を上げてしまう。
「星……」
飛雄馬の唇を塞ぐべく、伴は組み敷く彼に口付けを与えつつ指を飲み込ませた腹の中を探る。
「っあ、ぁ………ん、ん」
弾みで離れた唇を追い、伴はぐりぐりと指で飛雄馬の弱い場所を執拗に責め上げた。
全身には汗が滲み、絶頂を迎えられそうで迎えられないもどかしさが募る。
早く、と先を望むのはあまりにはしたないだろうか。
伴の舌が口内を這うたび、飛雄馬の頭の芯は痺れていく。
「そろそろ、いくぞい」
ぼそり、伴が呟いて、飛雄馬から指を抜くと、すでに乱れている浴衣の前をはだけ、下着の中から男根を取り出した。
「……………」
伴の顔と取り出されたそれを見比べ、飛雄馬は彼を受け入れやすいよう腰の位置を布団の上でずらし、膝を曲げた足を自身の腹の方へ引きつける。
伴の体重が股関節にかかって、慣らされていたそこに当てがわれた熱が、ゆっくりと飛雄馬の腹の中を突き進む。
ぶるぶる、っと飛雄馬はその質量に身震いし、自身の体のそばに置かれた伴の腕、その浴衣の肩口を掴んだ。
「きっ、ついのう……星の中は、っ」
「ふ……他に誰かを抱いたような口ぶりだ、っ……うぐ!!」
未だ飛雄馬の体は順応していないにも関わらず、伴は一度は引いた腰を打ち付け、彼の腹の中を深く穿つ。
いつもの様子を窺うようなたどたどしい腰の動きではなく、勢いのままに伴は欲をぶつけてくる。
腰が砕けるのではないかという強いピストンに飛雄馬は身をよじり、彼の下から逃れようともがいたが、臍から下は伴の腰で押さえつけられており、逃れるすべはない。
「伴っ、加減、し──あ、あっ!」
ようやく、その激しい腰遣いに慣れてきた頃、伴はその動きを変える。
腰をグラインドさせ、飛雄馬の腹の中を掻き乱した。
「星、星よう…………」
うわ言のように自分の名を呼ぶ伴の肩に爪を立て、飛雄馬は下唇を噛む。
と、そこに伴が舌を這わせ、唇を啄んだ。
「ふ、ぁ、……」
ぎし、ぎしと部屋全体を揺らすようにして伴は腰を叩きつける。
「う、うっ!」
瞬間、伴はなんの前触れもなく飛雄馬の腹の中に断りもせず欲を吐くと、そのまま組み敷く彼の上にどっと倒れた。
「……………!」
飛雄馬は些かの消化不良感を抱きながらも、伴の下から這い出ると、いびきをかき眠りこけている彼の体の上に布団をかけてやる。
額に手を当てれば熱は下がっているようで、飛雄馬はほっと安堵した。
まったく、最初から最後まで自分勝手なやつだと飛雄馬は自身の腹を撫でると足元に無造作に置かれていたスラックスと下着を身につけ、粥が入れられていた器の乗った盆たちを返しに部屋を出る。
あのままやられていたら腰が壊れていたかもしれん、中途半端ではあったがあれでよかったに違いない。
飛雄馬は台所に立ち寄り、明日の準備をしていた老女に器を返すと、腹がいっぱいになったら眠くなったようですと話し、また来ますと踵を返した。
「星さん、坊っちゃんのためにいつもありがとうございます」
「…………いえ、それはこちらの台詞です。伴にはあまりおばさんに迷惑をかけるなと伝えておきましたから」
飛雄馬は微笑むと、深々と頭を下げる老女に彼もまた頭を下げると伴の屋敷を出た。


そうして、あくる日の試合、飛雄馬は腰に違和感を抱えつつも試合に臨む。
ふと、スタンドに馬鹿でかい声で応援する人間がいることに気付き、飛雄馬は伴のやつ、良くなったんだなと安心しつつそれにしてもと昨日の出来事を思い出す。
次あったとき、こってりと絞ってやらねば──考えつつ投げた球で三振を取り、再び歓声がスタンドからは上がった。
「ほし──っ!がんばれ──っ」
ここにいても伴の声はよく届く。
飛雄馬は伴が良くなってくれたのなら、まあ、いいか、と投球モーションを起こし、新しく打席に入った相手選手に大きく空振りさせる球を投げ、腰をさすった。